2017.9/24 主の道を行き、従え

◆主の道を行き、従え (申命記8:1-6、使徒20:1-6)新改訳↓
 パウロは弟子たちを集めて励まし、別れを告げて、マケドニアへ向かって出発した。
 エフェソを去る時、パウロは弟子たちを集めました。教会が成長すればするほど世の風当たりもサタンの攻撃も強くなり、困難が待ち受けていることを教え、その時こそ聖霊が強くして下るのだと教えて励ましたのです。後日のパウロの言葉によれば「何ら立場のない者という自覚をもって(本田訳)、涙を流しながらユダヤ人の迫害の中でユダヤ人とギリシャ人の区別なく、神への立ち返りと主イエスへの信頼を強く訴えてきた」3年でした。迫害は起こるべくして起こるから、一心に神とキリストを信頼して過ごすよう具体的に指示して励ましました。
 さて、パウロは一人で伝道していたのではありません。アンティオケを出発する時、最初はバルナバとマルコが、2度目はシラスが同行しています。行く先々で協力者が与えられ弟子へと成長していきました。テモテ、エラスト、マケドニア人ガイオ、ベレアのソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、アジアのティキコとトロフィモ。彼らの消息は知られないものの、パウロの手紙に度々出てきます。そして「わたしたち:使徒言行録の著者で医者のルカ」が合流します。
 3回目の伝道旅行はエフェソが終着点となりました。そこを出発してマケドニアとアカイアをまわり義援金を預かってエルサレムへ向かうのです。もう一つの目的は各地の教会と信徒を励ますことです。ちょっとでもチャンスがあれば訪問し、彼らの信仰を確かめ、励まし、慰めるのです。ここで<励ます>も<慰める>も同じ言葉です。
 パウロ一行はペンテコステ(20:16)までにエルサレム到着をめざし船を探しますが、西風が吹くまで3ヶ月待たなければなりません。その間にアカイア地方を巡り歩いて「言葉を尽くして人々を励まし」ました。やっと出帆という時、陰謀を知ったので、(2コリント11:26~)陸路でフィリピへ向かい、そこでルカと再会。過越祭>除酵祭>復活祭を祝ってから海路で待ち合わせのトロアスに向かうことにしました。パウロは綿密に計画しつつ、先を急ぐときでもユダヤ人キリスト者として礼拝を守っていたのです。
 人生が旅であるならば、ひどい目にも遭います。不運と嘆くか神の訓練と受け止めるかで全く違います。荒野を40年も迷走する旅で神はモーセを通して言いました。「こうして主はあなたを苦しめて試し・・人はパンだけで生きるのでなく、主の口から出る全ての言葉によって生きるのを知るため」の旅です。これこそが真の慰めです。

2017.4.9 神の訪れの時を逃すな

 (ゼカリヤ書9:9-10、ルカ19:28-44)(本田哲郎訳)
 そして、お前は・・・破壊されるのだ。
   自分を見直す時をわきまえなかったからだ。
 陸上400㍍ハードル日本記録を持つ為末大(ためすえだい)氏は2012年の引退後、東京オリンピック準備の組織で活躍してきたが「皆さん一生懸命なのは事実。でも、何に向かっているのか分からなかった」と言う。メダルを何個とるという目標に何が残るのかという疑問があったのだろう。
 そして東京パラリンピック大会後に高齢者や障害者が活躍する社会ができるように、その基盤作りに力を注いでさまざまな活動をされている。1)自らの知名度が生かせる間に資金と雇用を作りだし、2)マラソン大学によってスポーツとは何かを子どもたちと考えたり、義足の開発などで障害、高齢者の社会参加を促し、3)支援というスローガンではなく、マイノリティーそれぞれが持っている価値やエネルギーを生かす社会にしようというもの。

 イエスがエルサレムに入城されたとき、弟子たちも「主の名によって来られる方、王に祝福があるように・・」と誇らしげに叫んだ。しかし弟子たちも民衆もイエスの思いとはかけ離れた期待で胸を膨らませていた。
 イエスがエルサレムに入城された様子は4つの福音書に記されていて、共通点も多いが異なる点もある。木の葉や枝、上着を道に敷いて歓呼して迎えたのは群衆だったとみえるが、ルカは弟子の群れがそのように迎えたと記している。この時まで大勢の弟子がいたことになる。この騒ぎに、「ラビ、弟子たちを叱って下さい」と注文が出た。それはイエスを伝統やしきたりを破壊する危険人物だとみなしたパリサイ人からだった。イエスは「もし、この人たちが黙れば、石が叫び出す」と警告をもって応えた。
 イエスは「神に愛された都がその名の通りにだったら」とどんなに思っただろうか。エルサレム=平和の礎(神)という名にもかかわらず「エルサレム、エルサレム、預言者達を殺し、遣わされた人々を石で撃ち殺す者よ。めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だがお前たちは応じなかった(マタイマルコ)」と。
 こうして裁きの時が来てしまう。紀元70年にエルサレムはティトゥス将軍により焼き払われて陥落し、マサダの砦に籠もった男も女も子どもも民族主義の犠牲になった。現在に至るまで争いの渦中にある都エルサレム。そして平和の主イエスを否む世界に。
 しかし、神はイエス・キリストという神殿を打ち立て、信じる者は平和に生きよ、と招いて人々の中に住んで下さる。自らの愚かさを嘆いて十字架を見上げる人に、神の訪れを喜ぶ人々に中に。

2017.4.2 いわば、給仕する者として

 (イザヤ書57:14-21、ルカ22:21-34)
わたしは、高く聖なる所に住み、
心砕かれて、へりくだった人と共に住む。
「おかわりぃ」子どもが幼かったとき、喜んで応えていた。今いい歳をした娘から「半分おかわり」と椀を突き出されると何で?と思う。三度の食卓で妻にさしたる感謝も示さない私が、そんな心境になるこの頃です。
 食卓には交わりと教育という目的があると思います。食べることは肉体に欠かせませんが、食餌、孤食では空腹はしのげても心を温め、所属感を育むことはできません。
 最近、各地に開かれている「子ども食堂」は家族関係や社会の孤立化という貧しさの中でひもじい思いをしている子どもを具体的に知っている方々の愛情から生まれたと思います。そして、主イエスがその交わりの中にきっといてくださると思います。

 明日は十字架にかけられるという晩に、師であるイエスは、弟子たちと過越の食事をしました。過越は第一に奴隷から解放された歴史を魂に刻み祝う祭りです。その食事は子どもへ神の救いの歴史と信仰を継承し、友人を招いて同胞の結束を強める機会でもあるようです。
 一方、食卓は宗教的に清めれるべきと考えるユダヤ人は、接客に際して、その家の僕が客人の足を洗う水を提供し、手を入念に洗ったようです。また、穢れとみなした人とは決して食事を一緒にしなかったのです。民のリーダーたちがわざとらしい清めの儀式を好み人を分け隔てしたのに対し、ヨハネ福音書13章には師であるイエス自らが弟子の足を、一人一人、祈りを込めて洗って下さる姿があります。
 食事の終わりに、イエスは弟子の一人が裏切る(敵に引き渡す)腹を決めたと、はっきりと告げました。一体誰が?互いに顔を見合わせ、いつのまにか「誰が一番偉いか」と夢中になってしまった弟子たち。
 あの時の弟子たちも、現代に物質豊かさのあふれた世界に生きる私たちも、いったいイエスに何を求めているのでしょうか。社会の醜さや不合理を嘆き、理想を求めて従った弟子もいたでしょう。イスカリオテのユダはそのタイプだったかも知れません。
「神の国は近づいた」というイエスの宣言は「異邦人の間では王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と言われている。」そのような人間が互いに優位に立とうとして滅ぼし合っている時代の終わりを意味しているのではないでしょうか。
 イエスの弟子たちがなりたかった「上に立つ者」とは古い人間像で、今でも主流です。有能・実力者という実績を示し、それが虚像とは自覚できないで追い求め演じ続けられる人のことです。イエスが実証したリーダーとは「いわば給仕のように」食卓を整えて仕え、他者の秘められた価値を見いだし、そうして生まれる連帯や共存を、互いに愛し合える関係にまで育む人です。
 「あなた方の間ではそうであってはならない」「わたしはいわば給仕のように」という給仕という表現は「ディアコネオゥ:給仕する、執事」という教会を言い表すもう一つの表現です。

2016.5.15 私たちの上に聖霊が降るとき

◆ (レビ記19:1-4、使徒言行録1:6-11)
 聖霊があなたたちに臨む時、あなた達は力を帯びて、エルサレムでユダヤとサマリアの全域で、更には地の果てまで私を証しする者となる(使1:7-8)
 今日はペンテコステの祝いの日です。祈る群れの一人一人に聖霊が注がれ聖霊は弟子を世界に押し出しました。そして時空を越えて私たちに福音が伝えられました。
 復活のイエスは40日の間、色々な場で弟子に現れて神の国について話されましたが、食事の席で「エルサレムを離れず、前に私から聞いた父の約束されたものを待ちなさい」と命じました。まもなく彼らが聖霊によるバプテスマを受けるからです。
 弟子たちは「王国の再建」はいつですかを尋ねます。イエスは「それがいつなのか、あなた方が知るべきでないし、知ることも出来ない」と答えます。弟子たちはダビデ王国の再建を思いましたが、イエスが打ち立てようとされた王国は、それとは性質が真逆なもので、ペンテコステを経験するまで理解できないものでした。
 主イエスの王国は「教会:エクレシア・ディアコニア」です。私たちが「我は教会を信ず」と告白する、聖霊の力によって立つ王国です。エクレシアは神に選び出された人々による礼拝共同体で、ディアコニアは信じる者が助け合う生活共同体です。教会は聖霊によって集められ、互いに愛し合い御国の到来を待ち望みながら、一人また一人と加えられていく神の家族です。
 さて「父がご自分の権威で定めた時や時期はあなた方の知るところではない」という教えは感謝なことです。「おまえの人生は何年のここまで」と知らされたら安心して暮らせません。
 必ず人生の終わりの時は来ます。それは厳然たる事実です。しかし、その時を知らないからこそ、許されている間に精一杯生きていけるのではないでしょうか。
 さらに「あなた方に聖霊が降ると、あなた方は力を受け・・・イエスの証人となる」という祝福の約束を信じるなら、人生の全てが聖霊の力の下にありイエスが共にいて下さるのでどんなことでもできる、と力がわきます。
 パウロは労苦を共にしてくれたフィリピの信者に「私は自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。私を強めて下さる方のお陰で、私には全てが可能なのです(4:11-)」と言い切ります。
 神に選ばれ「聖なる者になりなさい」と。聖霊によって私たちは聖なる器として用いられ、私たちによって教会は建てられるのです。喜んでその招きに応えましょう。

2016.5.8 神の選びを無にしない

◆ (エレミヤ20:10-13、使徒言行録13:44-52)
そこでパウロとバルナバははっきりとこう宣言した。「神の言葉はまずあなた方に語られなければならなかったのです。しかし、あなた方はそれを拒んで、自分自身を永遠の命に相応しくない者と決めたのです。(新改訳:使13:44-52)
 善かれと思ってしたことや口から出た言葉で人間関係が壊れることがあり、信じて行動し主張した結果、共同体が分裂し深刻な対立にさえ発展することさえあります。一方ではっきりとした態度をとらない事なかれ主義の人もいます。何が正しい態度か難しい課題です。
 パウロとバルナバは聖霊に導かれ、現在のトルコ中央部にあったアンティオキアのユダヤ会堂で聖書に基づいて力強くイエスの福音と罪の赦しを語りました。次の礼拝には町中の人が押しかける程になりました。ところが、そこに強硬な反対者が現れます。
 「群衆を見てひどくねたみ口汚く罵って」と町の人がパウロの説教に熱狂する有様をユダヤ人がねたんだというイメージにとれますが、そうではありません。
 「宗教的な熱意にかられ、パウロが言ったことに侮りを込めて反論した。本田訳」
 ユダヤ人は自分たちが信じる神が冒涜され、信仰の秩序が破壊されると受け取って猛反発しました。若い頃のサウロ(パウロ)がキリスト者を徹底的に否定したように。
 後に「聖霊によらなければ誰もイエスは主であると言えない(1コリント12:3)」と告白しましたが、パウロは聖霊によって説教し、ユダヤ人は伝統的な解釈によって反対したのです。
 皮肉なことに、キリスト教が公認され権力側につくと、他の宗教だけでなくユダヤ人を迫害するようになりました。
 パウロは大胆に宣言します。「神の言葉はあなた方に語られなければならなかった。しかし、あなた方はそれを拒否した。だから、神の言葉は(私たちによって)外国人に向けられる」感情的に反射的に出た言葉ではなく、これも聖霊による言葉でした。
 主イエスは「いざという時、あれこれ迷うな、その時は聖霊に委せれば言うべき言葉は自然に出てくる(意訳)」と励まされました。一方で主イエスから出た言葉は鋭い刃物でもあり「兄弟は兄弟を父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう」と。人間的には断ち切れない悪習や硬直した考え、伝統や掟の縛りを一刀両断して、「そのうえで」聖霊が新しい秩序、出会いとして堅く結び付けてくれるのです。
 母の日、感謝を表し喜びを分かち合う日。信仰のバトンタッチを感謝して受け取る日でもあります。生まれる前から神に選ばれ、母なる教会に連なって生かされるため。

◆母の日 大好きなママに手作りの贈り物、遠方の老母に久しぶりで電話、床に伏す母親の見舞い、亡き母を偲んで花を供え、それぞれに感謝の思いをあらわします。
 米国マサチューセッツ州ウェブスターのメソジスト教会でアンナという人が母親の追悼会を催しました。礼拝堂をカーネーションで満たして母の愛に感謝したそうです。これを知った百貨店王ワナメーカーが5月第2日曜に店頭で盛大な「母の日記念会」を催しました。1908年のこと。1923年(T12)に日本で最初の母の日が祝われました。

2016.5.1 新しい命が拡がった

◆ (エレミヤ24:1-7、使徒言行録13:34-43)
 ダビデは同時代の人々のために、神の意向を実行に移したのち、眠りにつき 父祖たちの列に加えられて、体は腐敗しました。しかし神が立ち上がらせた この方は、腐敗を見ることはありませんでした。(本田訳:使徒13:36-37)
 ことわざに「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」とあります。虎の皮、人の死はこの世に何かを残します。諺はこの世を傍観者の目でとらえた知恵の言葉です。
 しかし聖書の言葉は全く反対です。ダビデは名家の息子でしたが跡継ぎや王になる可能性はありませんでした。ところが神はダビデを選び、いかにも勇壮な兄たちをよそに、預言者サムエルによって「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」と言わせます。末息子が次期の王として油を注がれ(任職・即位)たのです。
 ダビデが選ばれた理由はただ一つ。神にまっすぐだったからです。彼は決して完璧ではなく、王になって恐ろしい罪さえ犯しました。また妻や息子の愛し方を知らず悲劇を招きました。けれども、最悪の時にこそ神を求め一切を神に告白して、その身を神の手に(意思に)委ねた人でした。そして死んで王墓に葬られ、朽ち果てました。
 信仰の手本のような人も神の前に罪人であり罪により「死んで朽ち果てた」のです。ダビデが残したものは少なくなく、偉大ですが、すべて過去のものです。
  一方、イエスは預言者の一人と言われましたが、神の独り子として受け入れられず、十字架で(木に架けられ呪われ)殺されました。誰の目にも神に見捨てられたと映りました。
 けれども、ここに神の深い愛と知恵があります。私たちは本当に大切な人を傷つけ、大切なものを破壊し、取り返しがつかなくなってはじめて、大切さ、尊さを知るという「手遅れを繰り返してしまう」存在です。それが罪の結果です。
 失敗と悔いのどん底に至って、人は捨てられるか、それとも引き上げられるのか。
 福音は「低みに立って、やり直しなさい」という招きです。すべての人に向けられています。低みを拒否する人には遠い声になります。しかし、イエスの声に引き寄せられ、赦されたと宣言され、信じて生きようと決心するする人には、朽ち果てない(腐敗しない)永遠の命の約束です。
 約束は信じる人にだけ意味を持つものです。「信じない人は既に裁かれている(ヨハネ3:18)」信じない人と信じられない人は違います。信じない人は警告されます。信じられない人は「留まりなさい」と忍耐と愛をもって諭されています。それに気づくときがチャンスです。

2016.4.24 この救いは私たちのもの

◆ (エレミヤ31:21-26、使徒言行録13:26-37)
同胞の皆さん、アブラハムの一族である方たち、また、あなた方の中にいて神をおそれる人たちもです。あの救いをもたらす出来事は、私たちに向けて起こったのです。(本田哲郎訳:使徒13:26)
 主イエスのご生涯と出来事は「私たちに向けて完成した」と、パウロは言います。
誰かに何かを差し上げる、ということはよくあることですが、熊本・大分の大地震の被災者に支援物資が送られる際に「嬉しい、助かった、感謝」と思えない物が混じる場合があります。「生もの、冷凍品、古着など」ちょっと考えれば分かることです。
 かつてバザーでもありました。くしゃくしゃで汚れた古着、汚れた雑貨、季節外れの品など。本当の求めは何か?。行為でも言葉でもお互いに考えなければと思います。
 「神はその独り子を与えるほど、この世を愛した」「彼を信じる人が一人も滅びないで永遠の命を受けるため(ヨハネ3:16-)」とイエスはこの世に来られました。けれども人間はイエスが来られた意味を理解しなかったのです。しかも、聖書に無知な人がでなく、権威あるはずの人々が聖書の意味を「知らなかった」のです。
 ところが神の愛はそうなると見抜いていながら実行されました。私たちは拒否されるかも知れない」という思いがあると「偽善的でテキトーな」物や言葉でその場をしのぐことがあります。自分が傷つかないためです。相手に本気で向かって行く人は、時に断定的に、時に一方的に、時に激しくなります。そして相手が理解できず反撃してきた時に受ける傷は深いものです。それでも、諦めないのが神のなさる方法です。
 私たちは、イエス・キリストのゆえに神の子とされています。そう信じられるとき、神の愛の深さ、尊さ、激しさ、そして赦しのプロセスと意味がだんだんと分かり、応えられるように成長させられていきます。そのプロセスは聖書がすでに教えていたことを学ぶのです。聖書を研究すればイエスが分かるのではなく、神に赦され、イエスに出会う(イエスの働きに遭遇する)ことによって聖書が分かってき、聖書をもっと知りたい、理解したいと願うようになれるのではないでしょうか。
 あぶないのは、エルサレムの指導者、律法学者のような形式主義者、そして一度はクリスチャンになったが神の愛から離れたような人間主義(まじめ頑張り屋)的な人。信仰を分かった気になることが、聖霊の働きに無感覚になるのです。
 聖霊よ、来て下さい。私たちが神の愛を心から感謝できるために。

2016.4.17 神を真実とする人々

◆ (サムエル記下7:18-29、使徒言行録13:13-26)
 イスラエルの人たち、ならびに神を畏れかしこむ方々。よく聴いて下さい。(13:16)
「あなた方のうちにある希望について説明を求める人には、誰にでも、いつでも、弁明できる用意をしていなさい。正しく、優しく、慎み恐れて、正しい良心で。(1ペトロ3:13-22)
 買い物帰り、ある人が「ちょうど良かった。キリスト教について聞きたいことがあるけど、いいですか」と声をかけてこられました。百年前、安曇野で柳田国男が宗教について、耶蘇教についてした講演の書き写しを見せて。たまたま神学校の卒論で扱った分野に近かったので応じたのですが、まさに、上記のみことばを思いました。
 バルナバとサウロは「聖霊に送り出され」キプロスの人々に福音を伝えました。さらに海路ペルゲに到着しましたが、そこでヨハネ(別名マルコ)が帰ってしまったのです。がっかりしパウロは腹だたしかったと思います。それでも険しい峠を越え、高原のアンティオキア(この名は各地に16も)に到着。ここにもユダヤ会堂がありました。
 ローマの植民都市でギリシャ人が多い町。二人は安息日に会堂入って席に着きました。律法と預言書が朗読されると、会堂長の使いから「兄弟たち、何か励まし(慰め)の言葉があれば」と声をかけられました。イエスも故郷ナザレの会堂でイザヤの言葉を示して「あなた方が耳にした言葉はきょう成就した」と説教されました。アンティオキアでの聞き手はユダヤ人と改宗した外国人(ギリシャ・ローマ系)。
 パウロが立って挨拶し、同胞には「シェマー(聞け)、イスラエルよ」と思いを込め、改宗者へは「神を畏れる方々」と敬意をもって話し始めました。そこには会衆への配慮がありました。彼らの先祖の歴史や神の理解、話を聞く習慣が違ったからです。
 パウロとも呼ばれていたサウロ(13:9)が私たちに語るメッセージとしても聞けます。聖書に親しみつつも、日本人の歴史や宗教観、ものの考え方の中で生活している私たちへの語りかけです。「イスラエルよ」神に選ばれてクリスチャンになった人に。「神を畏れる方々」神の導きで礼拝する仲間にされた人に重ねていいでしょう。
 パウロは「神の恵み」に集中し、超コンパクトに救いの歴史を語りました。わずかな信仰の家族が、苦難をへて力強く増え拡がり、神の民になった。エジプトで強大な民族になり、エジプトを出て信仰の民となる。それらは神の御腕の導きと支配、反抗した日々の愛と忍耐の養育の故だったというのです。
 その選びと恵みの究極の目的は、あなた方(アンティオキアの聴衆も、私たちも)が救い主イエスを知り、主を受け入れるということだと。この神の愛に素直に「アーメン」と応えられる信仰こそ「神を真実とする」生き方なのです。

2016.4/10 聖霊に送り出される道

◆(列王記上8:54-61、使徒言行録13:4-12)
 聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向けて船出し、サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げた。
 「時は満ち、神の国はすぐそこに来ている。低みに立って見直し、福音に信頼して歩みを起こせ(本田哲郎訳マルコ1:15)。主イエスの宣言は留まらず世界に拡がっていきます。
 約160年前、日本が鎖国を解くやいなや、欧米の宣教師たちが命がけでやってきて、祈りつつ本格的に伝道できる時に備えていました。聖霊の導きと人間の行動が一致するとき驚くべきことが起こります。
 私たちの教会の前身の松本教会は、横浜でその時を待っていた宣教師に一人の商人が出会って聖書を持ち帰ったことで始まりました。
 アンティキア教会に祈られて送り出された二人が、聖霊に導かれたのはバルナバの故郷キプロスでした。まずその地のユダヤ会堂から神の言葉を伝え始めました。それがその後の世界伝道につながります。彼らは、どこでもユダヤ人に語りかけました。
 この島の総督はセルギウス・パウルスという博学な人でした。総督はバルナバたちの噂を聞いたのでしょうか、二人を官邸に招きます。総督の傍らにはバルイエスという人物がいました。実はバルイエスは「偽預言者」で「魔術師」でした。
 偽者を見分けるのは容易ではありません。世間では偽ブランドと知りながら愛用している人が多数いますが、本物に比べて圧倒的に値段が安いから分かっているのです。
 ところが、本当のニセモノは見分けがつかないほど本物らしいのです。総督は博学で宗教にも歴史や哲学にも通じていたのでしょう。バルイエスの話も知恵に満ち、筋が通っていて政治的助言としてこれまで貢献していたに違いありません。だから分からないのです。
 ところが、みことばが官邸で語られると、バルイエス(エルマ)はみことばに異論を挟みます。呪われた人が救い主であるはずがないと。
 パウロはバルイエスをじっと見つめて、「偽者、正義の敵、主のまっすぐな道を曲げる者、主の手がお前の上に下る」と宣言します。彼はたちまち目が見えなくなりうろたえました。(福音書のペトロ、使徒9章のサウロの体験と似ています)
 その現場にいた人は皆どんなに驚いたことでしょう。みことばに圧倒された総督は信仰に入りました。
 なぜバルイエスにこんなことが起こったのでしょうか。「主のまっすぐな道」に対抗したから、それはクリスチャンも知らずしてしているかも知れません。
 ところで、ソロモン王は当世一大の賢者でしたが、政治的な必要から多くの正妻と側室を持ち、彼らの母国と通じていたために、晩年は神が何度も預言者をおくって諭したにもかかわらず、曲がった道を改めようとしませんでした。
 「まっすぐな道」は聖霊が導いて下さる道です。時に理性で抵抗したくなるような、尻込みしてしまうような道へも。

2016.4/3 さあ、私のために聖別しなさい

◆ (エレミヤ31:27-28、使徒言行録13:1-3)
 主を礼拝し断食していると聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロを私のために 選び出しなさい。私が前もって決めておいた仕事にあたらせるために」使徒言行録13章2節
 私たちの歩みは今朝から26年目に入ります。たった3節のみことばに幾つもの重要な言葉が含まれています。主、礼拝、断食、聖霊、召命、預言、教師などです。
 1991年、長野県町教会の伝道師として働き始めた頃、親友のMさんの田んぼで稲刈をするというので誘われ、そこでH伝道師、Oさんと初めて出会いました。
 まさかその後、O青年が仕事を辞めて神学校へ、更に20年後にMさんも献身の道に踏み出すとは想像もしませんでした。二人の心にはすでに幻があったのかも知れません。
 世間で「主を礼拝する」と言っても分からないでしょう。「神を礼拝する」「仏を拝む」は通じるかも知れません。
 主を礼拝する、と言うときの主は「私の主」です。神とか仏とか漠然とでなく、まさに私の救い主、私の所有者(キュリオス)、私のイエスです。
 主なる神、主なるイエスに集められた(エクレッシア)人々が「教会」です。共に集い、神に結びつき、礼拝してこそ神の民「主を讃美するために民は創造された(詩102:19)」なのです。
 「礼拝」と訳されたレイトゥルギアは、民(ラオス)と仕事(エルゴン)の合成語で、神の民の仕事を意味します。
 古代ギリシャの都市国家(ポリス)で自由人が、公共のために時間や労力、知識や技術、時間、私財を提供することでした。あくまで自由人が、自発的に喜びと名誉をもってなすことだったのです。
 人生でも歴史でも節目の時があります。人が思い描く夢や計画ではなく、予想もしない時と方法でそれが実現するのです。
 福音の場所も、ガリラヤからエルサレムへ、エルサレムからガリラヤへ、アンティオキアへ、そして未知の世界へと。
 アンティオキアの教会はエルサレムの貧しさを補うほどに成長し、そこに集まった人たちは多彩でした。肌の黒い人(ニゲル)と呼ばれるシメオン、キレネ(北アフリカ)人のルキオ、領主ヘロデの同窓(たぶん貴族)マナエン、中核のバルナバとサウロなど。
 預言のカリスマを与えられた人、聖書や預言を解き明かせる人がいました。彼らは定期的に礼拝し、伝道について語り合っていたかも知れません。だからこそ、ある時、断食して判断を主に仰いで祈っていたのです。
 あるとき「バルナバとサウロを聖別しなさい。彼らを召したとおりの仕事を与えよう」と聖霊が告げました。人の思いを越えた選びと成長の節目です。それはクリスチャンの誰にも、教会にもあるのです。