(申命記8:11-18、使徒言行録8:14-25)
神の贈り物を財貨で手に入れられると、おまえは見くびっている。こういう事柄に関して、おまえが関与する余地はまったくない。おまえの心は神にまっすぐ向いていないからだ。
おまえのそういう間違った考え方を、低みに立って見直しなさい。おまえの心のそういう思いを、なんとか赦してもらえるように、主に祈りなさい。 (本田哲郎訳:使徒言行録8:21-22)
魔術師シモンは、フィリポの語る福音と徴を信じてバプテスマを受けました。神を信じ、イエスの十字架の赦しを受け入れて新しく生きはじめたということです。しかし、シモンは自分の能力と、強烈な個性、支配欲のために大きくつまずきます。
フィリポの伝道によってサマリアでぞくぞくと信者が生まれました。11章19節によると、伝道対象はユダヤ人のみで、異邦人伝道はまだ先のことです。そこへペトロとヨハネがエルサレム教会から派遣されて、彼らが聖霊を受けるようにと祈りました。
二人がそれぞれ信者の頭に手を置いて祈ったのでしょう。すると信者たちに聖霊が与えられました。
これを見て「その素晴らしい力を私に買わせて下さい」とシモンは大金を差し出したのです。魔術本が金で買えたように、聖霊を与えるわざも同じと考えてのことです。
ただちにペトロは「お前も金も消え失せろ」と激しく断罪します。ちょうどペトロが(マルコ8:33)「サタン、引き下がれ。お前は神のことを思わず、人間の判断をしている」とイエスから激しく叱られたようにです。
けれども、ペトロの激しい断罪は救を指し示しています。「お前の心が神の前に正しくないからだ。悔い改めて主に祈れ。そうすれば赦されるかも知れない」
愛があるからこそ、はっきりと言うのです。そして、それにも応じない人には、本当の裁きが訪れるのです。
私たちは教会で「父と、子と、聖霊の名によって(マタイ28:19)」バプテスマを受けるのですが、新約聖書には
①ヨハネの(水の)バプテスマ、
②イエスキリストの名(キリスト)のバプテスマ、
③聖霊のバプテスマ、
④聖霊と火のバプテスマなどが記されています。
聖霊は神の見える働きです。聖霊を表す言葉として風とか息が用いられてきました。目に見えない働きが、働きを受けた対象の変化によって知ることができるからです。
たとえば、空の雲が流れ、木々の葉が揺れることによって風の働きや大きさが分かり、息をしているかどうかによって生きているかどうか、大丈夫かどうか判断できます。
聖霊は、神さまからの自由で好意を込めた働きかけであり、贈り物です。ただただ感謝して受け、心をまっすぐに神さまに向けて命を頂く。そこに人生があるのです。
◆憲法記念日
67回目の憲法記念日です。日本国憲法は1946年11月3日に交付され47年5月3日に施行され48年には「国民の祝日」で祝われるようになりました。
今、平和主義、主権在民、基本的人権はどうなっているでしょうか。聖書はすべての民の歴史を示します。