9月27日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第18主日)

 リモートによる礼拝参加も可能です。今のところ、スマホとLINE

希望される方はakotozakura@yahoo.co.jpまで

10:30~

招詞:イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」(ヨハネによる福音書11章9~10節)

イザヤ書1章21~28節

 お前の銀は金滓となり 良いぶどう酒は水で薄められている。 支配者らは無慈悲で、盗人の仲間となり  皆、賄賂を喜び、贈り物を強要する。 孤児の権利は守られず やもめの訴えは取り上げられない。 それゆえ、主なる万軍の神  イスラエルの力ある方は言われる。 災いだ わたしは逆らうものを必ず罰し 敵対する者に報復する。 わたしは手を翻し  灰汁をもってお前の滓を溶かし 不純なものをことごとく取り去る。 また、裁きを行うものを初めのときのように 参議を最初のときのようにする。 その後に、お前は正義の都  忠実な町と呼ばれるであろう。 シオンは裁きをとおして贖われ  悔い改める者は恵みの御業によって贖われる。 背く者と罪人は共に打ち砕かれ 主を捨てる者は絶たれる。

エフェソの信徒への手紙2章1~10節

 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、   あなたがたの救われたのは恵みによるのです   キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現わそうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるではなく、神の賜物です。 行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった良い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その良い業を行って歩むのです。

讃美歌:こどもさんびか34-④

    讃美歌21-54番、536番

説教:恵みによって生きるうれしさ   柳谷牧師

9月20日 主日礼拝のご案内(聖霊降誕節第17主日・交換講壇)

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10:30~

招詞:神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。(ペトロの第一の手紙)

創世記8章13-22節

 ノアが六百一歳の一月一日のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。  神はノア仰せになった。  「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」  そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。 獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。  ノアは主のために祭壇の上にささげた。主は宥めの香りをかいで、御心に言われた。 「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。 地の続く限り、種蒔きも刈入れも 寒さも暑さも、夏も冬も、 昼も夜も、やむことはない。」

ヘブライ人への手紙12章7~13節

 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。  だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。

讃美歌:こどもさんびか34-③

    讃美歌21-11番、492番

説教:ひざまずき天を仰ぐ  島津牧師

9月13日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第16主日)

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10:30~

招詞:わたしは主、あなたの神。

   あなたの右の手を固く取って言う 

   恐れるな、わたしはあなたを助ける、と。(イザヤ書41章13節)

創世記8章1~12節

 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、 水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には頂が現れた。  四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。   更に七日待って、彼は再び鳩を箱船から放した。 鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。

ヘブライ人への手紙12章1~6節

 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方ののことを、よく考えなさい。  あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。 主から懲らしめられても、   力を落としてはいけない。 なぜなら、主は愛する者を鍛え、 子として受け入れる者を皆、   鞭打たれるからである。」

讃美歌:こどもさんびか34-②

    讃美歌21-61番、396番

説教:愛されている証拠  島津牧師

9月6日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第14主日)

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10:30~

招詞:彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』とあります。」

創世記7章21~24節

  地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。

ヘブライ人への手紙6章17~20節

神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れてきたわたしたちが、二つの普遍の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。 わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した碇のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入っていくものなのです。イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じように大祭司となられたのです。

讃美歌:こどもさんびか34-①

    讃美歌1-20番、2-156番

説教:神の愛は変わりません   島津牧師