10月6日 主日礼拝のご案内 (聖霊降臨節第18主日・世界聖餐日・世界宣教日)

10月6日 主日礼拝のご案内 

(聖霊降臨節第18主日・世界聖餐日・世界宣教日)

10:25~11:30

招詞 : フィリピの信徒への手紙1章6節

あなたがたの中でよい業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。

聖書 :創世記11章26~32節

 テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。サライは不妊の女で、子供ができなかった。 テラは息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子の妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。     

    マタイによる福音書 22章23~33節

 その同じ日、復活はないと言っているサドカイ派の人々が、イエスに近寄ってきて尋ねた。「先生、モーセは言っています。『ある人が子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。さて、わたしたちのところに、七人の兄弟がいました。長男は妻を迎えましたが死に、跡継ぎがなかったので、その妻を弟に残しました。次男も三男も、ついに七人とも同じようになりました。最後にその女も死にました。すると復活の時、その女は七人のうちのだれの妻になるのでしょうか。皆その女を妻にしたのです。」イエスはお答えになった。「あななたたちは聖書も神の力も知らないから、思い違いをしている。復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく、天使のようになるのだ。死者の復活については、神があなたたちに言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』とあるではないか。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」群衆はこれを聞いて、イエスの教えに驚いた。

 

讃美歌 : 子供さんびか34番②、

      讃美歌21ー18番、127番、166番


説教題 : 神の言葉に従った人たち


説教 : 島津牧師

9月29日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第17主日)交換講壇

10:25~11:30

聖書 : アモス書 5章18~24節

災いだ、主の日を待ち望むものは。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない。人が獅子の前から逃れても熊に会い家にたどりついても壁に手で寄りかかるとその手を蛇にかまれるようなものだ。主の日は闇であって、光ではない。暗闇であって、輝きではない。
わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの捧げものの香りも喜ばない。たとえ焼き尽くす献げ物をわたしにささげても穀物の献げものをささげてもわたしは受け入れず超えた動物の献げも物も顧みない。お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。正義を洪水のように恵の業を大河のように尽きることなく流れさせよ。

     ルカによる福音書 13章10~17節

 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。イエスはその女を見て呼び寄せ、「夫人よ、病気は治った」と言って、その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」こう言われると、反対者はみな恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

招詞 : ペトロへの手紙1 5章7節

讃美歌 : 子供さんびか34番①

      讃美歌21ー56番、524番、407番


説教題 : 安息日は解放の日


説教 : 柳谷牧師

9月22日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第16主日)

    10:35~11:30 

    *10:15~10:30子供の礼拝

聖書 : マタイによる福音書 18章1~14節

 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきりっておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。 自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。私の名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。」 「しかし、私を信じるこれらの一人をつまづかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまづかせるから不幸だ。つまづきは避けられない。だが、つまづきをもたらすものは不幸である。もし片方の手か足があなたをつまづかせるなら、それを切って捨ててしまいなさい。両手両足がそろったまま永遠の火に投げ込まれるよりは、片手片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまづかせるなら、えぐりだして捨ててしまいなさい。両方の目がそろったまま火の地獄に投げ入れられるよりは、一つの目になっても命にあずかる方がよい。」 「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹うぃ山に残しておいて、迷い出た一匹を探しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父のみこころではない。」

    コリント人への手紙2 7章2~16節

 わたしたちに心を開いてください。わたしたちは、だれにも不義を行わず、だれをも破滅させず、だれからもだまし取ったりしませんでした。あなたがたを責めるつもりで、こう言っているのではありません。前にも言ったように、あなたがたはわたしの心の中にいて、わたしたちと生死を共にしているのです。わたしは、あなたがたに厚い信頼を寄せており、あなたがたについて大いに誇っています。わたしは慰めに満たされており、どんな艱難のうちにあっても喜びに満ちあふれています。

 マケドニア州に着いたとき、わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。外には戦い、内には恐れがあったのです。しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によって、わたしたちを慰めてくださいました。テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたが、わたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、わたしは後悔しません。確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔したとしても、今は喜んでいます。あなたがたがただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは、神の御心に適ったことなので、わたしたちからは何の害も受けずにすみました。神の御心に敵った悲しみは、取り消されることのない救に通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします。神様の御心に敵ったこの悲しみが、あなたがたにどれほどの熱心、弁明、憤り、恐れ、あこがれ、熱意、懲らしめをもたらしたことでしょう。例の事件に関しては、あなたがたは自分がすべての点で潔白であることを証明しました。ですから、あなたがたに手紙を送ったのは、不義を行った者のためでも、その被害者のためでもなく、わたしたちに対するあなたがたの熱心を、神の御前であなたがたに明らかにするためでした。こういうわけでわたしたちは慰められたのです。

 この慰めに加えて、テトスの喜ぶさまを見て、わたしたちはいっそう喜びました。彼の心があなたがた一同のお陰で元気づけられたからです。わたしはあなたがたのことを少し誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。それどころか、あなたがたにすべて真実を語ったように、テトスの前で誇ったことも真実になたのです。テトスは、あなた方一同が従順で、どんなにおそれおののいて歓迎してくれたかを思い起こして、ますますあなたがたに心を寄せています。わたしは、すべての点であなたがたを信頼できることを、喜んでいます。

招詞 : 箴言14章26~27節

主を畏れれば頼るべき砦を得 子らのためには避けどころを得る。主を畏れることは命の源 死の罠を避けさせる。
 

讃美歌 : 子供さんびか34番⑤、

      讃美歌21ー359番、441番、92番


説教題 : 神からの悲しみは救いをもたらし


説教 : 島津牧師

9月15日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第15主日)

10:25~11:30

悪いほかの七つの霊を一緒に連れてきて、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者もそのようになろう。」

     コリント人への手紙 6章14節~7章1節

「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛につながれてはなりません。正義と不法とにどんなかかわりがありますか。光と闇とに何のつながりがありますか。キリストとベリアルにどんな調和がありますか。信仰と不信仰に何の関係がありますか。
 神の神殿と偶像にどんな一致がありますか。わたしたちは生ける神の神殿なのです。神がこう言われているとおりです。
「『わたしは彼らの間に住み、巡り歩く。
  そして、彼らの神となり、
  彼らは私の民となる。
  だから、あのどもの中から出てい行き、遠ざかるように』と主は仰せになる。
 『そして、汚れたものに触れるのをやめよ。
  そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
  父となり、
  あなたがたはわたしの息子、娘となる。』全能の主はこう仰せられる。」
 愛する人たち、わたしたちは、このような約束を受けているのですから、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、
神を畏れ、完全に聖なる者となりましょう。

招詞 : イザヤ書29章19節

 苦しんでいた人々は再び主にあって喜び祝い貧しい人々は
 イスラエルの聖なる方のゆえに喜び踊る。
    
讃美歌 : 子供さんびか34番①、
      讃美歌21ー353番、166番、92番

説教題 : 風通しのいい家として

説教 : 島津牧師