4月26日 礼拝中止のご案内(復活節第3主日)

COVID-19の感染防止のため長野県でも外出を極力避ける宣言がされました。

とても、残念ですが、19日の礼拝から当面「集まっての礼拝」を中止します。一部の出席出来ない方々とは、電話の音声で同時的に礼拝に参加できていますが、不特定多数とはまだ技術的にできません。申し訳ありませんが、当面、別の方法を検討しますのでご理解下さい。

招詞: 苦難の中で、わたしが叫ぶと

      主は答えてくださった。

    陰府の底から、助けを求めると

      わたしの声を聞いてくださった。(ヨナ書2章3節)

ヨハネによる福音書20章24~31節

十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

讃美歌:こどもさんびか34-2番

    讃美歌21-355番①④、467番①③

説教題:一人のために主が来られた

説 教:島津牧師

4月19日 礼拝中止のご案内(復活節第2主日)

COVID-19の感染防止のため長野県でも外出を極力避ける宣言がされました。

とても、残念ですが、19日の礼拝から当面「集まっての礼拝」を中止します。一部の出席出来ない方々とは、電話の音声で同時的に礼拝に参加できていますが、不特定多数とはまだ技術的にできません。申し訳ありませんが、当面、別の方法を検討しますのでご理解下さい。

招詞:上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。(コロサイの信徒への手紙2章2~3節)

ダニエル書6章19~25節

 6:19 王は宮殿に帰ったが、その夜は食を断ち、側女も近寄らせず、眠れずに過ごし、
 6:20 夜が明けるやいなや、急いで獅子の洞窟へ行った。
 6:21 洞窟に近づくと、王は不安に満ちた声をあげて、ダニエルに呼びかけた。
「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか。」
 6:22 ダニエルは王に答えた。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。
 6:23 神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」
 6:24 王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。
 6:25 王は命令を下して、ダニエルを陥れようとした者たちを引き出させ、妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込ませた。穴の底にも達しないうちに、獅子は彼らに飛びかかり、骨までもかみ砕いた。

ヨハネによる福音書20章19~31節

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて、八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」 このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスはメシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

讃美歌:子どもさんびか34-1番

    讃美歌21ー331番、450番、452番

説教題:目には見えない真理の力

説教:島津牧師

4月12日 主日礼拝のご案内(復活節第1主日・イースター)

10:25~11:30

COVID-19が長野県でも拡がっています。

いつもは、大勢の方と共に礼拝を守り、愛餐とお祝いの会を楽しんでいましたが、
今年は聖餐式、愛餐会、卵探しゲームなど一切を中止しました。静かな礼拝を守ります。各自でマスクをしてきて下さい。受付でアルコール消毒をして、席は離れて座っていただきます。

招詞:見よ、闇は地を覆い

   暗黒が国々を包んでいる。

   しかし、あなたの上には主が輝き出で

   主の栄光があなたの上に現れる。(イザヤ書60章2節)

ヨハネによる福音書 20章11~18節

 マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。」わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」 こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボ二」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。

コリントの信徒への手紙2 6章1~10節

 わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、
 「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。
 救いの日に、わたしはあなたを助けた」
と神は言っておられるからです。今や、恵みのとき、今こそ、救いの日。わたしたちはこの奉仕の務めが非難されないように、どんな事にも人に罪の機会を与えず、あらゆる場合に神に仕える者としてその実を示しています。大いなる忍耐をもって、苦難、欠乏、行き詰まり、鞭打ち、監禁、暴動、労苦、不眠、飢餓においても、純真、知識、寛容、親切、聖霊、偽りのない愛、真理の言葉、神の力によってそうしています。左右の手に義の武器を持ち、栄誉を受けるときも、悪評を浴びるときも、好評を博するときにもそうしているのです。わたしたちは人を欺いているようでいて、誠実であり、人に知られていないようでいて、よく知られ、死にかかっているようで、このように生きており、罰せられているようで、殺されてはおらず、悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています。

讃美歌:子どもさんびか34ー5番

     讃美歌21-321番、322番、69番

説教題:涙の夜から希望の朝へ

  説教:島津牧師

4月5日 受難節第6主日 しゅろの主日

10:30~11:30

招 詞

キリストは罵られても罵り返せず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。

   (ペトロ第1の手紙2章23節)

ゼファニア書 3章14-20節

 3:14 娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
 3:15 主はお前に対する裁きを退け/お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。
 3:16 その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな/力なく手を垂れるな。
 3:17 お前の主なる神はお前のただ中におられ/勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ/愛によってお前を新たにし/お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」
 3:18 わたしは/祭りを祝えず苦しめられていた者を集める。彼らはお前から遠く離れ/お前の重い恥となっていた。
 3:19 見よ、そのときわたしは/お前を苦しめていたすべての者を滅ぼす。わたしは足の萎えていた者を救い/追いやられていた者を集め/彼らが恥を受けていたすべての国で/彼らに誉れを与え、その名をあげさせる。
 3:20 そのとき、わたしはお前たちを連れ戻す。そのとき、わたしはお前たちを集める。わたしが、お前たちの目の前で/お前たちの繁栄を回復するとき/わたしは、地上のすべての民の中で/お前たちに誉れを与え、名をあげさせると/主は言われる。 

ヨハネによる福音書18章28~40節

 18:28 人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れて行った。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。18:29 そこで、ピラトが彼らのところへ出て来て、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。18:30 彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。 18:31 ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。 18:32 それは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。 18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。 18:34 イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。」 18:35 ピラトは言い返した。「わたしはユダヤ人なのか。お前の同胞や祭司長たちが、お前をわたしに引き渡したのだ。いったい何をしたのか。」 18:36 イエスはお答えになった。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない。」 18:37 そこでピラトが、「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答えになった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」 18:38 ピラトは言った。「真理とは何か。」 18:38 ピラトは、こう言ってからもう一度、ユダヤ人たちの前に出て来て言った。「わたしはあの男に何の罪も見いだせない。 18:39 ところで、過越祭にはだれか一人をあなたたちに釈放するのが慣例になっている。あのユダヤ人の王を釈放してほしいか。」 18:40 すると、彼らは、「その男ではない。バラバを」と大声で言い返した。バラバは強盗であった。

讃美歌:子どもさんびか34番ーキリストのいのちが

    讃美歌1-28番、140番、276番

説教題:真理を生き抜いた王  島津 晃

4月5日はしゅろの主日です。午前10時30分から

しゅろの主日礼拝ご案内
「真理を生き抜いた王」
旧約聖書 ゼファニア書3章14-20節
新約聖書 ヨハネによる福音書18章28-40節

苦難をくぐり抜けてきたユダヤ人には特別な信仰がありました。いつか名誉を取り戻し繁栄をもたらしてくれるメシアが現れるという期待です。似たことが何度かあったからです。
メシアとは神に選ばれ、頭に油(オリーブ油)を注がれて就任した祭司や王、ギリシャ語ではキリスト。
過越祭を間近に、エルサレム参詣の人々は歓呼してイエスをメシアとして迎えました。ナツメ椰子の葉を道に敷き、手には枝を握って。その中をイエスはロバに乗って入城しました。5日後、人々のメシア信仰は見事に裏切られ、歓呼は「十字架につけろ」の怒号に変わりました。イエスは軍馬でなくロバに乗り、人の罪を背負って死んで下さるメシア、真理の道を歩む王、日々私たちを救う王です。
日本では「しゅろ」ですが、棕櫚とナツメヤシPalmは別物です。

     安野光雅  アムネスティーインターナショナル葉書から

もうすぐイースターです。4月12日 午前10時30分から

イースターは死から復活されたイエスを迎える喜びのフェスティバルです。
 神さまを知らなかったり、気がついていても背を向けている人は、一人で悩んだり苦しんだりしていませんか。その状態を罪(つみ)と呼びます。罪のために魂が渇いて今にも死にそうなのを知らせ、命の泉へ招くためイエスは十字架で死なれました。その十字架のメッセージを信じた人は罪がゆるされています。そう信じる人には神とつながる道が開かれています。(教会の中学生のイラストだよ

罪から解放された人々は、イエスをキリスト(すくいぬし:救いの主人)と信じました。
それでイエス・キリストと呼ぶのです。   
 Easterとは古い英語で昼が長くなること。春の女神を迎える祭りが元でした。
 パスカ(過ぎ越し、突破:ギリシャ語、ラテン語)と呼ぶ教会もたくさんあります。
イースターエッグ探しをします。
急遽、感染防止のため中止にします。4月9日