12月29日 主日礼拝のご案内(降誕節第1主日)

子どもの礼拝:10:15~10:30

10:25~11:30

招詞:ヨハネの手紙1 4章12章

いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

イザヤ書65章17~25章

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はいない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び踊れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び踊るものとしてその民を喜び楽しむものとして、創造する。わたしはエルサレムを喜びとしわたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。そこには、もはや若死にする者も年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬものは若者とされ百歳に達さない者は呪われた者とされる。
彼らは家を建てて住みぶどうを植えてその実を食べる。彼らが建てたものに他国人が住むことはなく彼らが植えたものを  他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになりわたしに選ばれた者らは彼らの手の業にまさって長らえる。彼らは無駄に労することなく生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは、その子孫も共に主に祝福された者の一族となる。彼らが呼びかけるより先に、わたしは答えまだ語りかけている間に、聞き届ける。 狼と小羊は共に草をはみ獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物としわたしの聖なる山のどこにおいても害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。

ルカ2章21~24節

 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

讃美歌:こどもさんびか34-5番

     讃美歌21-19番、271番、359番

説教題:イエスという名

説教:島津牧師

12月22日 主日礼拝のご案内(聖霊待降節第4主日・アドベント・クリスマス礼拝)

10:25~11:30

招詞:フィリピの信徒への手紙4章5節

あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

イザヤ書61章1~4節

主は私に油を注ぎ主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み捕らわれ人には自由をつながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年わたしたちの神が報復される日を告知して嘆いている人々を慰めシオンのゆえに嘆いている人々に灰に代えて冠をかぶらせ嘆きに代えて喜びの香油を暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた正義の樫木と呼ばれる。彼らはとこしえの廃墟を建て直し古い荒廃の後を興す。廃墟の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。

ルカによる福音書1章46~55節

そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも  目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も  わたしを幸いなものと言うでしょう、力ある方が、  わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良いもので満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」マリアは、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

讃美歌:こどもさんびか34④

    讃美歌21-242番、175番、262番

説教題:神を喜びたたえます

 説教:島津牧師

12月15日 主日礼拝のご案内(待降節第3主日・アドベント3)

10:25~11:30

招詞

目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決してわからない。

イザヤ書40章1~9節

慰めよ、わたしのみ民を慰めよとあななたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを  主の御手から受けた、と。
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを  肉になる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、なんと呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
高い山に登れ良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるなユダの町々に告げよ。

ルカによる福音書1章67~80節

 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる予言者たちの口を通して  語られたとおりに。それは、我らの敵、すべて彼らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立っていき、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを  知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、  高いところからあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人人の前に現れるまで荒れ野にいた。

讃美歌:こどもさんびか34-2番

     讃美歌21-174番、191判、238番

説教題:喜びを伝える者よ

説教:島津牧師

12月8日 主日礼拝のご案内(待降節第2主日・アドベント2)

10:35~11:40

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞 ヤコブへの手紙5章8節

あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。

列王記上22章13~17節

 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。予言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」ミカヤは、「主は生きておられる。主が私に言われる事をわたしは告げる」と言って、王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアド行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。そこで王が彼に「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事帰らせよ』と言われました。」

ルカによる福音書1章57~66節

 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は「あなたの親類にはそういう名のついた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々はみな恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々はみなこれを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

讃美歌:こどもさんびか34-1番

    讃美歌第2編48番、第1編-94番、第2編ー194番

説教題:いったい、どんな人になるのか

説教:島津牧師