◆(列王記下5:15-19a、ルカによる福音書17:11-19)
さて、彼らの内の一人は、自分が癒やされたのを見て、大きな声で神を讃美しながら戻って来た。そして顔を(大地につけて)イエスの足下にひれ伏し、彼に感謝するのであった。しかし、彼はサマリア人であった。(岩波訳:ルカ福音書17:15-16)
「イエスさまー。先生ー。私たちの苦しみを分かって下さーい。」
「キリエ(主)・エレイソン(憐れみたまえ)」は、自分の罪に苦しみ、解放を心から願う人々の讃美です。
「らい病」と訳されたレプラとかツァラアトは古代から世界中にあった病気で、激しい差別を生みました。これらは必ずしも「らい病」を意味するものではないので新共同訳では「重い皮膚病(王下5:1)」と改めています。一般的に「ハンセン(氏)病」と呼ばれます。
奈良時代から「白癩びゃくらい」として忌み嫌われ、明治時代に入ると「無らい運動」と称して、患者を見つけ出し隔離する政策が徹底され、無数の家族が引き裂かれるという悲しい歴史を生みました。
1941年に特効薬のプロミンが開発され、1960年代には治療法が確立していたのに「らい予防法」による隔離は続けられます。1996年にようやく廃止されて「ハンセン病を正しく理解する日」が制定されますが、現状はほとんど変わりません。ついに国の責任を明らかにし賠償を求める訴えが熊本でなされました。2001年に裁判所は訴えを全面的に認め、国は控訴を断念しました。当時の小泉首相、坂口厚労大臣が謝罪したことは記憶に新しいのではないでしょうか。それでもなお容易に故郷に帰ることの出来ない現実があるのです。
イエスの時代もこの病気の人は、山間地に隔離され、接触を禁止され「私たちはケガレた者です」と遠くから叫ばなければなりませんでした。しかし、イエスは人々が恐れる「ケガレ」など気にも留めず、沢山の人に触れて癒やされ(5,7章)ています。
17章は、イエスが十字架を覚悟してエルサレムへ向かう途上で起こった出来事です。10人のらい病人がイエスに「出会った」とあります。掟通り、遠くから、それでも必死で「イエスよ、憐れみたまえ」と叫びました。イエスは彼らを見て「行け。見せよ。その身を祭司に」と命じただけでした。言葉だけ?と思ったかも知れません。にもかかわらず彼らはすぐに出発しました。その10人は、途中で皮膚が清くされたことを感じてどんなに驚いたことでしょう。先を急ぎ祭司に体を見せ「完治した」と診断されれば、村へ帰ることが許されます。
ところが、ここに例外的な一人がいました。清くされたことを感知すると、とてつもない大声で神を讃美しながら戻って来ました。そしてイエスの足下にひれ伏し感謝を表しました。イエスは他の9人はどこへ行ったのか、と問いかける一方で、この一人を祝福しました。この人はユダヤ人から軽蔑されていたサマリヤ人でした。
この出来事は礼拝者の姿を示しています。神はいつでも苦しむ人の叫びに耳を傾けておられ、一番良いときに叶えておられるのですが、それが叶うとたちまち神を忘れてしまうのが人の罪深さ・さがです。感謝と讃美をたずさえて、繰り返しイエスのもとに返ってくる人への恵みは違います。
主イエスが「立って(復活の意)、行け(この世へ)。あなたの信仰が、あなたを救い続ける」と宣言されました。単に病気が治っただけでは本当の社会復帰は出来ません。神に愛されているという希望と確信が宿ってこそ、人は名誉を回復し、この世の荒波にも立ち向かう人にされるのです。その姿が、神の栄光を輝かせる讃美と礼拝です。