◆ (サムエル記下7:18-29、使徒言行録13:13-26)
イスラエルの人たち、ならびに神を畏れかしこむ方々。よく聴いて下さい。(13:16)
「あなた方のうちにある希望について説明を求める人には、誰にでも、いつでも、弁明できる用意をしていなさい。正しく、優しく、慎み恐れて、正しい良心で。(1ペトロ3:13-22)
買い物帰り、ある人が「ちょうど良かった。キリスト教について聞きたいことがあるけど、いいですか」と声をかけてこられました。百年前、安曇野で柳田国男が宗教について、耶蘇教についてした講演の書き写しを見せて。たまたま神学校の卒論で扱った分野に近かったので応じたのですが、まさに、上記のみことばを思いました。
バルナバとサウロは「聖霊に送り出され」キプロスの人々に福音を伝えました。さらに海路ペルゲに到着しましたが、そこでヨハネ(別名マルコ)が帰ってしまったのです。がっかりしパウロは腹だたしかったと思います。それでも険しい峠を越え、高原のアンティオキア(この名は各地に16も)に到着。ここにもユダヤ会堂がありました。
ローマの植民都市でギリシャ人が多い町。二人は安息日に会堂入って席に着きました。律法と預言書が朗読されると、会堂長の使いから「兄弟たち、何か励まし(慰め)の言葉があれば」と声をかけられました。イエスも故郷ナザレの会堂でイザヤの言葉を示して「あなた方が耳にした言葉はきょう成就した」と説教されました。アンティオキアでの聞き手はユダヤ人と改宗した外国人(ギリシャ・ローマ系)。
パウロが立って挨拶し、同胞には「シェマー(聞け)、イスラエルよ」と思いを込め、改宗者へは「神を畏れる方々」と敬意をもって話し始めました。そこには会衆への配慮がありました。彼らの先祖の歴史や神の理解、話を聞く習慣が違ったからです。
パウロとも呼ばれていたサウロ(13:9)が私たちに語るメッセージとしても聞けます。聖書に親しみつつも、日本人の歴史や宗教観、ものの考え方の中で生活している私たちへの語りかけです。「イスラエルよ」神に選ばれてクリスチャンになった人に。「神を畏れる方々」神の導きで礼拝する仲間にされた人に重ねていいでしょう。
パウロは「神の恵み」に集中し、超コンパクトに救いの歴史を語りました。わずかな信仰の家族が、苦難をへて力強く増え拡がり、神の民になった。エジプトで強大な民族になり、エジプトを出て信仰の民となる。それらは神の御腕の導きと支配、反抗した日々の愛と忍耐の養育の故だったというのです。
その選びと恵みの究極の目的は、あなた方(アンティオキアの聴衆も、私たちも)が救い主イエスを知り、主を受け入れるということだと。この神の愛に素直に「アーメン」と応えられる信仰こそ「神を真実とする」生き方なのです。