2015.8/23 ドレスデンの聖母教会を訪ねて

8月23日の主日礼拝は、
塩尻アイオナ教会の横田幸子牧師を迎えて子どもと合同の礼拝をしました。詩篇8編から「おさなごは神を讃美している」
出席した5人の子どもたちに一人一人に相応しい言葉を選んで「こども祝福」をして下さいました。
T姉妹と二人の子どもたちが、アフリカのマラウィに移り住むことになったので、神の守りと導きをいのりつつ、愛餐会と壮行会をしました。

ということで、今週の「みことば」欄は、島津牧師の旅行記の続きを記します。

ドレスデン聖母教会を訪ねて
 60歳の誕生日、7/27にドイツのドレスデンにあるフラウエン(聖母)教会を訪ねた。18世紀初頭、ザクセン公国のフリードリッヒ・アウグスト1世は自身はカトリックであるにもかかわらず、都にルター派の大聖堂として建てることを許した。その礼拝堂構成は、祭壇・講壇・洗礼盤を信徒の真正面に配置したプロテスタントの特質をもつ画期的なものだった。冷戦終結後はザクセン福音ルター派州教会に属している。
 数年前にBS番組として紹介されたその教会の物語にとても興味をもった。爆撃でドイツのほとんどの工業都市は焼き尽くされドレスデンも例外ではなかった。
 聖母教会は1945年の2月13日の爆撃に耐えた。その地下聖堂に逃げ込んだ300人もの人々の命を守ったが、65万発の焼夷弾の熱によって外壁は1000度に達し、翌日に大崩壊した。
 戦後は同市が東ドイツに属していたため再建はままならず、1985年になって再建計画が持ち上がった。
 冷戦終結後の1989年から20カ国を超える国で聖母教会の再建が呼びかけられ、2005年10月30日に聖堂前のルター像が見守る中、献堂式が行われた。
 聖堂頂上の十字架はイギリス軍爆撃手の息子・金細工人アラン・スミスが、ドイツ生まれのアメリカ人生物学者(99年生理学・医学ノーベル賞受賞)ギュンター・ブローベルが基金を創設し、賞金の大半を寄付したことで知られている。ちなみに再建費用は1億8千万ユーロ(250億円)。
 再建を可能にしたのは、8500もの崩壊した石材に帳票が付けられ整理保管されていたこと、19世紀の修復時の詳細な資料が残されたこと、CG技術によってがれきの配置が再現されたこと、さまざまな要因がある。
 期せずして、還暦の誕生日パーティーをこの聖堂脇のレストランで開いてもらった。300年をへた上に爆撃で黒ずんだ石材と、新しい技術で補完された石材とが不思議なモザイクを描いている。聖堂をながめながら、和解とは何かをしみじみ味わった。
 今、日本周辺では「和解と協力」に程遠い雰囲気で満ちている。だからこそ私たちはキリストに倣って身を低くして「和解と奉仕」を見つけたい。心を開いて見渡せば、私たちを必要としている働きの場は身近にあるのだから。