人間はどうして争うのでしょうか。戦争や虐殺という巨大な争いもあれば、差別という社会的な争い、夫婦間にも家族間でも、あるときはあるものです。
争いの根本はエゴイズムです。相手の行動やその理由を理解できないので受け入れられず、たとい話合いをしても心が閉ざされていては謝ることが出来ません。その結果、お互いに苦しい思いは続き、損をしあっています。
たとえば、幼い兄弟や友だちの間で、おもちゃや、絵本の取り合いがきっかけで喧嘩が始まることがあります。「喧嘩しちゃだめでしょ」と怒鳴って二人を引き離したりするお母さんもいれば、しばらく放っておいて「どうしたの」と介入し、二人の手をとって、それぞれの言い分を聞いて仲直りを促して「ごめんね」を引き出せるお母さんもいます。
仲直りは幼児にも通じる言葉ですが和解は大人の言葉です。元々は法律用語で「当事者間に存在する法律関係の争いについて、当事者が互いに譲歩し、争いを止めさせることをいう」とあります。つまり争いがある関係に仲介者を立てて折り合いを図ることをさします。それが個人間で解決できる程度もあれば、訴訟になって裁判で和解が勧告されることもあります。
日本語の旧約聖書で和解とされた場面のほとんどは「和解の献げ物」という犠牲と結びつけられています。面白いことに「平和にする」「和平を図る」「神と関係を回復する」というシャロームと同意の言葉です。
新約聖書ではマタイ5章25節のイエスの教えに一つ、パウロが10回も多用する和解「カタラッソー」の元来の意味は「等価なものと交換する」ということです。それだけでは和解につながりませんが、「いつの間にか不釣り合いな状況になった関係を、本来の公平な基準に戻す」ことだと通じます。 また、英語の「リ・コンシル」はラテン語の「再び呼び出される」からきた言葉で、私なりに解釈すると「最初の呼び出しで結んだ関係を、もう一度呼び出されて正しく結び直す」とすれば、悔い改めの意味と重なります。結果、平和「エイレーネー」と深い関係にあると思います。
第2コリント5章の他に、エフェソ書4章には「実にキリストは私たちの平和です。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律づくめの律法を廃棄されました。こうして、キリストは双方をご自分において、一つの新しい人に作り上げて、平和を実現し、十字架を通して両者を一つの身体として神と<和解>させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」とあります。
神は人間が正しく生きるようにモーセの律法を人間世界に与えました。喜んで受け入れた人もいれば、無視したり聞き逃した人々もいたはずです。
パウロは喜んで受け入れた一人で、さらにエルサレムに留学し、律法の精神と行動を身につけました。その結果どうなったかというと、学べば学ぶほど、励めば励むほど、律法をないがしろにしている人への軽蔑や憎しみが増したのではないでしょうか。それだけではなく批判は自分に向かいました。律法に徹底して従いたい自分と従い切れない現実に、心が分裂して苦しみが募りました。マルチン・ルターもパウロとそっくりな葛藤で苦しみました。
さて、パウロはなぜ激しく教会と信者を攻撃したのでしょうか。第1に、イエスの声を直に聞いたことがなく、その評価が正統派ユダヤ人の立場からだったこと。第2に、死をも恐れないキリスト者は自分が抱える葛藤(ローマ7章24節)ゆえに、偽善者集団か反体制の一味だと決めつけていたのではないかと私は思うのです。
一方、イエスの立場は律法主義とは正反対です。その具体的な表明がマタイ福音書5章から7章にかけて書かれています。
神の戒めである律法は、そもそも人間を幸せにするためのものです。その原則は「聞く耳のある者は聞きなさい」と「聞いているだけでなく行いなさい」の二つです。イエスの言葉をなるほどと思うのと、生活で実践するのとは全く違います。分かったつもりが、とても出来ないことだと痛感します。
そうだとしても、御言葉を聞かなかった前と、御言葉に期待して行った後では、自分と相手の、心も状況も変わっているという経験をするのです。
それが聖霊の働きです。祈りは聞かれているとイエスに委ねきって祈ると、状況は何ひとつ変わっていないように思えるのに、ある時「祈りは聞かれていた」と気づかされます。何という不思議、畏れ多い喜びを感じます。
福音書を書いたマタイも最初は自分勝手な解釈だったに違いありません。しかし先生であるイエスがいつも父なる神に祈り従っておられたこと、それゆえ十字架で殺されたこと、復活の目撃者になったことか彼を変えました。
巻き添えを恐れて見捨てたにも関わらず自分たちの真ん中に現れて「シャローム」と声をかけ、魚を食べ、念入りに御言葉を教えて下さったのです。
こうして弟子たちは新しい人とされて御言葉を正しく理解しました。
マタイは「人には出来ないが、神には何でもできる」という信仰に立って喜びの体験録として福音書を記し、イエスの教えを紹介しています。
「目には目を、歯には歯を」は、仕返しを拡大させない掟です。今イスラエルの政府は、この教えを知りながら、相手を抹殺しようとしています。
「悪人に刃向かうな」「右の頬を打たれるなら左の頬も向けなさい」「訴えて下着を取ろうとする人には上着も」「1ミリオン強制するなら2ミリオンを行きなさい」「求める人には与え、借りようとする人を拒まない」
どれも無理難題です。私たちにはとても出来ないし、その様なことがまかり通ればこれまでの秩序は壊れてしまいます。それは誰でも予想できます。
しかし、一つ一つを丁寧に考えれば、すべて同じ事を言っているのです。たとえ、相手の憎しみから受けた傷にせよ、行き過ぎた正当防衛から相手を殺したら争いは解決しません。むしろ報復の連鎖が生まれるだけです。
それをストップさせるのは、イエスの教えを真に受けた勇気ある人々です。80年前のインドはイギリスの植民地でインド人がインド人をひどい不道徳で支配しました。若きガンジーは法律が正しく執行されるならインドの状況が変わるの信じ、イギリスで弁護士になりました。しかしひどい人種差別に晒されます。失意の内に帰国しますがやがて不服従運動を自ら始めました。その運動のアイデアはイエスの教えにあり、苦しい闘いの中でユーモアにあふれた運動になっていきました。イギリス人記者の質問に「クリスチャンはイエスを信奉してはいるが、彼の教えは実行しない」とユーモアで答えたと通りです。ユーモアは相手の人間性に投げかける知恵から生まれる言動です。ガンジーは、敵を赦すことに反対だった支持者に暗殺されてしまいましたが、その後、公民権運動や非暴力による市民運動に受け継がれています。
イエスは一般論を語りません。「わたしについてきたい者は、自分の十字架を負ってわたしに従いなさい」と迫ります。これには尻込みしますしハードルが高すぎます。私たちはこの高いハドルに挑めない者ですが、イエスは私を、私たちを選ばれました。その選びを信じているから、私たちはイエスを「主」として仰いで従う者、従いたいと励む者にされているのです。
ですから、それは無理というようなことも、「イエスには出来る」と信仰にかけて1歩踏み出す根拠があります。そのときイエスは一緒に歩いて下さいます。保証人、仲介者、弁護士、カウンセラーとして心強い方なのです。
人生に争いはつきものです。だからイエスを弁護士としてお願いし、どんな相手とでも和解できると信じて、争いから逃げないようにしましょう。
見ない、聞かない、言わない、という染みついた処世術を脱ぎ捨てることができるよう祈りましょう。勇気を主イエスからいただきましょう。
人生は四苦八苦で終わりません。イエスが一緒にいてくださる人生。臨在の信仰は先輩たちからの遺産です。何と幸いな旅に招かれたことでしょう。
(参考までに)
日本のプロテスタント教会では、11月の第2日曜から1週間を「障害者週間」としています。政府が定めた「障害者の日」は12月9日でした。
この日付は1975年の国際連合「障害者の権利宣言」採択の日にちなみます。2004年に障害者基本法が改正されたのに伴い「障害者の日」は消滅しました。その後も「障害者の日」を覚えて運動が継承されています。
教会は遅ればせながら「障害者週間」を制定し残していますが、どれだけ実効性のあるものになってきたでしょうか。ところで「信州なずなの会」はこの日を覚えて総会と交わりを行ってきました。創立から42年になりますが、当初は「思いやりの会」でした。障害者を助け、障害者に福音を拡げることを目指しました。しかし、健常者と障害者に二分する考え方を反省して現在の名前になりました。キリストを頭として共生を願う長野の市民活動です。
今日は聖徒の日です。この教会のつながりの中で人生を終えた兄弟姉妹を覚えます。会員だけでなく、私たちの家族や友人、知り合いを含む、ときに関係のとりかたが難しかった人々も含んで、こころに蘇らせています。
神は人を分け隔てなく愛される方です。子として誰にでも責任をもって一緒に歩き通されるからです。まず、この事実を振り返って感謝しましょう。
さて、日本では人が亡くなった日を命日と呼んでいます。49日、1周忌とか1回忌、3回忌に僧侶を招いて法要する家もあります。33回忌の法事は特別です。残された家族もぐっと歳をとり、故人を知らない孫やひ孫の世代になっています。一方、死者の霊魂は祖先神に昇華すると信じられ家族の守り神として記憶されていきます。これは土着した仏教と神道が融合した考え方です。この「回忌」という言葉には「いむ」という字がありますが、死者の穢れがわが身に染らないように避けることなのです。
聖書はそうではありません。人を意味する言葉が2種類あって、一つは土の塵(アダマー)から形造られたので「アダム」と呼ばれます。もう一つは「エノーシュ」で、儚いもの、壊れるものです。この土で造られた器に、神の生きた霊が吹き込まれて「人は生きるものになった」と聖書は伝えます。だから人は神の「息がかかった」存在で、神にこそ命がかかっています。
さて、詩篇90篇はこのような信頼の告白から始まります。
「主よ、あなたは世々に、わたしたちの宿るところ」「住むところ」という翻訳もあります。とても具体的です。衣食住です。裸ではなく、住む家があり、一緒に暮らす家族や社会があります。また生きるために食べます。当たり前のことですが、赤ちゃんの成長にたとえればもっとリアルです。
ドイツ文学者の小塩節(たかし)さんの講演で聞いたのですが、第二次世界大戦後に連合国がイタリアを統治したとき、日本のGHQと同じですが、戦争孤児になった乳児を集めて育てたそうです。担当者は赤ちゃんに清潔な環境と十分な栄養を与えようと配慮しました。
一つの部屋に幾つものベットが並べられ、赤ちゃんはきちんと管理されました。あとで意外なことが分かったそうです。風通しがよく陽の光が届く窓際ではなく、騒音や時にほこりっぽいドア近くの赤ちゃんの方が元気だったです。観察したところ、出入り口の赤ちゃんは掃除係や通りがかりの人から声を掛けられたり撫でられたりしていたことが分かりました。暖かい言葉がけとスキンシップが幼児の成長にとても大事なのだと小塩先生は感慨深く語りました。
詩篇90篇は、教会のお葬式でよく読まれる御言葉です。10節に「人生の年月は70年ほどのものです。健やかな人が80年を数えても、得るところは労苦と災いに過ぎません」まるで仏教の「四苦八苦」のようです。
四苦とは生老病死のことで、生まれてすぐに始まる苦しみのこと。時代や親を選べない運命もです。誕生と同時に老いが始まります。また病気や不幸が何度も降りかかります。8苦の残り4つは関係の苦しみです。長く生きれば親しい人々に先立たれ、取り残された孤独の苦しみを味わいます。他方、相性の合わない人、住みにくい世間で生きていかなければなりません。あれこれ願っても自分のものになりません。執着に縛られ悩みは尽きません。
108つの除夜の鐘は、四苦八苦の煩悩のことだと言われています。
しかし、聖書は反対です。人の命は最初から祝福されたものです。祝福が見えず感じられないのは、神と断絶している世界に心が向いているからではないでしょうか。ルカ福音書に出てくる息子は、自分の思うままの世界に飛び出し、その厳しい現実の中で人間の冷たさと自分の愚かさを知りました。かつて父の息子であったという関係を思いだし、雇い人でも良いという謙虚な心が生まれて、あのような結末になりました。祝福の関係から飛び出し、罪の状態で苦しんで、最初の祝福に戻る希望を見つけたのです。父の祝福は最初から少しも変わっていませんでした。
詩篇90篇はモーセを偲んだ祈りと紹介されています。
モーセは信仰の民イスラエルの子として生まれながら、数奇な運命でエジプトの王子として育てられ、青年時代に同胞が弾圧されている場に遭遇し、感情的な正義感からエジプト人を殺してしまいました。告発されるのを恐れたモーセは、遠く離れたシナイ半島のミデアンに逃亡し、80歳まで羊飼いとして平凡に生活しました。ある日、炎の中に現れた神の言葉が迫り、奴隷となっている同胞をエジプトから解放するように命じられました。しかしモーセは自分にその様な力量はないと2度も尻込みし、神の召命を避けたことがありました。
モーセは死後「神の人」と呼ばれましたが、その生涯は、神の言葉と、神を信じきれないイスラエルの民との格闘だったと思うのです。
約束の地に向かう旅は回り道となり40年も停滞しました。この間、モーセを支えたのは「わたしがこの使命に遣わすのだ」「わたしは必ずあなたと共にいる」という神の約束であり、旅の中で育まれた「世々とこしえにあなたは神」という信仰だったと思います。そして「人の子よ帰れ」と聞いたとき、長く苦しい彼の使命は終わりました。40年の日々はあっという間の出来事のように思われ、約束の地をこの目で確かに見たという満足、ヨシュアが引き継いでくれるという確信が残りました。そして一人、ネボ山の頂きで静かな死を迎え、神が葬って下さったのです。
さて、今朝の週報に創立から今日まで、この教会につなげられ、信仰の道を歩んだ人々を紹介しました。亡くなった年齢が28歳から96歳まで、神に選ばれて信仰に生きた小さな群れです。聖徒とは、神の計画の中で選び分けられた人々という意味があります。(個人的な内容を含むので中略)
パウロもまた、自ら福音の使者になったのではありません。復活のキリストがパウロを選んでしっかり捉え、律法の義という鎧を<目から鱗が落ちるように>取り除いて新しい人に作り替え、福音の未開拓地に遣わしました。晩年、パウロがフィリピの友人に書き送った喜びと感謝の手紙が残されています。
「わたしは既にそれを得たとか完全な者になったわけではない。何とかして死者の中からの復活に到達したいと、ひたすら身体を伸ばしてきた」と告白します。
パウロの原動力はキリストの臨在です。「勇気を出せ。語り続けよ。わたしはいつもお前と共にいる」コリントで見た幻に導かれ、十字架のキリストだけを語り、宣教という愚かな手段を頼りに、愛に突き動かされた旅を続けることができたのです。
フィリピ教会が福音に生きていることを確信して喜んでいる一方で、そうでない人がいるという相談を受けたとき、涙を流して訴えます。この世のことに埋没している友よ、天の御国をめざしキリストを追いかけなさい。必ずキリストは迎えに来られる。卑しい体がキリストに似た栄光の体に変えられる、その時に備えよと。
わたしたちは今朝、モーセの証しとパウロの渾身の叫びを聞きました。
今日までの命と、主にある交わりを感謝します。もし、悩みや苦しみが心を暗くしているなら、赤ん坊のように泣きましょう。キリストは必ず聞いていて下さり、人生の終わりまで変わりません。生まれたときから愛され、信じた時から神の独り子に、友と呼ばれるようになったのですから。
「人の子よ、帰れ」という御声を聞き逃さないように備えましょう。そして「はい、お願いします」と霊を返して、天の国に帰ることができる日を待ちましょう。
ノンフィクション作家の柳田邦男さんの『わが息子・脳死の11日・ 犠牲』は、次男の洋二郎さんが長い苦しみの末に25歳の時、自死をはかり、脳死状態の末に親として臓器移植を決断するまでを記した作品です。この中で「2人称の死」という表現が出てきます。
2人称の死とは家族やかけがえのない人の死を意味します。君とかお前と言い合えた間柄で、その死はひどい悲しみや痛みを伴います。3人称の死は彼らとか人数で表せる死のことです。そして1人称の死は、自分のことで、死んでしまえば、もう自分では考えることはできません。
今、世界で引き起こされている虐殺や戦争被害者に対して、私たちは心が痛みますが、自分の生活や生き方に関わり、犠牲を伴わないならば他人事(ひとごと)に過ぎません。しかし、愛する人、かけがえのない人の死を目の当たりにした時に、2人称の死として迫ってくるのです。
同時に、これまで生かされてきたことの不思議さと、今日まで何と守られてきたか、しみじみと感謝が湧き出るのではないでしょうか。
さて父ヤコブが亡くなると、ヨセフは顔の上に崩れ落ちて泣き、別れの口づけをしました。わたしも父が亡くなったとき、顔をじっと見つめ額に手をあてて別れをした覚えがあります。
50章の2節から14節まではエジプト流の遺体処理と、王に並ぶような70日に及ぶ喪の期間のあと、ヤコブの遺言に従って神が与えて下さったカナンの地まで遺体の行列がつづき、先祖が葬られているマクペラの洞窟に葬られた様子があります。
さて、親が死ぬと、悲しみの後に厄介な問題が表面化することがあります。
墓の問題とか相続にまつわる争いなどです。ヨセフの兄たちの間に生じた大きな不安は、それまで家族の大きな絆だった父がいなくなったことで、ヨセフが仕返しをするのではないかという疑いでした。
そもそも、ヨセフがエジプトに居ることは、兄たちの悪巧みが原因です。いきさつは37章に生々しく描かれています。39章から41章には、ヨセフが誠実に働く姿と、それにもかかわらず周りの人間の嘘と無責任さから負わされた試練が記されています。見逃してはならないのは「主がヨセフと共におられたので」というキーワードが何回も挟まれていることです。そして45章になって、ついにヨセフは兄たちと再会します。
ヨセフが多くの難民の中に兄たちを発見した時、驚きとか喜びよりも、忘れていた恨みが脳裏をかすめたかも知れません。どうか食料を売って下さいと懇願する兄たちに不可解な無理難題を要求しているからです。
しかし何度かの対面をへて、兄たちが弟ベニヤミンに深い愛情を抱いていることや、年老いた父親を深く気遣って居ることが分かり、恨みは消え「主が共にいてくださった」ことをはっきり悟ったと思われます。
「今はわたしをここに売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。民の命を救うために、神がわたしを、あなたたちより先にお遣わしになりました。なぜなら、この国に残りの者を与え、あなたたちを生きながらえさせて、大いなる救いに至らせるためです」と言って、兄たちを慰め、長い間の別離を神の救いの出来事として語っているからです。
兄弟たちは水入らずで食事をしました。こうしてヤコブと一族はエジプトで暮らすことになりました。
17年が経ちました。この間に一族はゴシェンで増え拡がり、ヤコブが世を去りました。この時、兄たちはヨセフに使いをやって、こう言わせました。
「お父さんは亡くなる前にこう言っていました。お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの罪と咎を赦してやって欲しい」本当にヤコブはそう言い残していたのでしょうか。
これを聞いてヨセフは泣いたとあります。不思議な反応です。
仕返しをずっと恐れていた兄たちを不憫に思ったのか、あの時の言葉を素直に受け止めてくれなかったのが口惜しかったのかも知れません。
兄たちは「この通り、私たちはあなたの奴隷です」と言ってヨセフの前にひれ伏しました。これを見てヨセフは優しく告げます。
「どうして、わたしが神に代わることができるでしょう。兄さんたちは悪を企みましたが、神はそれを善に変えて下さいました。多くの命を救うためです。それでこのように家族が増えたのです」あの時の言葉と同じです。
かつてドイツのワイツゼッカー大統領が「荒野の40年」という演説で、若い世代に語りました。「祖国が犯した恐ろしい犯罪であなたたちに直接的な責任はありません。しかし、この罪を自分と無関係だと考えるなら、将来再び過ちを犯すことになります。この歴史を胸に刻まなければなりません」と。ナチスはユダヤ人やポーランド人はもとより、少数民族のロマや障害者を根絶やしにしようとしました。戦後ドイツは国家の罪を公に謝罪しました。その負い目のためか、イスラエルが国家存亡の大義としてパレスチナ世界に行ってきた理不尽な支配と暴力に対して強く抗議することができません。それは政治的立場からでしょう。
難しいことですが、悪は悪という認識がなければならないし態度表明は大事です。日本とアジア諸国、とりわけ韓国朝鮮の人々との間に未だに心の壁があるのは、政府として誠実な謝罪がないからだと私は考えています。
国家的な犯罪やテロリズムの犠牲になった人々への償いは容易なことではありません。しかし、神さまの真実は、人間の常識とは正反対です。希望の道が残されているのです。
まず神の赦しがあり、その赦しの根底にある愛を経験してこそ罪の自覚が生じます。「わたしは神に代わって裁くことはできません。あなた方は悪を企みましたが、神はそれをも善に変え多くの民の命を救って今日のようにして下さったのです」このヨセフの証しの言葉こそが、憎み合う世界の希望ではないでしょうか。
ヨセフの2000年後、主イエスは「あなたの敵を愛しなさい。自分を迫害する人のために祈りなさい」と教え、ご自分の命を差し出されました。
パリサイ人として胸を張っていたパウロは、イエスに従う人々を根絶やしにしようと必死でした。ところが復活のイエスはパウロを不思議な力でしっかり捉え、新生させ、神の愛を濁りなく見ることのできる目を与えました。「目から鱗」とはこのことです。そして異邦人への使徒として人生の目的を与えました。この新生へのできごとが赦しなのです。
パウロは身をもってこう告げています。「愛する者よ、自分で復讐せず、神の怒りに委せなさい。」「復讐は主のなさること」「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませなさい。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」「悪に負けることなく、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」と。世界が恐ろしい罪から解放されるまでには、望まない大きな犠牲を払わされている人々がいるのは確かです。
最後に葬りについて。ヨセフは自分の葬りについて具体的な遺言をしています。今日の日本では、さまざまな思いや事情で先祖や家族の墓に入りたくない、入れない、あるいは墓じまいという時代の流れがあり、海や山に散骨したり樹木葬が可能になりました。そういう時代ですから、信徒個人の葬りにも教会墓地のありかたにも課題があります。
モーセは使命を成し遂げると一人でネボ山に入って死にました。墓はありません。イエスは墓に葬られましたが、復活されて墓は空っぽになりました。迫害の時代のキリスト者の遺体は、地下通路のくぼみに積み重ねられました。「私たちの国籍、故郷は天にある」という希望の表明が示したとうりです。
ヨセフも、ヤコブもエジプトで死んでミイラにされました。そして二人の遺言の趣旨は同じです。「神は必ずあなたたちを顧みて下さいます。その時には、わたしの骨をここから携え上って下さい」と。
約束の地に帰ることを心から望み、神の支配を信じて眠りについた信仰者の証し、イエス・キリストの慰めと命令は、この世に遣わされた信仰者の、確かな道であり希望なのです。
先週は「老いと教会生活」というテーマで修養会をしました。共通の話題として、「老いの心配」「老いの迎え方」について実情と思いを語りました。特定の結論に結びつける意図はありませんが、それなりに、家族の理解と支えがあるから、教会の仲間と信仰生活を続けていけること、信仰の遺産をどうやって言葉や好意で渡していけるか等のヒントになったと思います。
その点で創世記は大変興味ある物語です。時代背景は大きく違いますが、アブラハム、イサク、ヤコブが生身の人間として晩年をどのように過ごしたのか、神から授かった使命をどのように生き、子どもたちにバトンタッチしたかを見せてくれる壮大な物語です。
ヘブライ人への手紙の11章13節以降には「これらの人々は皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげた」と記されています。人生の最後に「はるかに行き先を見定め、それが喜び」というのが信仰生活を支える力です。
さて、父親に最後の時が迫っているという知らせがあってヨセフは息子のマナセとエフライムを連れて駆けつけました。兄たち10人も続きました。
ヨセフに呼び寄せられたヤコブは、17年もエジプトで暮らしました。
「お前の顔を見ることができようとは思わなかったのに、何と神はお前の子どもたちをも見させて下さった」と感謝が溢れています。とうとう、お別れの時がやってきました。悲しい場面ですが、ヨセフには何より大切な仕事が残っていました。それは、父から祝福を受けることです。
古代の人々にとって、あるいは、明日はどうなるか分からない世界に暮らす人々にとって、祝福とは「いのちの力」を授かることです。神からの祝福を支えに生きてきた親から、今度は自分や子孫が神から特別な力を授かって生きていくために「言葉による保証」がどうしても必要なのです。
ヤコブは孫の二人を膝の間に抱きかかえて口づけをしました。それから、ヨセフは目がほとんど見えなくなっていた父親が間違わないように、長男のマナセをヤコブの右手側に、次男のエフライムを左手側に立たせました。
この時、思ってもみないことが起きました。父が腕を交差して、右手をエフライムに、左手をマナセの頭の上に置いたのです。長男として特別な祝福を受けさせるため右側にマナセを立たせたのに、ヤコブは腕を交差させて左手を置いたのです。思わずヨセフは「お父さん、それは違います」と言って、父の右手をマナセの頭に移そうとしました。
ところが、父はそれを払いのけて「いや、ちゃんと分かっている。間違ったのではない。この左手のマナセも祝福されて大きくなり繁栄するに違いない。しかし、弟のエフライムは兄より大きな祝福を受け継ぐのだ」と言って祝福の祈りをしました。20節以下です。直訳すると、
「お前たちの名をもって、イスラエルは祝福するであろう。神があなたをエフライムとマナセのように据えて下さるようにと。」つまり、この孫への祝福はずっと後の子孫の間で、このように兄と弟が入れ替えられたように、人の思惑とは違った仕方で、あなたを祝福する」という預言にもなりました。
振り返って見れば、神はアブラハムの長子イシュマエルを退けて、2番目の息子イサクを祝福しました。ヤコブは父イサクを欺いて兄エサウから長子の特権を横取りしました。その意味が分かるためには長い長い苦労の人生が必要でした。
そして、ヨセフはマナセが右手で祝福されることを願いましたが、弟のエフライムが右手の祝福を授かったのです。
こういう逆転の物語は旧約聖書に沢山あります。ダビデは8人兄弟の末っ子でしたが、ユダ王国の王になり、信仰においてはイエスの先祖となりました。
臨終の床であった出来事は、人が神の祝福に関わるときに、決して無視してはならない警告を示しています。神の聖なる祝福を、人間の序列や利害で与えたり、受けるべき人から奪ってはならないという、神の御心が示されているのではないでしょうか。
さらに別の視点から考えると、この時ヨセフはファラオに次ぐ権力者であり、国家祭司の一族になっていますから宗教の頂点にも立っていたのです。
そういう意味で、死にかけている羊飼いの老人から祝福される必要はなかったはずです。ところが、父からの祝福を何より重要と考えたことは、この世の権力者に上り詰めながらも父の神、イスラエルの神を忘れたことがなかったからではないでしょうか。
それゆえに、異境の地で生まれ育った二人の息子に、世を去っていく祖父の姿をしっかりと見せ、目には見えないけれども歴史の神の存在を教えたかったのだと思います。新共同訳では省略されているのですが、「見よ」という注意を喚起することばが、1節、2節、21節と3回も挟まれています。
さて、旧約聖書の世界では、祝福は父から子へ、男から男へという物語になっていますが、イエス・キリストの到来によって、民族も、身分も、男女の違いも越えられています。おばあちゃんの信仰を見て息子が信仰に出会い受け継ぐことも、おじいちゃんの信仰を見て、孫娘や息子の連れ合いが信仰の生活に入ることもたくさんあります。血のつながらない人々の間で、信仰が受け継がれていくことも、珍しいことではありません。
神は混沌とした世界に光をもたらし、正義のないところに神さまの御心を打ち立てられます。そのために、この世で無に等しい身分の人から世界を変えていく人を選び出し、経済力や知識で人を支配する者を最後には追い出されます。
私たちの幸いは、この神の自由な決定と選びにかかっているのですが、その真実から目をそらすのが人間であり、それが罪の姿なのでしょうか。
最後にパウロの言葉を聴きましょう。コリント教会で、モーセの掟とキリストの福音の間で揺れ動かされていた信徒たちに「あなた方は、キリストご自身があなたがたの心の板に書いた手紙です」と言っています。このたとえは、2枚の石の板に刻まれ重んじられていた十戒に象徴される律法に「ねばならない」と受け取って「文字に縛られて」いないで、キリストから送られる聖霊が「心の板」に祈りを通して示される生きた律法によって生きなさいと励ましているのです。誰の推薦も必要ありません。キリストに選ばれたという信仰が大事なのです。
誰でも肉体も気力も衰えていきます。しかし、土の器ではありますが、神の宝を宿し、そこから発せられる光が、私たちのひび割れや欠けから漏れ出すように、欠点でさえ神の恵みを証しする光として用いられ、この世を照らす小さな光となるのです。本当に感謝な人生です。
今日は礼拝に続いて修養会「老いと教会生活」があります。それでヤコブの最後の日々のやりとりをモデルに、私たちが最後を迎えるときを考えてみます。
147歳になったヤコブは、世を去るときが近いことを悟り、最愛の息子ヨセフを呼んで「私が死んだらエジプトには葬らないで欲しい。遺骨は必ず、祖父たちが授かった土地へ運び出し、先祖と共に葬って欲しい」と遺言しました。そして「必ずそうする」とヨセフに誓わせました。
間もなく、ヤコブが床に伏しているとの知らせがあり、ヨセフは息子のマナセとエフライムを連れて枕辺に駆けつけました。
この時、ヤコブは力を振り絞って体を起こし、ヨセフの二人の息子をもらいたい伝えました。つまり養子にするのです。この時二人はヤコブのそばにいましたが、目がかすんで見えませんでした。それで「これは誰だ」と尋ねます。ヨセフは「これが神がこの地で授けて下さった、私の息子たちです」と答えました。
この状況、最近ではとても珍しい、実現が難しい看取りの場面です。病院で色々な機械やチューブにつながれたまま「ご臨終です」と言われるのではなく、ヤコブのように家族に囲まれ、感謝の言葉と希望の証しをするチャンスが欲しいなーと、思うような年齢になりました。
こうして目がかすんだヤコブは、孫を膝の間にかかえて口づけし、抱きしめました。ヤコブはしみじみと、自分の歩んできた道を振り返りました。
「お前の顔さえ見ることができようとは思わなかったのに、何と、神はお前の息子たちをも見させて下さった」と。聖書はこの場面を「イスラエルはヨセフに言った」とあります。
ヨセフは父の言葉と自分の人生と重ねて思い巡らしていたかも知れません。なぜなら、この親子はとても似た性格の持ち、似たような境遇を歩みました。
振り返るとヤコブは若い頃、老いて目がかすんでいた父イサクを欺して兄エサウから長子の特権を横取りしました。これを知ったエサウは弟の命を奪うほどに腹を立て、ヤコブは故郷を追われる身になりました。
旅の途上で夢を見ました。天まで伸びている梯子を天使が上り下りしているのです。そこに神が現れて言いました。「私はお前の父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。見よ、私はお前と共にいる。お前がどこに行っても、わたしはお前を守り、必ず父祖の地に連れ帰る。この約束は必ず果たされ、決してお前を見捨てることはない」と。
目がさめたヤコブは「ここは何と畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家だ。ここは天の門だ」と叫んで、枕にしていた石を記念碑として立て、先端に油を注ぎ、その場所をベテル(神の家)と呼びました。
寄留した叔父ラバンの家では、ひどい扱いを受けました。しかし、そこで叔父の娘レアとラケルと家庭を持ち12人の息子と一人の娘を授かります。こうして20年も叔父にこき使われますが、持ち前の知恵によって立ち回り財産を蓄え、全財産と家族を携えて遠い故郷に帰ろうとしたのです。
そして、あのベテルまで来たとき、何と再び、神が現れて告げました。
「お前の名はヤコブである。しかし、今からイスラエルと呼ばれる」と。
ヤコブとは「神は守って下さる」という意味でしたが、彼の若いときの行状から「人の足をひっぱる狡猾」という意味が加わりました。そして、新しい名イスラエルとは「神と闘うとか、神と共に支配する」という意味になりました。
「私は全能の神である。産めよ増えよ。お前から多くの民の群れが起こり、お前の腰から王たちが出る。わたしはアブラハムとイサクに与えた土地をお前に与える。それはお前に続く子孫も同じだ」と。驚きと希望を抱いたのも束の間、故郷を目前に、愛する妻ラケルは難産で死んでしまいました。
それから十数年後、穏やかな日々が突然、悩みの日に変わりました。ラケルが産んだ子ヨセフが行方不明になってしまったのです。兄たちは、野獣に食われてしまったと父ヤコブに報告しましたが、それは真っ赤な嘘でした。父の好意を独り占めにしていた弟への妬みがありエジプトに売り飛ばしたのです。
面白いことに、若い頃のヤコブもヨセフも、野心家であり、苦境にあっても知恵で立ち向かえる逞しい人物ですが、信仰面では「神を利用する」タイプでした。けれども神はそのような人を選び、苦しめて訓練し、性格も信仰も作り替えて、特別な使命を与え、祝福を与える人にされたのです。
それだけではありません。妬みと偽りでバラバラだった家族を再び一つにして下さいました。ヨセフは兄たちに言いました。「もう、私を奴隷として売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために神は私をお兄さんたちより先にエジプトにお遣わしになったのです。わたしが異国に連れて来られたのは、神の大いなる救いのためなのです」
話しを元に戻します。ヤコブは両手を伸ばして二人の孫の頭に手を置き、ヨセフを祝福します。この場面を新改訳で読んでみます。
「私の先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。
今日の今日まで、ずっと私の羊飼いであられた神よ。
すべての禍から私を贖われた御使が、この子供たちを祝福して下さるように。私の名が先祖アブラハムとイサクの名と共に、彼らの内に受け継がれますように。また、彼らの地のただ中で、豊かに増えますように」
以上が旧約時代の祝福ですが、新約時代になると祝福は、イエス・キリストの十字架による罪の赦しと復活の命を信じるという信仰によって、民族や立場を超えて拡大されました。再び新改訳で読みます。
「これらの人たちは皆、信仰の人として死にました。約束のものを手にいれることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。このように言っている人たちは、自分の故郷(ふるさと)を求めていることを明らかにしています。もし、彼らが思っていたのが、出てきた故郷だったのなら、帰る機会はあったでしょう。しかし、実際に彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。」
天の故郷(ふるさと)に向かう旅とは何でしょう。原文では天にある市民権を、あたかも地上で手に入れたかのように喜ぶ人々を表現しています。
この世では寄留者でありよそ者に過ぎませんと宣言する人を、神は喜んで迎えて下さいます。そのように神に向かって歩む人は、ヤコブやヨセフのように思いがけない試練に翻弄されることもありますが、その中で導かれ、思わぬ出会いによって、生まれながらの性質を徐々に打ち砕かれ、この世から神のご支配の方に買い戻されるのです。ヤコブはヨセフの二人の息子を養子にしていますが、キリストを信じて生きる決心のバプテスマは、それまでの人生に区切りを付け、神の養子とされ、つまり神の子とされて、十字架のイエス・キリストを兄として生きる恵みへ入れられていくのです。
こうして、互いに励まし合い、遙かに目的地を見定めるという信仰を抱きながら子や孫を祝福し、神の家族に連なる人に宝を相続させ、体一つになって平安のうちに、命の息を神さまにお返しします。
どんなに優秀な人にも、信仰の篤い人にも、自分の力ではどうすることもできないのが命と死の問題です。ただ、イエス・キリストの送って下さる聖霊の働きに身を委ねる人において、無償で実現するのです。
☝Point1主の祈りにすべてが込められている
祈りの原点である。
☝Point2 祈りは顔と顔を合わせるように
取引の祈りや要求・願いは×(~ならば・・・します)
聖霊の働きがそそがれ、あなたの声を、あなたの顔を私に向けて欲しい。
☝Point3 「アッバ、父よ」という霊の働きによって祈ることが赦されている。
求めなさい。そうすれば与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探すものは見つけ、門をたたくものは開かれる。
☝Point4 外からの真剣な求めに対して祈りが与えられる。
天の父は求めてくるものに聖霊をくださる。
☝Point1 相手がある(神様)
祈りは聞くことから始まる。
サムエル「主よ、お話しください。僕は聞いております。」(サムエル記上3章10節)
☝Point2 特別なタイミングがある(ルカによる福音書11章1節)
☆3つのそもそも
①ユダヤ人は子供の時から父から祈りの手ほどきを受けていたので、祈ることは十分に知っていたが、”何か”が足りなかった。
②彼らはイエスに従ってきた人たちだった。
③弟子たちは、イエスが朝夕の祈りをしていたこと、または日没になると一人で夜中祈り、朝になって弟子たちの前に再び現れたのを知っていた。
弟子たちは「自分たちにもその(新しい)祈りを教えてください。」と求めた。イエスは教えた。
⇒求めた時に与えられた。
☝Point3 主の祈り(ルカによる福音書11章2~4節)
『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』
☝Point4 素直に、あきらめずに、しつこく祈り続け、神様からの働きかけを聞き取って、それに応えることである。
日本語の「手ほどき」とは、古武道の所作からきた言葉で、「生きるか死ぬか」に関わること。
ヘブライ語で「手ほどき」は「裁く、吟味する」の意味。つまり、神様に誠実に向き合い、危機の状態にあるなら、素直に「助けてくれ」と祈るべき。
もう一つ「ひざを曲げる」と言う意味がある。神の前にひざまずき祈ると、どんなに自分が小さな存在かを知る。
また、わたしたちが祈れるのは、祈ろうとするのは、聖霊が働いて、「祈る」思いを起こさせてくれるからである。救われている証しとして親しく「アッバ父よ」と呼ぶことがゆるされていて、祈りに導かれているからである。
パウロは言った。「どんな時にも絶えず祈りなさい。」それによって安心、希望、確信が与えられ、永遠の命があるという励ましと感謝で終わるのです。
Summary of “Living as you are called by the God”
☝Point1
ペトロはガリラヤで最初に仕事の場でイエスに出会い「人間をとる漁師として」召され、12人の弟子と共にイエスに従った。3年後、過ぎ越しの祭りでイエスが捕らえられると、弟子たちは散り散りに、ペトロはイエスを3度「知らない」と否定した。イエスは十字架につけられた。(ヨハネによる福音書18章15~27)
☝Point2
3日後、ペトロはガリラヤで復活のイエスに会い、「羊飼い」として2度目の召命を受けた。信じる人の群れが聖霊によって、イエスを見て、信じることで、輝きに満ちた喜びが生まれ、それによって「魂の救い」を人々に証しする。(ヨハネによる福音書21章1~17節)
☝Point3
神様に召され、育てられて羊飼いとして働く中に、いつでも新しい出発のチャンスが与えられている。創造の「父」、苦難と赦しの「子」、教会を産み育てる「聖霊」とが一つとなって、この世とわたしたちを愛してくださる。その愛に背を向けたり、遠慮するとその愛が届かないが、神の懐に飛び込めば神の栄光を見ることができる。わたしたちを乗せた方舟の行きつくところ、「神の国」に辿り着くまで、キリストを伝えるのが、わたしたち羊飼いの務めである。
この世を希望と喜びの世界として創造した神をほめたたえましょう。
序:今日は聖霊降誕日
イエス・キリストが復活されてから、50日目、エルサレムに集まっていた弟子たちの聖霊が注がれ、それが今日の教会の始まりとなりました。
今は聖霊の導きのもとにある時代です!
☝Point 1
「霊的に生きる」ということは、私たちの体、日毎の生活、生き方に関わること!
☝Point 2
あなたがたの体こそが聖霊の宿る神殿なのだ(1コリント6:19)
動くことのできない石の神殿ではなく、一人ひとりの体と生活、そして人々が共に集い、生きることの中に聖霊が働き、神の栄光、輝きが現れ出るのです。こうして、一人ひとりの生き方、生活そのものが神の心の表れの場所となり、また、それを現すことは私たちの使命ともなります。
☝Point 3
自分の体で、神の栄光を現しなさい。
苦しみのあふれる世の中にあって、自分たちの体と生活を通して「あなたは大切だよ」という神様の心を現していきましょう。聖霊の働きがそこにあります。
☝Point1
バプテスマを受ける時、伝道者とされる時、役員に任職される時はなりたいからなるのではなく、イエス様の選びと愛と命令に答えて無条件に「はい」という。
☝Point2
イエス様が捕らえられる前夜「あなたのためなら命を捨てます。」と言ったペトロだったが、人々に「イエスの弟子ではないのか」と言われると、「いや、そうではない」と3度も否定した。ペテロには自責の念があった!(ヨハネ18章15~27節)
☝Piont3
ペトロは失敗のため、イエス様と神に対しての愛に確信が持てなかった。イエスは3度も「わたしを愛するか」と迫ったが、それは責めているのではなく、わたしの仕事を任せられると信じているペトロへの愛と、彼の信仰を守ってくれる父なる神への確信と感謝がある!(ヨハネ21章15~19節)
☝Piont4
誰にでも、イエスに従っていくことを忘れてしまい、絶望的で消えてなくなりたくなるような誘惑がある。そこにこそ、神の愛はあるのだ!!!「そこに愛はあるんか」と何度でも確かめてくださるイエスの声が響いてくる♪