2016.3/27 さあ、行け。そこで会えるから

◆(エレミヤ31:31-34、マルコ16:1-8)
 驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活させられてここにはおられない。見よ、ここがお納めした場所である。
 今朝の礼拝は、1991年4月7日から1304回目の満25年にあたる復活祭の礼拝です。
 キリスト教の礼拝と歴史は復活のできごとが原点です。十字架の上で死んだナザレのイエスを神が「新しいいのち」に復活させられました。
それは週の初め日の夜明け前の神秘です。明け方、
①三人の女たちがイエスの体を香油で清めるため墓に向かいました。墓は大きな石で封印されていましたが、
②すでに開いており、
③墓に入ると白く輝く若者を見て仰天します。彼は、
④「ナザレのイエス(の遺体)を捜しているだろうが、ここにはおられない。あの方は復活させられたのだ。
⑤見よ、納めた場所を。
⑥さあ、行って、ペトロたちに伝えなさい。かねて言われていたとおり、主は先にガリラヤに行かれる。そこでお会いできる」と告げます。
 彼女たちは震え上がるほど怖くなって逃げ帰り、誰にも何も言わなかった、いや混乱して言えなかったのです。これが、マルコの告げる復活の朝の出来事です。
 イエスより六百年前、預言者エレミヤは神から示されました。「見よ、私がイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る」と。神の愛に逆らい続けた古いイスラエルは滅びました。けれども新しい契約は、人間の不実にもかかわらず神の熱心によって実現しました。
 「私は彼らの神となり、彼らは私の民となる」イエス・キリストの十字架の死によって「私は彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない」という確実な約束です。
 キリスト信仰は再出発の希望をいつも示しています。
 無力感の前に立ちはだかる大岩は除かれ、香油は不要になり、ガリラヤへの道が示されました。イエスは確かにガリラヤにおられた。復活の姿、存在として。そこからイエスを主と崇める信仰が始まったのです。
 最初イエスに「私についてきなさい」と言われた意味がはっきり分かりました。人間の愚かさも弱さも嫌と言うほど知った弟子たちは、故郷ガリラヤから、本物の「人間の漁師」として立てられます。
 私たちも四半世紀・25年を感謝して、その意味を問い直し、私たちのガリラヤで主と出会い、従いましょう。

2016.3/20 あなたなら、どうしますか

◆ (創世記45:1-8、マルコ12:1-12)
 これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。
 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外に放り出してしまった。
 さて、このぶどう園の主人はどうするだろうか。
 しゅろの日曜日です。マルコ福音書は旅の最後の1週間を一日ごとに記しています。
 一行はエリコを出発し、午後にエルサレムに入られました。主イエスが、用意されたロバにまたがり城門をくぐられた時、過越祭の巡礼者たちは上着やナツメヤシ(しゅろ)の葉をイエスの足下に敷いて「ホサナー、ホサナー」と叫び続けました。「今、救って下さい」という意味です。
 ところがその人々が、5日後に祭司長たちに扇動されて「十字架につけよ、十字架につけよ」と総督ピラトを脅す群衆に変貌するのです。
 受難週は「わたしの罪」を覚え「イエスの苦難と赦し」に思いをはせる「終末の時」です。
 イエスの「終末」の喩えは、聞く人の立場を明らかにします。心で聴いて神さまに顔を向ける人となるか、聞き流して神さまに背を向け続けるかのどちらかです。
 このたとえ話では農夫は人間。主人は神。息子はイエス。ぶどう園は神が手塩にかけて手入れした世界です。
 私たちは「所有」にこだわる時、争いを引き起こしてしまいます。土地も食べ物も水も、すべてを分かち合うとき余りが生じるほど充分です。
 農夫たちに息子を殺されたぶどう園の主人はどうするだろうか、という問いです。主人は報復するに違いないとイエスは言われましたが、真意は全く違いました。人間なら2倍にして報復するでしょう。しかしイエスは十字架の上で「主よ、彼らをお赦し下さい。何をしているのか知らないのです(ルカ24:34)」と祈られました。
 「今すぐ救って下さい」の叫びは、人間世界の切実な願いです。しかし、神さまは人の要求とはまったく違う方法や時期に、救って下さる方です。救われた経験を持つ人は、ただ、起こった出来事のすべてに驚きをもって納得し、讃美するだけです。
 「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」プロの大工が使い物にならないと投げ捨てた石、それがイエスです。
 神は人間の価値観とはまったく違う方法で不動の家を建てられる大工だというのです。隅の石は日本では「大黒柱」のことです。
 創世記は「旧約の福音書」とも言われています。ヨセフ物語はその珠玉です。アブラハムが愛した末の息子、ヨセフの苦悩と栄光を通して、他の息子たちと子孫の救いが語られているのです。
 その鍵は、兄たちの罪の気づきにありました。罪のありようを教えてくれるのが十字架のできごとです。救いの十字架は復活につながっています。

2016.1/3 神に従う人の道は

◆(詩篇1、マタイ2:1-12)
 「天を見上げ星を数えられるなら、それを数えよ。お前の子孫はこのようになる」先が見えなくなっていたアブラムはハッと気づいたはずです。神にできないことは何もない、と。この啓示をへて、彼の信仰は新しい段階「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」に入りました。(創世記15章)
 星の光には不思議な力があります。昔から遊星や星座の運行は地上の運命と結びついていると信じられ、観察し研究する学者(マギ)たちは王や将軍の参謀でした。
 マタイ2章には三つの生き方が描かれています。
 第一は「ユダヤ王の星が昇るのを見たので」エルサレムへ向かったマギたち。主要な街道はありましたが長距離の旅は命がけで費用も莫大でした。そこまでしてなぜ、ユダヤ人の王を探し訪ねたのでしょうか。それは地上の運命(世界平和)を左右する「真の王」を確認するためでした。
 第二はヘロデ王。イドマヤ人でありながらローマ皇帝に取り入ってユダヤ国守の座に居座り、たとえ后や王子であっても反逆の嫌疑があれば剣にかけた血なまぐさい男です。本当に「ユダヤ人の王」が生まれたのなら、まさに政敵です。「見つかったら教えてくれ。私も行って拝もう」の言葉とは裏腹に殺意を秘めていました。
 第三はエルサレム市民や祭司長たち律法学者たちです。ヘロデを軽蔑していながら、国守の一挙手一投足に怯えて従っていたのです。律法学者は聖書の解釈に熱心で些末な規則を次々に生み出しましたが、真理を探求し行動する人ではありませんでした。
 ところで、詩篇1篇によれば「さいわいなことよ」と神に喜ばれる生き方が書いてあります。避けるべき道、選ぶべき生き方が。
 どんなに忙しい日々にも自由にできる時間があるはずです。その時間をどう使うかによって信仰生活は違ってきます。早朝に聖書を読み、ちょっとした時間を祈りの時間とし、感謝の祈りをして眠りにつく。この習慣を身につけると、嫌なことや苦しいことがあった日でも「幸せだなー」と思える一日に変わるはずです。
 もし、ヘロデもことば通りに行動し、幼子の笑みに触れていたなら彼の晩年も変わったかも知れません。律法学者もエルサレムの市民も「ユダヤ人の王はどこに」という問いを自分のものにしていたなら、無益なおびえから解放され平和な日常を手に入れていたかも知れません。
 マギたちは星に導かれて始めた旅の目的がかなっただけでなく、真の主に出会い、みことばを知って、それまでとは違う真理探究の人生が拓かれたに違いありません。
 聖霊(星)に導かれた日々を感謝し、日々主に出会う喜びを求め、主のみことばを糧として、新しい年の人生を一緒に歩んでいきましょう。祈りの家で神の家族として。

2015.12.6 低い心、平和への道

◆(イザヤ60:1-7、ルカ福音書1:67-80)
道をふみはずしたことへの赦しは、人の痛みを知る神の心によるもの。
この神の心によって、天空のあけぼのの光は私たちを訪れ、
暗闇と絶望にしゃがみこんでいた私たちを照らし出し、
私たちの歩みを平和に向けてまっすぐにしてくださるのだ。
(本田哲郎訳:ルカ1章78-79節)
 クリスマスソングの季節。コンビニや公共施設のBGM。第九の合唱も間近です。ヘンデルのメサイヤは心を洗います。クリスマスコンサートをする教会もあります。
 意外な歴史を知りました。1785年にヘンデル生誕百周年を祝う演奏会が何度も行われていたとき、英国国教会牧師ジョン・ニュートン(アメージング・グレイス作者)は、メサイヤがブレイクしていることに疑問を感じ、歌詞に沿った50回の説教をしました。
 オラトリオという手法で”聖書”が人々に近づいたことは良かったのですが、演奏を楽しんでいる多くが、歌詞である”みことば”を深く味わう事がなく、歌詞によって語りかけられたイエスの声、聖霊の声を聞こうとしていないと感じたからだと。
 50回目の説教では「このオラトリオを何回も聞いた多くの人が、贖い主の愛に気づいておらず、主の命令に従うように導かれていないことに深い憂慮を感じている」と述べたそうです。
 メサイヤ冒頭の「慰めよ、慰めよ」はイザヤ書40章のみことばです。神に背を向けて堕落し続けたエルサレムが、今や神の懐に帰るように招かれている。その説教を語る牧師ニュートンの心には「驚くべき恵み、なんと胸をときめかす音の響きか。私のような無頼漢さえも救いたもうとは。私はかつて失われていたのですが、今や神に見いだされ、かつて目が見えなかったのですが、今や見ることが出来ます」と、かつての生きざまと神の赦しの招きが重なっていたに違いないと思います。
 ところで「御前に正しく生きてきた」祭司ゼカリアは、天使の前で、ここぞと言う場面で神の真実を信じられませんでした。けれども10ヶ月(子どもの誕生まで)の沈黙を強いられた後、聖霊に満たされて、神の預言がほとばしるように口から出てきたのです。
 「ほめたたえます。イスラエルの神、主を。主はその民を訪ねてくださり、代価を払って開放して下さった。敵の手から救い出された私たちが、恐れなく主に仕えることができるため、生涯、主の前で敬虔に、開放をめざして生きることができるため」
 ゼカリアがしゃべれなくなったのは神による強制です。しかしこの沈黙を過ごしたことによって低い心が得られたのです。
 水が低いところへ流れるように、神の恵みも低い心に注がれます。聖霊によって示された神との平和(和解)を受け入れ、沈黙してみことばを待ち、そして生きている限り主に従いたい。

2015.11/1 復活の主につながる人々

◆(ヨブ記19:25-27、ローマの信徒への手紙5:1-5)
 この確かさ(希望)は当て外れと言うことがありません。私たちが頂いている聖霊の働きによって、人を大切にする神の思いが、すでに私たちの心に注がれているからです。
 (本田哲郎訳:ローマの人々への手紙5章5節)
 11月第1日曜は「聖徒の日」。初代教会以来、弾圧の中で弟子や信徒たちの殉教が続き<聖ペトロの日>とか<聖アンデレの日>また<聖バレンタインの日>などとして殉教日を個々に記念しましたが、5世紀頃には、それらがまとめられ「万聖節」となったそうです。
 「聖」とは「神のために分けた」の意味で、「聖徒」は神に愛され神を愛して信仰に殉じた信者のことです。この日は永眠者記念日とも呼びますが、信仰者の死は永眠ではありません。やがて必ず勝利の復活をさせて頂けると信じているからです。
 さて使徒パウロは「私たちはイエス・キリストにより神に対して平和を得ている」と証言しました。この平和は本来の正しい関係、命のつながりのことです。
 誰でも相手に咎めることがあると、平気な顔をして一緒にいても内心は穏やかでいられません。ちょっとしたきっかけで相手にひどい言葉をぶつけてしまうことがあります。平和・安心のない状態です。どちらかが解決の糸口を切り出さねばなりませんが、たいがい「まず相手が謝ってくるべきだ」と思っていないでしょうか。
 人間と神との関係も似ています。この平和でない状態が「罪」です。聖書は人間は神の「似姿」として「命の息」を吹き入れられて「生きた」者として創造されたと教えます。神と交われる本質(例えば祈り心)を備えています。ところが、仕事や生活が順調なときには「神の助けはいらない」と思い、失敗や理不尽な出来事に「神も仏もあるものか」と、両極端な姿を自覚できません。その繰り返しも「罪」です。
 「このように、私たちは信仰によって義とされた」これは、神に敵対し神を悩まし続けたパウロ自身が、イエス・キリストに出会い、十字架の赦しに執りなされて神との平和、本当の絆、決して奪われない「希望」を知った喜びの叫びなのです。
 信仰のためにかえって苦労が増える場合もあります。けれども、信仰の先輩たちは苦しみや艱難さえも恵みと知る「価値転換」を経験しました。神から注がれる愛、聖霊が確信させる希望を仰いで「聖徒」として歩み続けた幸いな人々なのです。

2015.10/25 イエス、すべての人の主

◆(イザヤ50:4-11、使徒言行録10:34-43)
 イエスは、ご自分が神によって定められた、生きている人と死んでいる人の裁き手であることを、イスラエルの民に宣べ伝え、はっきりと証しするようにと、私たちに命じました。(本田哲郎訳:使徒10:42)
 「イエスはすべての人の主、支配者」と真心から信じる人は幸いです。生きている時も死んだ後も、イエスがこの私をご自分のものとして責任をもって扱って下さると確信していれば、悪魔の支配から解放され、どんな困難なことが起こっても主を信頼して耐え抜くことができ、聖霊が永遠の命を保障して下さるので、主のために心を込めて仕え、喜びながら一生を終えることが出来るからです。
 ハイデルベルク信仰問答の第1問は「生きている時も、死ぬ時も、あなたの唯一の慰めは何ですか」とあります。その要約が上の挙げた内容です。129の問答集は、五百年前、ルターによってはからずも引き起こされた「信仰の覚醒」のうねりが人々を聖書へ導いた一方で、信仰理解のぶつかり合いが起こりました。その中で徹底的に聖書に基づいて「カテキズム・教理」を提供しようとした努力の結晶がハイデルベルク信仰問答です。
 カテキズムは「ひびく=ある人の耳に伝える」という意味があります。イエスがご自身の信仰と生き様から示された「神のことば」を、私たちの魂に響くように伝える人や方法が必要でした。
 イエスはユダヤ人を中心に神のことばを伝えました。しかしユダヤ人以外にも自由な態度で対応されていたのです。ペトロは幻で示されなかったらユダヤ人以外とは「けがれた民」として交流しなかったでしょう。しかし幻で示されてコルネリウスのもとに出かけ、彼の真心を知ったとき「すべてのことが、今はっきりと分かりました」と「全世界へ出て行って」というイエスの意思として確信したのです。
 本当の神さまを知らないこの世界で、神を信じて静かに礼拝するには、信仰者を守る砦が必要かも知れません。しかし、閉じこもっているだけの信仰者を神は望んでおられません。教会に退いて沈黙の祈りの中で神のみ声を聞き、家庭や地域に、あるいは悪魔に支配されているような外の世界に出て行って、神のことばと御業を証しする人を神は必要とされています。
 内村鑑三は青年たちに熱い思いを語っています。「それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないと思います。しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと、私がここで申すまでもなく、諸君もわれわれも前から承知している生涯であります。すなわちこの世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。」これは、1894年7月、内村33歳、第一高等中学校をいわゆる「不敬事件」で追われ、キリスト教界からも疎外されて、貧苦の内に妻を亡くした直後に「後世への最大遺物」と題して語られた講演の結論部分です。
 私たちは招かれた幸いと、派遣される幸いの二つの恵み、それを活かす務めを頂いています。

2015.10/18 神の前に進み出よう

◆(ミカ書6:6-8、使徒言行録10:23b-33)
 今私たちは、みな神の前にいることを自覚しつつ、主があなたに命じられた事を全て聞かせて頂こうとここに集まっています。(本田哲郎訳:使徒10:33)
 十戒に「安息日を心に留め、これを聖別せよ」とあります。ユダヤ人は土曜日を安息日として厳守し、教会では日曜を主の復活に結ばれる祝日として心に留めています。
 そもそも十戒は、エジプト文明にどっぷり浸かって奴隷根性に成り下がった民を、「神の前に礼拝し、みことばに聴く」信仰の民に再生するガイド(手引)なのです。
 私たちは、大切なものを壊されたり失ったりしたとき、初めてかけがえのないものだったことに気づきます。失って初めて「何とかならないか」と渇望するのです。
 私たちを愛される神は「みことば」を何度も何度も語りかけます。これにどう応えるか、ペトロとコルネリウスに示された「みことば」と彼らの応答に学んでいます。
 「イエスは、これを思う人々を呼び寄せ・・・使徒と名付け」たように、不思議な基準で人が選ばれます。ユダヤ人ペトロとイタリア人コルネリウスがそれです。二人はそれぞれ幻の中で「みことば」を聞き、コルネリウスはヤッファへ3人の使者を送り、ペトロはその外国人3人を受け入れ、翌日カイサリアに出発しました。
 コルネリウスはユダヤを占領するローマ軍の士官です。その気になればどうにでも人々を扱える立場です。ところが彼は「信仰篤く、絶えず祈り、家族揃って神を畏れていた人で、ユダヤ人を保護し援助を惜しまない」百人隊長でした。どこかで誰かを通して神を信じる人にされていたのです。そのために幻の中で「シモンという人を招け」と命じられた時、何か大切な事があるのではと、心が準備されたのです。
 コルネリウスは家族や親族だけでなく親友を招いてペトロを待ちました。ペトロを見ると足下にひれ伏し拝みました。それ程ペトロは大切な使者でした。
 しかし人間を拝むことは信仰的な無知でした。ペトロはこの真剣さに驚きつつも「私も、あなたと同じ人間ですよ。さあ、立って下さい」と、笑顔で話しながら家に入りました。
 お互いに何があったのか、自己紹介し、それで神が働かれたことが分かりました。コルネリウスは「さあ、主があなたに命じられたことを、残らず聴かせて下さい」と敬意をもって申し出たのでした。それこそが、新しい人の誕生する瞬間です。

2015.10/11 神に清められた人

◆(エレミヤ1:4-8、使徒言行録10:9-23a)
 さあ、下へおりて、その人たちといっしょに行きなさい。かれらをつかわしたのはわたしだから、少しもためらう必要はない。(本田哲郎訳:使徒言行録10:19)
 想定外のことが起こります。何度誘われても断り続けたのに、出席するはめになり、そこで新しい方向へ導かれ、夜更かし寝坊の私が、早天祈祷を始めたのです。
 個人の習慣はまだしも、宗教性の強い民族、国民のタブー(禁忌)は強固です。ユダヤやイスラムの食べ物に関する掟は代表例です。両方とも旧約聖書の掟から生まれた宗教ですが、独自に規定が発達し、どこに住んでいても厳しく要求されています。
 へブライ語ではカシュルートと言い「正しい、適正な」を意味します。日本でもコシェルとして扱う店が増えているそうです。食材の種類や処理方法が正しいかどうか、資格のある宗教家が認定して市場に出すのです。「けがれた物を食べないように」と。
 日本人は何でも食べるのですが、ケガレ思想は根強くあり、死体をけがれと信じたり死を恐れます。社会的には部落差別、障害差別、女性差別としても表面化します。
 主イエスはパリサイ人に「外から人の中に入る物で人をけがすことが出来るものは何もなく、人の中から出てくるものが人をけがすのである(マルコ7:14-15)」と、彼らが差別した人々と普通に交わることで、彼らの間違った教えや態度を批判されました。
 ペトロはヤッファの「皮なめし職人シモン」の家の客人でした。皮なめしもケガレ職業とみなされていたので、ペトロはある程度はタブーから自由だったようです。けれども、幻を見たとき「それは食べられません。けがれた物は一度も口にしたことはないのです」と天の声をすぐには受け入れられませんでした。そこに伝統的なユダヤ人の価値観が出ています。拒むペトロに「神が清めた物を清くないなどと言ってはならない」とのお告げが3回もあり、今のは何だったのか考えあぐねてしまいました。
 そこに、コルネリオからの使者が訪ねて来たのです。彼らはイタリア人で、一人は軍服を身に着ていました。割礼を受けない異邦人です。幻の声は命じました。「ためらわず(差別せず)、一緒に行け。私がよこしたのだ」と。新しい一歩の始まりです。
 あの人だけは勘弁だという相性の悪い人がいるかも知れません。しかし、その人も「神が愛して清くされた人」だと思ってみたらどうでしょう。世界が変わるのです。

2015.10//4 あなたの祈りは届いている

◆(列王上8:54-61、使徒言行録10:1-8)
 あなたの祈りと、あなたが人の痛みを知って自分のものを分かち合っていることは、神の前に届き、心に刻まれた。(本田哲郎訳:使徒言行録10:4)
 「啐啄そったく同時」という禅語があります。雛が内側から殻を突いて音をたてることを「啐」、すかさず親鳥が啄(ついば)んで殻を破ることを「啄」と言うそうです。それが同時に起こると雛の誕生です。そんな瞬間を見たことはありませんが、養鶏舎の鶏は卵を温める機会がありませんから、本能はどうなってしまうのか心配です。
 カイサリアにコルネリウスという名の人がいたと聖書は告げます。彼は①イタリア部隊(コホルス600人)の隊(センチュリア100人)長、②信仰篤く、③一家揃って神を畏れ、④民に多くの施し(惜しみない行為)、⑤絶えず神に祈っていた。ずいぶん詳しい紹介です。カイサリアは古い港町で、ローマ帝国が総督を常駐させるほどの拠点でした。
 キリスト教はユダヤ教の信仰共同体から生まれました。聖書の実践や習慣も組織のあり方もユダヤの伝統を引き継いでいます。9章までの話は、ユダヤ人共同体での話ですが、10章から「そろそろ、外国人にも伝道しよう」というのではありません。
 コルネリウスには祈りの時間があったようで、おそらくユダヤ人のように、9時12時3時の3回。
3時の祈りの時、天使が祈りの部屋に入ってくるのを幻に「はっきり」見ました。しばらく見つめていましたが、ハッと恐ろしくなり「主よ、何でしょうか」と聞きます。天使は「あなたの祈りと、あなたが人の痛みを知って自分の物を分かち合っていることは、神の前に届き、心に刻まれた」「今すぐ、ヤッファに人を送り、ペトロを呼ばれるシモンと言う人をこちらに寄こさせなさい・・(本田哲郎訳)」と。
 1549年ザビエルが鹿児島に、1846年ベッテルハイムが琉球に、1859年リギンズ、ウイリアムズ、フルベッキが長崎に、ヘボンが横浜に上陸し日本に福音を伝えました。それから150年以上。(1877年、長沢弥左衛門らに応え、コーレル宣教師が松本に)。
 本日は世界宣教日。私たちの教会も世界各地に伝道者、奉仕者を送り出しています。「たゆみない祈りと惜しみない提供」があるなら、必ず神に届きます。もし、自分のためでなく、人の必要を覚えて祈るなら、(まだ知らぬ)隣人も祈って下さっています。

2015.9/27 嘆きが大きな喜びに

◆(列王下4:32-37、使徒言行録9:36-43)
 彼女はいつも親身になってかかわる人で、痛みを知って分かち合う人だった。
 (本田哲郎訳 使徒9:36)
 タビタは女弟子として「善い行いや施し」に励みました。「人にしてもらいたいことを人にもしなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすればたくさんの報いがあり、いと高き方の子となる(ルカ6:27-36)」と言われたイエスの言葉を実行し、とりわけ未亡人に尽くした人として紹介されています。
 9章には3つの「驚くべき事」が記されています。イエスを信じる人々を滅ぼそうとしたサウロが回心して伝道者となったこと。ペトロにより中風の人が元気になったこと。死人が生き返ったことです。イエス(の霊、名)によって人は、驚くべき奇跡の当事者になる、という話です。
 タビタのような人が教会にいる。それは素晴らしいことですが、愛すべき人と言えども、必ず死ぬ時がやってくるのです。教会の仲間は遺体を洗い、屋上の間に寝かせました。その後で香油を塗り亜麻布で包んで葬るのです。ところが近くの町リダにペトロ先生が滞在されていると聞いて「弟子たち」は、急いで二人を使いに出しました。
 ペトロが到着すると、かの未亡人たちがタビタがどんなに善い人だったかを泣きながら訴えました。しかし、それは思い出に過ぎないのです。
 意外なことにペトロは皆を追い出して一人になり、跪いて祈りました。奇跡の経験は何度もあります。しかし今回は特別です。死んでいるのです。ペトロはひざまづいて(これは礼拝の姿勢です)神の答えを待ちました。そして遺体に向かい「タビタ、起きなさい」と呼びかけました。
 かけがえのない人が亡くなると、悲しみと同時に、不思議な怒りを感じるものです。この死は理不尽である。この人だけは生かして欲しい、死んでいいはずがないと。
 アルフォンス・デーケンという上智大学の先生が「よく生き、よく笑い、よき死と出会う」という本で、思春期の衝撃的で悲しい出来事を振り返り、それらが「死生学」を志す遠因になったと語ります。4歳の妹の死。連合軍の戦闘機に狙われ九死に一生を得たこと。ドイツの敗戦が決定的になったころ、家を接収しにきた連合軍兵士を白旗で迎えに出た祖父が突然彼らに銃撃されて死んだこと。敬虔なカトリックの家に生まれ「汝の敵を愛せ」という教えで育ったアルフォンス少年の信条が打ち砕かれます。けれども短い時間とはいえ悩み抜き、祖父を殺した兵士たちに「ウェルカム」と手を差し出して家に迎え入れたのです。
 死に向き合い、死の深い意味を求めるとき、突然、生かされている意味が示され、しみじみとした喜びに浸ることが出来るのです。