2015.8/30 生涯の友と出会う

恐れるな、わたしはあなたをあがなう。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。(イザヤ43:1-5、使徒言行録9:26-31)
 隣国同士の政府や一部の思い込みの強い人々が非難し合い、危険な状態になることがあります。けれども、そこに少数ではあっても相手の立場を理解しようと行動する人、あえて言えば、神に導かれて平和を創り出すために召された人たちがいます。
 この夏、出会った孫信一(ソン・シニル)牧師は茨城で生まれ育った韓国人三世です。献身して母国に留学し、日本でも韓国でもなくチェコのプラハで「日本語礼拝」に心血を注いでいます。妻の閔梅羅(ミン・マエラ)さんは人を活かす才能に恵まれた積極的で明るい人です。
 さて、若きサウロは生粋のユダヤ教徒の愛国者でキリスト教を憎みました。教会を迫害し、どこまでも信徒を追いつめて逮捕する使命を信じていました。そのサウロが「回心」して突然、命をも惜しまないキリスト伝道者に変わったのです。後に教会が「かつて我々を迫害した者が、滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と神を讃美したほどです。
 しかし「回心」直後はあまりにも鮮やかな変身ぶりに、「裏切り者」とか「スパイではないか」とユダヤ教からも教会からも疑いの目で見られました。普通なら、「ほとぼりが冷める」まで、じっとしているものです。ところがサウロはすぐさま伝道しました。それだけ「回心」は本物だったのです。
 この、どちらからも拒否された青年を「受け入れて」友となった人物がいました。バルナバです。4章36節で「慰めの子」と紹介され、何度も何度もサウロを助け、失敗した人のためにも労苦するのです。
 サウロが後のパウロとなるためにはダマスコのユダ、アナニヤ、エルサレムのバルナバを神は遣わされていますが、主人公でもなく有名になることもありません。
 パウロは晩年に「私を強くして下さることによって、どんなことでも出来る。それにしても、あなた方はよく私と困難を分け合ってくれました(フィリピ4:13,14)」と告白しています。その「あなた方」の一人に過ぎません。
 しかし、生涯の友とは「いつも一緒で気の合う仲間」ではなく、その人がいなければ今の自分はいない、めったに会うことさえなくても、神による真の友なのです。
 バルナバは「慰めの子」です。この慰めと訳された言葉は聖霊と同じ「共にいる、傍らにいる、励ます、弁護人」という意味です。
 真の友はキリストが差し向けて下さる聖霊の具体的な姿です。「行って、あなたも同じようにしなさい(ルカ10:37)」とイエスはおっしゃいました。友と出会うため行動するか、しないかは各人に任されています。