☝Point1 相手がある(神様)
祈りは聞くことから始まる。
サムエル「主よ、お話しください。僕は聞いております。」(サムエル記上3章10節)
☝Point2 特別なタイミングがある(ルカによる福音書11章1節)
☆3つのそもそも
①ユダヤ人は子供の時から父から祈りの手ほどきを受けていたので、祈ることは十分に知っていたが、”何か”が足りなかった。
②彼らはイエスに従ってきた人たちだった。
③弟子たちは、イエスが朝夕の祈りをしていたこと、または日没になると一人で夜中祈り、朝になって弟子たちの前に再び現れたのを知っていた。
弟子たちは「自分たちにもその(新しい)祈りを教えてください。」と求めた。イエスは教えた。
⇒求めた時に与えられた。
☝Point3 主の祈り(ルカによる福音書11章2~4節)
『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』
☝Point4 素直に、あきらめずに、しつこく祈り続け、神様からの働きかけを聞き取って、それに応えることである。
日本語の「手ほどき」とは、古武道の所作からきた言葉で、「生きるか死ぬか」に関わること。
ヘブライ語で「手ほどき」は「裁く、吟味する」の意味。つまり、神様に誠実に向き合い、危機の状態にあるなら、素直に「助けてくれ」と祈るべき。
もう一つ「ひざを曲げる」と言う意味がある。神の前にひざまずき祈ると、どんなに自分が小さな存在かを知る。
また、わたしたちが祈れるのは、祈ろうとするのは、聖霊が働いて、「祈る」思いを起こさせてくれるからである。救われている証しとして親しく「アッバ父よ」と呼ぶことがゆるされていて、祈りに導かれているからである。
パウロは言った。「どんな時にも絶えず祈りなさい。」それによって安心、希望、確信が与えられ、永遠の命があるという励ましと感謝で終わるのです。