2015.10/18 神の前に進み出よう

◆(ミカ書6:6-8、使徒言行録10:23b-33)
 今私たちは、みな神の前にいることを自覚しつつ、主があなたに命じられた事を全て聞かせて頂こうとここに集まっています。(本田哲郎訳:使徒10:33)
 十戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあります。ユダヤ人は土曜日を安息日として厳守し、教会では日曜を主の復活に結ばれる祝日として心に留めています。
 そもそも十戒は、エジプト文明にどっぷり浸かって奴隷根性に成り下がった民を、「神の前に礼拝し、みことばに聴く」信仰の民に再生するガイド(手引)なのです。
 私たちは、大切なものを壊されたり失ったりしたとき、初めてかけがえのないものだったことに気づきます。失って初めて「何とかならないか」と渇望するのです。
 私たちを愛される神は「みことば」を何度も何度も語りかけます。これにどう応えるか、ペトロとコルネリウスに示された「みことば」と彼らの応答に学んでいます。
 「イエスは、これを思う人々を呼び寄せ・・・使徒と名付け」たように、不思議な基準で人が選ばれます。ユダヤ人ペトロとイタリア人コルネリウスがそれです。二人はそれぞれ幻の中で「みことば」を聞き、コルネリウスはヤッファへ3人の使者を送り、ペトロはその外国人3人を受け入れ、翌日カイサリアに出発しました。
 コルネリウスはユダヤを占領するローマ軍の士官です。その気になればどうにでも人々を扱える立場です。ところが彼は「信仰篤く、絶えず祈り、家族揃って神を畏れていた人で、ユダヤ人を保護し援助を惜しまない」百人隊長でした。どこかで誰かを通して神を信じる人にされていたのです。そのために幻の中で「シモンという人を招け」と命じられた時、何か大切な事があるのではと、心が準備されたのです。
 コルネリウスは家族や親族だけでなく親友を招いてペトロを待ちました。ペトロを見ると足下にひれ伏し拝みました。それ程ペトロは大切な使者でした。
 しかし人間を拝むことは信仰的な無知でした。ペトロはこの真剣さに驚きつつも「私も、あなたと同じ人間ですよ。さあ、立って下さい」と、笑顔で話しながら家に入りました。
 お互いに何があったのか、自己紹介し、それで神が働かれたことが分かりました。コルネリウスは「さあ、主があなたに命じられたことを、残らず聴かせて下さい」と敬意をもって申し出たのでした。それこそが、新しい人の誕生する瞬間です。