2020.5.17 彼は彼、あなたは私に従いなさい

今朝は「神と私」ということを御言葉から考えてみたいと思います。
ペトロは「あなたは私に従いなさい」と命じられました。単純な話です。ここであなたとはペトロ、私とはイエスで、1対1の会話です。浜辺には7人の男がいたのですから「あなたがたは私に従いなさい」と言われる可能性もあったはずです。しかし、この時イエスさまは、ペトロ一人に顔を向け「あなたは私に従いなさい」と言われました。
 教会とはイエス・キリストを信じる人の集まりですが、キリストを追い求めて弟子になった人はいないと思います。不思議な導きでキリストを知り、人生のどこかで「わたしについてきなさい」という声を心で受け止め、教会の仲間として「わたしは」ここにいるのです。
 しかし「あなたは」と特別に呼ばれた時、おそらく誰も準備は出来ていません。ペトロもそうでした。「あの人はどうなるのですか」と他の人のことが気になって、目をそらしてしまうものです。
 ペトロは弟子たちのリーダー格です。教会の伝承によればエルサレム教会を組織し、アンティオキア教会の監督になり、小アジア・現在のトルコ一帯のパウロが開拓した教会を指導し、ローマで殉教したと伝えられています。
 一方、ヨハネはペトロの殉教後も長生きをして、迫害の中で離散したり混乱していく教会を見据えて、パトモス島に幽閉された身で黙示録を書いたと言われています。若い時のヨハネとヤコブは雷の子とあだ名されたほど気性が激しい野心家でした。しかしヤコブはエルサレム教会の指導者であるとき12弟子で最初の殉教者になりました。
 ヨハネは歳を重ねていくにつれて、一つのことしか言わなくなりました。「子らよ、互いに愛し合いなさい」と。そのため弟子たちはこの教えに飽きてしまい「先生、どうしていつもこれを言われるのですか」と聞きました。するとヨハネは「これは主の命令である。そして、もし、ただこれのみが行われるならば、それで充分である」と答えました。ヨハネは主の愛の戒め以外は忘れてしまったと伝えられています。
 新約聖書は弟子のプロフィールや消息を詳しく語りません。むしろ12弟子の中には名前が紹介されているだけでどういう人であったかすら書かれていない人もいます。
 しかし、それでいいのです。聖書が主張することは、神はどんなに人間を愛したか、なぜイエスをこの世に送り出したか、イエスは旅をし多くの人に出会い、全く違う環境に生まれ育った人が呼び集められ、神の愛の働き人になったかを伝えるのです。
 大事なのは、その時その時にイエスさまの「あなたは、私に従いなさい」という声に応えて決心することなのです。そうすれば人生にかけがえのない意味が与えられるのです。
 さて、「わたしと神」に関係して一つの歴史を紹介します。週報に記しましたが、信徒の友には全国17教区から2つの教区が選ばれて、そこの教会のために祈ろうというページがあります。5月号は神奈川教区と東海教区から選ばれ、東海教区では喬木教会と神山教会です。
「神の山」と書いて「こうやま」と読むのですが、静岡県の御殿場にある国立ハンセン病駿河療養所の施設内にある教団の教会です。1951年の7月に設立され、今年で69年周年になります。
 この教会に関連する歴史を調べてみると、明治時代まで遡ってフランス人宣教師ドルワール・ド・レゼー神父の名が出てきます。レゼー神父はカトリック教会が運営する神山復生病院の第5代院長でした。この病院は日本で最初に作られたハンセン病の療養所です。
 ハンセン病とはライ病の名で数千年前から知られる皮膚病で、皮膚の小さな赤い斑点から始まり抹消神経がやられて感覚がなくなります。やがて肉や骨まで崩れていくので非常に恐れられ、患者は隔離されました。イエスの時代は勿論、日本書記や古事記にも登場しています。
 19世紀の終わり頃にノルウェーのハンセン博士によって「らい菌」が発見され、20世紀になると特効薬が開発されて完治する病気になりました。しかし日本では特効薬で完治するにもかかわらず、元患者の強制隔離は続けられ、療養所では断種手術がなされたり、自由を求める行動に対して厳しい罰が与えられたりした歴史があります。
 1996年に「らい予防法」が廃止された今でも、元患者の人権の回復も社会復帰への道も険しいままです。故郷に帰ることを阻み、家族に患者がいたことを知られまいとする根深い差別は続いています。
 私は医療関係の仕事をしていた時、東京や群馬県の療養所で患者さんを見かけたことがあるし、神学校で学んでいた時期に岡山県の療養所にある教会の礼拝に出席した経験がありましたが、患者さんの人権を真剣に考え関わったたことがありませんでした。
 考えて見るとコロナウィルスに感染した人やその家族、治療に関わる病院や医療者への心ない仕打ちは、理解できない対象への恐怖心や、差別の歴史を教えられなかった教育の偏りや、立場の違う人への想像力の欠如がそうさせるのではないでしょうか。
 さて、レゼー神父の時代に英語教師になったばかりの22歳の女性がハンセン病と診断されて神山復生病院に入所しました。1919年のことです。その人の名は井深八重さんです。八重は入所させられ悲しみと恐ろしさで心が一杯でしたが、やがて、患者をとても大切にするレゼー神父の生き方を知って共感し、一生懸命に手助けしました。3年後、再検査で誤診と判明します。皆が別れを惜みながらも送りだそうとしましたが、八重はそこに留まって看護婦の資格を取り、生涯にわたって患者に仕えました。遠藤周作の「わたしが捨てた女」のモデルになった人です。
 ちなみにソニーの創立者である井深大(まさる)さんは八重の親戚で、障害がある娘さんがいたことで、エンジニアであると同時に障害者が自立でき生きがいを持って働ける会社を立ち上げました。また早稲田大学時代の恩師と共にパラリンピックの普及にも力を注ぎました。
 話を元に戻して、神山教会は駿河療養所に入所していた患者さんたちのために2キロほど離れた神山復生病院から神父さんが足を運んでくれて生まれた教会です。その後も宣教師や近隣の牧師が訪問して聖書の学びや聖餐式、礼拝を守ってこられました。
 代務者である宮本義弘牧師によると、現在、教会員は4名で、ハンセン病の後遺症のために目も耳も足も不自由になっているけれど、背中に説教題を指で書いてもらい、共に主の祈りを祈り、使徒信条を告白し、聖餐にあずかる礼拝を守っています。十字架の上のキリストが「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる」との御声が響き渡っています。「終焉を迎えるまで主日礼拝を守る」ことが皆さんの祈りです。
 人間としてこの世に生を受け、初めから身体的に、経済的に、人間関係で重荷を負っている人もいます。順風満帆と思えた人生の中でイエスの内なる声を聞いて別の道を歩み始めた人もいます。そして私は、幼いときから親子で教会に通っていましたが自我の強い子として大きくなり、何度も挫折を味わいながらも、伝道者としての道を示され、遣わされた地で家族を与えられ、信仰の仲間に出会い、毎朝御言葉によって支えられています。
「あなたは私に従いなさい」と言われたイエスは、目には見えない、触れることは出来ないけれども、私たちの心に不思議な暖かいものを注いで下さり、時に間違いを厳しく指摘してくださり、祝福につながる道を選ぶようにさとされます。
 祈ります
 主よ、生まれながらの重荷も、自ら請け負った大きな責任も、あなたは突き放して一人で負えとは要求なさいません。「わたしはあなたと共にいる」と聖霊の働きを通して励まして下さいます。
 わたしを私として正確に理解して下さるあなたにすべてをお委せします。今週も一人一人を養い励まし、あなたの声についていける人にして下さい。コロナの引き起こす災いを恐れないで、あなたを愛し、家族や隣人と共に生きていきます。
 主の名によって祈ります。アーメン