2020.5.24 見よ、神が祝福するすべてを

今日はペンテコステです。これはギリシャ語で50のことです。春の過越祭の翌日から7週後つまり50日目の夏の祭りで、7週の祭と呼ばれました。ユダヤ人なら何をおいても集うべき祭りが3つありました。まず春の過越祭。秋の仮庵祭、そしてペンテコステです。畑の初物、家畜の初子を神殿に奉納し、神の恵みに感謝しました。 この日、神殿に2つのパンと子羊や雄牛が献げられます。パンは初物の小麦粉にイーストを入れて発酵させたものでした。過越祭のパンは大麦の粉にイーストを入れないで焼いたので固くて美味しくなかったと思います。それは先祖がエジプトから逃げ出す時に、大急ぎでパンを焼いたので発酵させる時間がなかったことを思い出すためです。 神殿から帰ると、家族や親戚が集まって食卓を囲みました。年に3度の家族のお楽しみは、同時に親から子に民族の物語を語り聞かせる、大事な教育の時でした。 レビ記23章にはペンテコステの掟が書いてあり、麦畑は隅々まで刈り取ってはならないと命じられています。貧しい人や寄留者や旅人が残った穂によって飢えないように配慮する神の憐れみの心でした。ルツ記の物語を朗読するのはそのためです。ペンテコステには貧富や民族の区別なく、神の恵みを一緒に祝う祭りだからです。 さてこの日、弟子たちもユダヤ人ですからペンテコステを待っていました。しかし、他のユダヤ人と決定的に違っていたのは、イエスが10日前に約束された「上からの力に覆われる」ことを、心を一つにして待ちながら、ひたすら祈っていたことでした。 私なりの直訳を週報に記しました。ペンテコステの日が満了したと表現されているのは、聖霊を待つ祈りの時が満ちたということです。ルカ福音書24章によれば「わたしは父が約束されたものをあなた方に送る。高いところからの力に覆われるまでは都に留まっていなさい」と。使徒言行録の1章によれば「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして地の果てまでわたしの証人になる」とイエスは宣言されました。それでマリアやイエスの兄弟たち、大勢の男女の弟子たちが心を合わせて熱心に祈っていたのです。 単にイエスに期待する人々が、確信の人に変えられるには祈りの日々が必要でした。そこに聖霊が突然に注がれるのです。この出来事こそ聖霊のバプテスマです。聖霊に清められ新しく生まれた人々のことをエクレシアと呼ぶようになりました。エクレシアは信じる人の群れです。ペンテコステは教会の誕生日と言われるようになりました。 聖霊のバプテスマは人生にどう現れるのでしょうか。たとえば自分なりの努力で作り上げた生活が突然行き詰まるという体験です。私の都合におかまいなく突然、混乱の中に投げ込まれるという風にです。 私は聖書のような劇的な体験をしたことはありませんが、人生を右左する「あの時、この時」を思い起こすと聖霊の存在を実感します。母は幼いとき海でおぼれましたが助けられました。生きていなかったら私はいません。幼い兄が事故で死んで私は今でも生きている。神がわたしを生かして下さる目的は分かりません。確かなのは憐れみです。 高校3年生の時には牧師になりたいと思っていました。ところが父の会社が2度目の倒産をして家族の生活を思って別の大学に進みました。就職して10年、青年会長や役員として張り切っているときに突然、教会を揺るがす事件が起こり、牧師と対立し、同僚役員への不満、青年会員の死、上司への失望が重なって、何もかも投げ出したいとふさいでいました。その時、私が批判してきた人が訪ねてきて言いました。その一言で光が差し、自分の傲慢さに泣きました。 イエスの十字架と復活の後、弟子たちはユダヤ王国の再建が始まると期待しました。しかしイエスの宣言は違いました。弱い者小さな者力なき者を神の力が覆う。それを体験して宣べ伝えよだったのです。 だからペンテコステは聖霊による新しい人間の創造物語でもあります。人はキリストに出会い捉えられて以前と全く違う人間になります。ある人は一晩で、ある人は長い葛藤の中に投げ込まれ、そして聖霊のバプテスマが訪れます。それがいつであるのか、どのようにしてかは誰にも分かりません。天地創造のようにです。 方向性を失っている人生に世界に、突然「光あれ」と神の宣言が響きます。しかし聴く人は少数で、手段は秘密にされています。 数千年前の表現ですが、科学的な視点で読んでも真理だなーとつくづく思います。今日は、この大きな絵本や児童向けの聖書を用意しました。 レギーネ・シントラーさん、脇田晶子さん、中村妙子さんの作品です。何度も読み返してました。女性として母親として我が子に、見えない世界を愛情と信仰と希望で語っています。それでは、中村妙子さんの「創世記ものがたり」から一部を朗読してメッセージを終わります。 さて、六日目のことです。神さまは天と地をつくづく見まわされました。かがやく太陽、みどりの木、うれしそうにあそぶものたち、ぴちぴちおよいでいる魚たち。
「ああ、よくできたな」神さまはまんぞくそうににっこりなさいました。でもまだ、なにかものたりないようです。
「この地の上に、わたしのよろこびをよろこびとし、わたしの心を知ってくれるものがいたら、どんなにいいだろう。わたしのことばにこたえてくれる声がきこえたら、どんなにうれしかろう」そこで神さまは、人間をつくろうと、決心なさったのでした。
 神さまは人間を、ごじぶんのすがたににせておつくりになりました。人間にはライオンや、とらのようなきばも、わしや。たかのようなつばさもありませんでした。
 人間は、土でできた、もろい、かよわい生きものでした。けれども、神さまはこの土をとくべつにえらび、ごじぶんの命の息をふきいれてくださったのです。
「空の鳥、海の魚、けもの、虫、草木、わたしはすべてをおまえにまかせよう。かしこく地をおさめるがよい」神さまはこうおっしゃいました。 祈ります。わたしたちの世界は恐れと不安で押しつぶされそうです。あなたは「光あれ」の一言で無から有を創り出されました。新しい秩序を与えて下さい。私たちを聖霊で包んで新しく生まれさせて下さい。聖霊の力に包まれて、家族のもとに、この世に送り出して下さい。主イエスキリストの名によって祈ります。アーメン

2020.5.24 神は言われた。光あれ

  今朝は「新しく生まれる」ということを考えてみたいと思います。
昨年の1月から2月にかけて毎朝のように日の出前の東の空を見上げていました。木星と金星と土星とさそり座の赤いアンタレスが一望でき、毎朝それらがお互いの位置を変えていくのを見ていると不思議な思いに満たされるのでした。ずいぶん前、深夜に豊田市からの帰路、真っ暗な山道で吸い込まれるような天の川を見た時は、車を止めて放心状態になりました。今は南の空で火星と木星と土星が一望できる時期ですし、まさに今日24日は日の入り直後に金星と水星と細い三日月が西の空に三角形になって見えるはずです。
 皆さん最近、夜空を見上げることがありますか。大人になると幼い時の感動や不思議さが薄れてしまいがちです。中途半端な知識が邪魔をして、不思議さを感じる心を失ってはいないでしょうか。
 来週は聖霊降臨日・ペンテコステですから、天地創造の物語から聖霊について考えてみましょう。
 創世記を旧約の福音書と呼ぶ人もいます。わたしもそう思います。1章から11章までは、無から有が生まれる太古の創造物語で、アブラムの生い立ちで終わっています。12章からはイスラエルの族長、つまり聖書の民の誕生物語です。この50章におよぶ物語を貫いている確信は神の愛と赦しです。つまりご自分が造った存在に対して徹底的に関わろうとする意思、忍耐強い思いを証言しているのです。
 ヨハネ福音書の書き出しは創世記にそっくりです。「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。万物は言葉によって成った。」ヨハネ福音書の言葉は言語としての言葉ではなくて、思いとか意思とか秩序を意味する「ロゴス」という表現です。
 ところで、最初に「天を見上げる」というわたしの話をしましたが、普通の人にとって「天を見上げる」というのは、ちょっとしたきっかけだと思います。見ようとして見上げたのではなく、ふと視界に光るものが見えた。何だろう?と思った。「気づき」ではないでしょうか。
 アブラハムは深い悩みの中で、「天を見上げて星の数を数えよ」と神の言葉を聴きました。天の川を数えられるはずはありません。その時、ふと気づいたのです。「神さまが約束されたのだから、うそがあるはずはない。今ではないが必ず約束の時は来る」深い心の闇の中に光が差し込みました。天を見上げることは神の悠久の不思議さに引き込まれるようなものです。自分の考えがちっぽけだと分かるときです。そして、神の思いを知りたい、神の計画へ導かれたいという、人間としての本物の目標が生まれる時なのではないでしょうか。
 創世記を読んでみます。「はじめに、神は天地を創造された。地は混沌であって闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
 主の祈りで「天にまします」という時、天とは、創造主が完全に支配している領域、王国のことです。そして「我らの日用の糧を」という領域は不完全でお互いに争っている領域です。だから「天になるごとく」は神の支配が我らの地上世界を完全に包み込んで平和になるというイエスさまの信仰であり、そう祈る私たちの究極の希望なのです。
 はじめに神は天と地を造られた。しかし、地は混沌とし、水で覆われ、闇が深い溝を埋め尽くし、茫漠として価値あるものはなかった。その世界で、水の面を神の霊が動いていた。何とも奇妙な表現です。しかし、これは神の霊(聖霊)が神の言葉(命令)を待っている姿です。
 「光あれ」ここで光は明るさや暖かさをもたらす太陽の光のようでもありますが、闇に光がさすとき、絶望に希望が生まれ、混乱に秩序が生まれ、争いに平和が訪れる時にも、光が差すと表現します。
 光の性質はこうです。昔の家では朝になると雨戸の隙間や節穴から一条の光が差し込みました。経験的に分かることです。しかし光の中に闇の一筋を通すことは不可能です。また、光は方向を示します。ヨハネは証言しています。「光は闇の中で輝いている」人間世界はどこに向かうべきか、イエスキリストの到来を示しています。
 光を生んだのは「神の言葉」でした。ヨハネ福音書と調和します。
創造主である神は光を見て「それで良い」と喜ばれました。
 地は光によって照らされ、闇の領域と光の領域に二分されます。それで闇を夜と名付け、光を昼と名付けられました。夕があり朝があった。面白い表現です。日本語に朝夕という言い方はありますが、夕朝とは決して言いません。聖書の民は、一日は夜から始まるのだと知りました。夜は神が働かれる世界で、昼は人間や命あるものが活動する世界であると発見したのです。人間にとって夜は闇です。不可能が待ち伏せしている不安な世界です。一度目をつぶったら再び起きられないかも知れません。しかし、信じる人に朝はきます。
 このように神の言葉によって、まず光が生まれ、夕があり、朝があり第1日と呼ばれました。そして神は再び言われました。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」第2日です。第3日は地上に植物が生まれます。種を持ち実を結ぶ草と木です。非常に単純な話ですが、命が連綿と続いていく様子を活き活きと表している表現です。
 さて、先週の木曜日は昇天日でした。イエスはこの世界に残こしていく弟子たちに「高いところからの力に覆われるまでは都に留まっていなさい」と命じられました。それから10日後に突然、聖霊が一人一人の上に現れたのがペンテコステです。
 上からの力こそ、聖霊です。そして創世記で混沌とした天地に命の光を呼び出した神の言葉を思い起こします。
「光あれ」この一言がすべての始まりです。私たちは何のために生まれたのか、なぜ聖書を読むのか、どこへ行こうとしているのか。
光であるキリストが送って下さる聖霊によって日々示されるのです。

 2019年1月17日
午前6時12分47秒
村井北から高ボッチ方面(南東)

1月17日6時12分
木星は左下に
   
1月23日6時12分
木星が右上に上昇
   
1月26日6時06分
3つがほぼ水平に

日の出は6時30分頃だが松本では

山影で7時過ぎ

  

2020.5.17 彼は彼、あなたは私に従いなさい

今朝は「神と私」ということを御言葉から考えてみたいと思います。
ペトロは「あなたは私に従いなさい」と命じられました。単純な話です。ここであなたとはペトロ、私とはイエスで、1対1の会話です。浜辺には7人の男がいたのですから「あなたがたは私に従いなさい」と言われる可能性もあったはずです。しかし、この時イエスさまは、ペトロ一人に顔を向け「あなたは私に従いなさい」と言われました。
 教会とはイエス・キリストを信じる人の集まりですが、キリストを追い求めて弟子になった人はいないと思います。不思議な導きでキリストを知り、人生のどこかで「わたしについてきなさい」という声を心で受け止め、教会の仲間として「わたしは」ここにいるのです。
 しかし「あなたは」と特別に呼ばれた時、おそらく誰も準備は出来ていません。ペトロもそうでした。「あの人はどうなるのですか」と他の人のことが気になって、目をそらしてしまうものです。
 ペトロは弟子たちのリーダー格です。教会の伝承によればエルサレム教会を組織し、アンティオキア教会の監督になり、小アジア・現在のトルコ一帯のパウロが開拓した教会を指導し、ローマで殉教したと伝えられています。
 一方、ヨハネはペトロの殉教後も長生きをして、迫害の中で離散したり混乱していく教会を見据えて、パトモス島に幽閉された身で黙示録を書いたと言われています。若い時のヨハネとヤコブは雷の子とあだ名されたほど気性が激しい野心家でした。しかしヤコブはエルサレム教会の指導者であるとき12弟子で最初の殉教者になりました。
 ヨハネは歳を重ねていくにつれて、一つのことしか言わなくなりました。「子らよ、互いに愛し合いなさい」と。そのため弟子たちはこの教えに飽きてしまい「先生、どうしていつもこれを言われるのですか」と聞きました。するとヨハネは「これは主の命令である。そして、もし、ただこれのみが行われるならば、それで充分である」と答えました。ヨハネは主の愛の戒め以外は忘れてしまったと伝えられています。
 新約聖書は弟子のプロフィールや消息を詳しく語りません。むしろ12弟子の中には名前が紹介されているだけでどういう人であったかすら書かれていない人もいます。
 しかし、それでいいのです。聖書が主張することは、神はどんなに人間を愛したか、なぜイエスをこの世に送り出したか、イエスは旅をし多くの人に出会い、全く違う環境に生まれ育った人が呼び集められ、神の愛の働き人になったかを伝えるのです。
 大事なのは、その時その時にイエスさまの「あなたは、私に従いなさい」という声に応えて決心することなのです。そうすれば人生にかけがえのない意味が与えられるのです。
 さて、「わたしと神」に関係して一つの歴史を紹介します。週報に記しましたが、信徒の友には全国17教区から2つの教区が選ばれて、そこの教会のために祈ろうというページがあります。5月号は神奈川教区と東海教区から選ばれ、東海教区では喬木教会と神山教会です。
「神の山」と書いて「こうやま」と読むのですが、静岡県の御殿場にある国立ハンセン病駿河療養所の施設内にある教団の教会です。1951年の7月に設立され、今年で69年周年になります。
 この教会に関連する歴史を調べてみると、明治時代まで遡ってフランス人宣教師ドルワール・ド・レゼー神父の名が出てきます。レゼー神父はカトリック教会が運営する神山復生病院の第5代院長でした。この病院は日本で最初に作られたハンセン病の療養所です。
 ハンセン病とはライ病の名で数千年前から知られる皮膚病で、皮膚の小さな赤い斑点から始まり抹消神経がやられて感覚がなくなります。やがて肉や骨まで崩れていくので非常に恐れられ、患者は隔離されました。イエスの時代は勿論、日本書記や古事記にも登場しています。
 19世紀の終わり頃にノルウェーのハンセン博士によって「らい菌」が発見され、20世紀になると特効薬が開発されて完治する病気になりました。しかし日本では特効薬で完治するにもかかわらず、元患者の強制隔離は続けられ、療養所では断種手術がなされたり、自由を求める行動に対して厳しい罰が与えられたりした歴史があります。
 1996年に「らい予防法」が廃止された今でも、元患者の人権の回復も社会復帰への道も険しいままです。故郷に帰ることを阻み、家族に患者がいたことを知られまいとする根深い差別は続いています。
 私は医療関係の仕事をしていた時、東京や群馬県の療養所で患者さんを見かけたことがあるし、神学校で学んでいた時期に岡山県の療養所にある教会の礼拝に出席した経験がありましたが、患者さんの人権を真剣に考え関わったたことがありませんでした。
 考えて見るとコロナウィルスに感染した人やその家族、治療に関わる病院や医療者への心ない仕打ちは、理解できない対象への恐怖心や、差別の歴史を教えられなかった教育の偏りや、立場の違う人への想像力の欠如がそうさせるのではないでしょうか。
 さて、レゼー神父の時代に英語教師になったばかりの22歳の女性がハンセン病と診断されて神山復生病院に入所しました。1919年のことです。その人の名は井深八重さんです。八重は入所させられ悲しみと恐ろしさで心が一杯でしたが、やがて、患者をとても大切にするレゼー神父の生き方を知って共感し、一生懸命に手助けしました。3年後、再検査で誤診と判明します。皆が別れを惜みながらも送りだそうとしましたが、八重はそこに留まって看護婦の資格を取り、生涯にわたって患者に仕えました。遠藤周作の「わたしが捨てた女」のモデルになった人です。
 ちなみにソニーの創立者である井深大(まさる)さんは八重の親戚で、障害がある娘さんがいたことで、エンジニアであると同時に障害者が自立でき生きがいを持って働ける会社を立ち上げました。また早稲田大学時代の恩師と共にパラリンピックの普及にも力を注ぎました。
 話を元に戻して、神山教会は駿河療養所に入所していた患者さんたちのために2キロほど離れた神山復生病院から神父さんが足を運んでくれて生まれた教会です。その後も宣教師や近隣の牧師が訪問して聖書の学びや聖餐式、礼拝を守ってこられました。
 代務者である宮本義弘牧師によると、現在、教会員は4名で、ハンセン病の後遺症のために目も耳も足も不自由になっているけれど、背中に説教題を指で書いてもらい、共に主の祈りを祈り、使徒信条を告白し、聖餐にあずかる礼拝を守っています。十字架の上のキリストが「あなたは今日、私と一緒にパラダイスにいる」との御声が響き渡っています。「終焉を迎えるまで主日礼拝を守る」ことが皆さんの祈りです。
 人間としてこの世に生を受け、初めから身体的に、経済的に、人間関係で重荷を負っている人もいます。順風満帆と思えた人生の中でイエスの内なる声を聞いて別の道を歩み始めた人もいます。そして私は、幼いときから親子で教会に通っていましたが自我の強い子として大きくなり、何度も挫折を味わいながらも、伝道者としての道を示され、遣わされた地で家族を与えられ、信仰の仲間に出会い、毎朝御言葉によって支えられています。
「あなたは私に従いなさい」と言われたイエスは、目には見えない、触れることは出来ないけれども、私たちの心に不思議な暖かいものを注いで下さり、時に間違いを厳しく指摘してくださり、祝福につながる道を選ぶようにさとされます。
 祈ります
 主よ、生まれながらの重荷も、自ら請け負った大きな責任も、あなたは突き放して一人で負えとは要求なさいません。「わたしはあなたと共にいる」と聖霊の働きを通して励まして下さいます。
 わたしを私として正確に理解して下さるあなたにすべてをお委せします。今週も一人一人を養い励まし、あなたの声についていける人にして下さい。コロナの引き起こす災いを恐れないで、あなたを愛し、家族や隣人と共に生きていきます。
 主の名によって祈ります。アーメン

2020.5.10 死ぬまで続けなさい

5月第2日曜日は多くの国で母の日として覚えられています。母への感謝としてカーネーションが贈られますが、花言葉は「母の愛情」とか「純粋な愛」と言われています。母の日をネットで調べると、まずプレゼントの情報が沢山出てきます。
 しかし、母の日とはもともと、母から娘へ受け継がれた神の愛という遺産から生まれた行事なのです。
 人は死んで愛する人々に何を残せるでしょうか。どんな人でも残せる素晴らしい遺産があることを、今朝は考えてみましょう。
 母アンはメソジスト教会で20年にわたって日曜学校で教えたので、娘アンナも母のメッセージで育った一人でした。母アンは南北戦争の時、傷病者を敵味方なく看護する会のメンバーで、戦争が終わると和解の働きをしました。1907年5月12日、追悼礼拝でアンナは母の教えを振り返り十戒を紹介し、礼拝堂を飾った白いカーネーションを配りました。これが評判になり、デパートで母の日キャンペーンが流行しました。1913年には青山学院の女性宣教師が紹介しています。
 今朝の御言葉は「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」です。これは復活のイエスがペトロ一人に向けて言った言葉です。
 少し先週のおさらいをします。場所はガリラヤ湖畔。7人の弟子たちは、どういう訳か、漁師に戻っていて一晩の漁をしました。しかし1匹も獲れません。夜が明けると「舟の右側に網を打ちなさい」という声があり、大量の魚がかかりました。声の主は復活のイエスです。イエスさまは既に岸辺で火をおこし魚をあぶり、パンも用意しておられました。そこに獲れた魚も足して、弟子たちは腹一杯になりました。彼らはこのパンと魚をどんな気持ちで味わったのでしょうか。
 「ヨハネの子シモン」とイエスは呼びかけます。ペトロのことです。それはイエスがつけたギリシャ語なまりのあだ名で岩を意味します。イエスさまは彼の目をまっすぐ見て言われたのでしょう。どきっとする場面です。近くにいた6人の仲間にも聞こえたはずです。
 本名で呼び捨てにされるのは、親や尊敬する先生から親しみと信頼を込めつつも、厳しい内容を聞かされる時ではないでしょうか。
 「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」
なぜそう問われたのか瞬時に分かりました。先生が十字架に付けられた前の晩「わたしの行くところに、あなたは今ついて来ることは出来ないが、後でついてくることになる」と言われた時、「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます」「たといみんながつまずいても、わたしは躓きません」と力を込めて言ったことは忘れもしません。「あの時、先生について行って死ぬつもりだった。でも俺はつまずいて先生から離れた」わたしがペトロなら色々言い訳を考えます。
 けれどもペトロは「わたしが先生を慕っている気持ちは先生が一番ご存じだ」と素直に応じました。そこでイエスは言われました。「わたしの子羊を飼いなさい」と。
 けれども、それが3回も続いたのでペトロは悲しくなりました。「鶏が鳴く前に、あなたはわたしを3度知らないと言うだろう」という先生の言葉が本当であったこと、あの時、情けなくてさめざめと泣いたことを思い出したからです。
 イエスはそもそも「これと思い定めた人(マルコ3:13)」を弟子にしました。その理由は一つです。イエスが彼らを選んだのです。
 教会はこれを結婚にたとえました。結婚関係、人間関係はそれぞれの願いや暗黙の約束から生じます。しかしその約束は不完全で悲惨な結果になることもあります。だからこそイエスとの関係を基準にして、結婚関係、人間関係が導かれていく、そういう順序でないと続きません。
 たとえば、連れ合いが真剣に、ある場合には泣きながら「あなたは本当に私を愛しているの」とか「君はぼくを本当に理解しているのか」と言い合う時、やり直したい願望と期待が入り混じっていると思います。もし信頼も希望もないなら「あの時、約束したじゃないか。どうしてしなかったのか。嘘つき」という責任追及、有罪判決のようになるでしょう。イエスはそのようにされません。
 イエスは腕利きの大工でした。何を造るにも修復するにも根本からやり方を見極めたことでしょう。その時だけ直ったように見えても、すぐにまた壊れてしまう仕事があります。人間関係もそうです。
 かつて、ペトロがそんな事があってはならないとエルサレム行きに反対したとき、イエスは「退け、サタン」と激しく言い放ちました。
 今回は仲間の聞いている場で、一番親しい名前で呼びかけ「シモン、わたしを愛しているか」と3度も念を押すように聞いたのです。情けなさと悲しみが伴います。自分に絶望して初めて悟ることがあります。
 このやりとりの背景には、後のペトロの姿が投影されています。何度も生きるか死ぬかの経験をし、何度も不思議な力で救出され、何度も卑怯な態度を指摘され、何度も何度も赦されて立ち直り、最後にはローマで大勢の信徒をまとめる立場になりました。その時に必要な真理が、この岸辺で与えられた「愛と赦し」の原則でした。
 生まれも育ちも環境も全く違う人々が一つになるための原則です。一番初めに世に出たイエス物語はマルコ福音書ですが、晩年のペトロは孫のようなマルコをそばに置き、イエスと行動を共にした時期の若気の至りも、思い上がりも、きつく叱られたことも、大失敗したことも包み隠さずに語りました。マルコはその話を活き活きと描きました。
 その続きの物語を私たちは生きるのです。命が天に移される時まで「キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ちあふれている(1ペトロ)」

信仰の稔り、魂の救いを手にして、それをこの世に残していきたい。主は「私を愛しているか」と今も私個人に、私たちに語りかけます。

写真 会堂前に咲く、あじさいと紫蘭

2020.5.3 三度目の召命

今朝、示されたのはイザヤ書42章とヨハネ福音書21の前半です。共通している内容は「召命」。アジア的に言うと「天命」です。「お前の命を使うから差し出せ」というすごい内容です。
 召命は vocation ボケ―ションの訳語でvoc [声]とate [生じる]とion [こと]で、神の声が現実を生むという意味です。ヘブル語で言葉を「ダーバル」と言うのですが、それは「出来事」と同じ意味もあり、神の声が現実になるというボケーションと同じです。
 さて、召命は使命につながります。まさに神に「召された」私の命(いのち)が、神によって「使われる」命になるのです。
 まず旧約の時代ですが、イザヤは暗黒時代に「光とまっすぐな道」があると預言しました。光であり道であるイエス・キリストが到来することを預言しています。ここを新改訳聖書で読んでみます。
「見よ、わたしが支えるわたしの僕、わたしの心が喜ぶわたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々に裁きを行う。彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。痛んだ葦を折ることなく、くすぶる灯心を消すこともなく、真実をもって裁きを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地に裁きを確立する。島々もその教えを待ち望む」とあります。
 次にイエスの時代に飛びます。「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と召された人たちはどうなったでしょうか。
 21章の最初にある「その後」という一言が気になります。20章の29節のトマスが「わたしの主、わたしの神よ」と信仰告白した直後のことでしょうか。そうではないようです。
 弟子たちは「魚を獲る漁師」に戻っていました。ティベリアス湖はガリラヤ湖の別名で、ローマ皇帝ティベリウスに献上された名です。
 復活のイエスに会った弟子たちはどこにいたのか、分からないことがあります。マタイ福音書ではイエスは弟子たちに「わたしはあなた方より先にガリラヤに行く。そこで会うであろう」と言われて、ガリラヤの山の上に集まった11人の弟子に伝道の命令を授けています。一方、ルカ福音書は「聖霊の力に覆われるまでは都に留まっていなさい」と言われた弟子たちは、エルサレムに留まり、50日目に聖霊が注がれたのがペンテコステで、エクレシア(集会)の始まりです。
 この矛盾しているような記述は、「その後」という時間経過に理由があるのではないかと考えられます。
 最初の召命は「わたしに従ってきなさい」とイエスの声に応えて、ある人は漁師をやめ、ある人は律法の教師を、徴税人を、テロリストをやめイエスの後に従いました。そして3年近くイエスと一緒に旅をして、イエスの言葉とわざのすごい力を目の当たりにしました。けれども十字架は彼らの信念を吹き飛ばてしまいました。
 二度目の召命は、部屋の戸を閉め切っておびえていた弟子たちの真ん中にイエスが立った時です。「あなたがたに平和があるように。聖霊を受けよ、罪の赦しの福音を宣べ伝えよ」と送り出されました。
 50日後、聖霊を受けた弟子たちの働きはめざましく、後に教会と言われるエクレシアとなっていきました。男も女も、奴隷も自由人の区別もなく、喜びにあふれて伝道し、仲間が増えていきました。
 そして三度目の召命が「ティベリアス」湖畔の出来事です。弟子たちは漁師に戻ってしまい、仲間は7人になっていました。ペトロが「俺は漁に行く」と言うと「俺たちも」と後に従いましたが、網を打っても収穫はなく、あたりはすっかり明るくなってしまいました。
 その時、岸辺から声がありました。「子たちよ、何か食べ物はあるのか」と。彼らは「何もない」と答えました。それで「舟の右側に網を打ちなさい。獲れるはずだ」と声がしました。テレビでガリラヤ湖の投網を見たことがあります。2-3メートル離れた水面に網が拡がるように投げるのです。網を打つタイミングによって獲れたり獲れなかったりします。弟子たちは言われる通りに網を打ちました。思いもかけない豊漁です。一人が「あれはイエスさまだ」と気づき、ペトロは大急ぎで上着を羽織り、飛び込んで岸に急ぎました。
 岸では火がおこしてあり、魚があぶられ、パンも用意してありました。それでもイエスは彼らの魚を何匹か持ってくるように言われました。
 これこそがイエスと弟子の関係です。
 第1にイエスは彼らの徒労と空腹を知っていたからこそ「何か獲れたか」ではなくて「何か食べる物があるか」と、まず彼らの状態を気遣われています。
 第2に「舟の右に網を打て」これにプロの漁師が素直に応えました。「すべてが益になる」とパウロが言っているように、徒労に思えることもイエスは生かして下さいます。要は素直になれるかどうかです。
 第3にイエスが食事を整えておられます。そこに弟子たちの獲物が加えられます。イエスのわざに弟子のわざが参加するイメージです。
 第4に「さあ来て、朝の食事をしなさい」食卓はイエスとの交わりの要です。イエスがパンを割かれるとき、天の恵みが分かち合われます。イエスの魚に弟子の魚が加えられ、そして配られます。主の声に応えて働く人は食卓にあずかり、力をつけて今日を生きることが出来ます。
 最後に、イエスが死者の中から復活「させられて」後、弟子たちに現れたのは、これで三度目である。
 イエスは「これと思った人」を弟子にされます。その基準は私たちには分かりません。しかし、私たちは何度でもイエスに召されます。
 神は、イエスはご自分のわざを単独で行われません。人間を用います。
何度でも失敗し落胆して道に迷うかも知れません。しかし、何度でもイエスは弟子の前に現れて「さあ来て、朝の食事をしなさい」と招いて下さる食卓の主なのです。
「ありません」と言えたからこそです。
 

2020.4.26 一人のために主が来られた

復活節第3主日を迎えました。
今朝は12弟子の一人、トマスに注目して御言葉を味わいましょう。
当時、ユダヤ人もアラム語をしゃべっていました。イエスの弟子に「トマ」という男がいました。アラム語で双子という意味です。ギリシャ人の友人からはディドモと呼ばれ、弟子仲間はトマスと呼びました。中近東では2つも3つも名前を持ち、使い分けていたのです。
 イースターの夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れ戸を閉めきって集まっていましたが、イエスが来て真ん中に立ち「平安あれ」と挨拶して手と脇腹を見せました。再び「平安あれ」とイエスは息を吹きかけました。これは、心が死んだも同然の弟子たちを再び立ち上がらせ、罪の赦しの福音を伝える使命を与える命令となりました。
 その日その時、トマスはそこにいませんでした。どうしていなかったのか、何の説明もありません。仲間が「俺たちはイエスを見たぞ」と嬉しそうに言うと、トマスは打ち消して「俺は絶対に信じない」と反発しました。仲間でありながら一番大切なことが共有できないほど孤独なことはありません。
 イエスの言葉が本当であることを何度も弟子たちは経験しました。しかし、経験したことに留まっていてはいけないことを示されます。
 弟子たちは3年近くイエスの言葉とわざを見てきました。そして、「あなたこそ生ける神の子キリストです」という告白さえしたのです。しかし、十字架は彼らの信仰を吹き飛ばしました。特にトマスはイエスに大きな期待をしたようで、先生が殺されてしまい、完全に目標を見失いました。
 生きる目標を失った人に必要なのは、薬でもカウンセリングでも楽しみでもありません。生きた言葉です。それは「神の息」です。
 さて、次の日曜日も部屋の戸はしっかり閉められていました。恐れが残っていたからです。今度はトマスも一緒にいました。そこへイエスが入ってきて真ん中に立ち「平安あれ」と祝福しました。
 イエスはトマスに向かって言います。「お前の指をここにあて、私の手をしっかり見なさい。お前の手を伸ばして私の脇腹に入れなさい。信じないままでなく、信じるようになりなさい」トマスは知りました。「わたしの主、わたしの神」トマスの信仰が生まれた瞬間です。
 前の週、仲間はイエスから息を吹きかけられていました。イエスはトマスのために、再び来られました。
 トマスは仲間に言ったように、イエスの傷跡に自分の指や手を入れてみたでしょうか。
 真理は突然、復活のイエスがこられて明らかになりました。イエスは一人の友を忘れられてはいなかったのです。悲しみと絶望に囚われていたトマスをイエスはご存じでした。
 一人のためにイエスはどこにでも現れます。一人のために尊い宝は使い尽くされます。イエスの友情と愛によって人は復活の真理の前に立てるのです。イエスを信じるを英語にすると I believe in Jesus です。つまり、イエスの中に入っていく、裏返すと信じたいが信じられない私が入ってくるのをイエスは拒まず歓迎されるという表現です。
 日本語で「誰々の息がかかった人」というの言葉がありますが、その日トマスは、イエスの息がかかった人、神の力に押し出される人に生まれ変わったのでした。
 人間世界は今、見えない敵に包まれて、これまでの社会の仕組みが危機にさらされています。
 新型コロナウィルスの猛威は収束せず、世界で300万人が感染し20万人が亡くなっています。その上、どこで誰から感染し、誰に感染させるか分からない程に、ウィルスは身近に迫っています。
 先週から礼拝堂に集まれないけれども、いろいろな手段で礼拝を守ろうとしてきました。今までのやり方ができない特別な時です。
 一方で危険と過労の中で医療活動を必死に続け、犠牲者も出ていることも知られています。それに比べて、礼拝は命の危険を冒してまですることだろうかという疑いが起こるのも分かります。集まるのを避けることが感染を拡げない手段だという科学的理由からです。
 しかし礼拝はいつの時代も危機の中で守られてきました。それは信仰者が互いに励ましあうだけでなく、現実を支配されている神の前にひざまずき、謙虚になって必死に助けを求め、一人一人が神に立ち返って生き直すようにとの神の招きであり、信仰による神への応答です。
 ゆとりのある人が心地よい時としてするのではありません。私たちが今守られているように、人々の魂の平安を祈り、社会のリーダーの働きのために祈り、人々が思いつきもしないところに希望があることを証しすること。それが教会の存在理由であり、神から命じられた特別な働きなのです。
 私たちは社会の一員として精一杯働き、皆と同じように協調します。しかし、一人一人が特別な存在です。安息日に主を礼拝し、私の神、私の主と呼びかけることができる幸いを生きていきましょう。

祈ります。
私たちの神、私の神である主イエスキリストに感謝します。養われ守られてきたことを。そして、これからもあなたが世界を愛し続けてくださることを。人間世界はぐらついていますが、古いものが過ぎ去り、新しい世界が開かれていることを信じて。主の名によってアーメン

2020.4.19 主日礼拝 「目には見えない真理の力」

今朝、示されたのはダニエル書6章とヨハネ福音書20章の後半です。
 ダニエル書にはユダヤ人がバビロンに囚われた70年間、偶像礼拝の環境で、ユダヤ人の神への礼拝が禁じられていた時代の姿が書かれています。後の時代に真剣なユダヤ教徒やクリスチャンが弾圧されていたとき、励ましと希望を指し示した書物です。
 ダニエルは2度も「礼拝を密かに行っている」と密告されて死刑を宣告されます。
 1度目は激しく燃える炉に投げ込まれました。2度目は腹を空かせたライオンの洞窟に放り込まれました。
 けれども何の被害もありませんでした。こんなことは信じられるでしょうか。しかし歴史の中で、神を信じる人々は神の守りを信じて、苦難に耐え礼拝を守りました。信仰があれば生活が守られ命が助かるとは限りません。逆に信仰故に非業の死を遂げた人は沢山いました。しかし、彼らを強くしたのは「たとえ死ぬことになっても、神さまは正義を貫かれる」という信頼、絶望の中の希望だったのです。
 イエスが復活された日曜日の夕方、弟子たちは家の戸の鍵をかけていたと書いてあります。ユダヤ当局の探索は当然、自分たちにも及んでいるという恐怖心からです。
 金曜日の未明に彼らは皆、イエスを園に残して逃げました。ペトロは大祭司の庭に忍び込んだものの、イエスの仲間だと追求されると、主を3度も否定し、イスカリオテのユダは裏切りを悔やんで自殺してしまいます。ヨハネはイエスから母親マリアの世話を託されました。他の弟子たちがどうだったか分かりませんが、その心は皆同じだったと思います。イエスへの思いは絶ちがたく、だからこそ、あの部屋に集まってきたのです。
 ガリラヤ出身の弟子が知っているのはベタニアのラザロの家か、あの最後の晩餐の部屋しかありません。もし見つかったら一網打尽です。ですから仲間内で信頼していた人の部屋だったと推測します。
 新共同訳では家の戸の鍵、と書いてありますが、原文では「彼らのいた所の戸は閉められた」とあるだけです。新共同訳は恐怖を強調して「家の戸の鍵をかけた」となっています。
 さて、彼らはユダヤ人を恐れていました。戸を閉じていました。
いつの時代もいろいろな恐怖があります。今日の私たちも同じです。
 恐怖が支配する中で、男弟子たちはマグダラのマリアから「私は主を見ました」「主はこれから父のもとに昇っていく」と聞きました。しかも「イエスの父は自分たちの父、イエスの神は自分たちの神」と知らされていたのです。しかしマリアのメッセージよりも恐怖が勝っていたのです。そんなことをイエスは充分ご存じでした。
 だからこそ、マリアに託した言葉が真実であり、召命を見失いかけた弟子たちを、再び弟子として集めるためにおいでになったのです。
 原文は「イエスは来て真ん中に現れた」と。前触れなく部屋に入ってきて真ん中に立たれ、祝祷のようにされたと推測します。
「あなたがたに平安があるように」この言葉は、マグダラのマリアに「マリア」と親しく呼びかけ、他の福音書で女たちに「おはよう」と明るい声で挨拶した言葉です。
 けれども、イエスが捕らえられ逃げてしまった彼らが、遠くから十字架を眺めたにせよ、今はっきりと事実を教えるために、ご自分の傷跡、十字架に打ち付けたれた大きな釘の跡、兵士に刺された槍の跡を示されました。傷跡を見てようやく、弟子たちは主が復活されたことを確信できました。そして喜びが溢れてきました。
 彼らはイエスが選んだ人たちですが、プライドばかり強く、大事なときに腰砕けでした。けれども、イエスは彼らを一切とがめず、新しい、これまでとは決定的に違う段階の言葉を与えます。
 「平和があるように」これは受難の直前に「わたしは平和をあなた方に残し、わたしの平和を与える」「わたしはこれを世が与えるように与えるように与えるのではない」「事が起こった時に、あなた方が信じるように、今、話しておく」と言われた平和と同じ言葉です。
 弟子たちは、ようやく思い出しました。そう言ってイエスは彼らに息を吹きかけられました。創世記の人間誕生を思い出します。
「聖霊を受けよ」「誰の罪でもあなた方が赦せば、その罪は赦される」「誰の罪でも、あなた方が赦さなければ、赦されないまま残る」
 弟子たちへの2度目の選び、新しい祝福と派遣の命令です。
 まだ聖霊を受けていなかった弟子たちは、この世を恐れ、イエスの本当の姿を知りませんでした。聖霊を受けない信仰は本当に弱く無知なのです。
 私たちは体験を重んじ、この世の常識を安定の土台にしています。それも大事です。けれども人間が本当に生きているとは、神に造られ神に知られ、神に愛され、自由に生きていることではないでしょうか。そして「真理はあなた方を自由にする」とイエスが言われた真理とは、まさにイエスご自身のことであり、これからはイエスから派遣される助け主、聖霊のことです。
 「聖霊を受けよ。そして世に出て行け」とイエスはご自分と共に生きる信仰者に宣言されます。聖霊は突破するエネルギー、力です。
 最後に、弟子たちは他人を裁く権威が与えられたのではありません。赦さなかったら、人の罪はそのまま残るという意味で言われたのです。つまり、この世の人々の罪が残らないように、世界中に出て行って罪の赦しの福音を伝えよ、との指令です。今や弟子たちは、私たちは、イエスの使者として赦しと自由を伝える証言者に任命されたのです。その人は困難に遭いますが、同時に祝福され、生きた存在になれます。
 聖霊を受けて、キリストの平安と喜びに目覚め、しっかりと掴んで、制約ある日々を生活していきましょう。主の平和と共に シャローム

4月19日、26日、5月3日までの礼拝は・・・・

今日は復活節第2の主日ですが、いつものように会堂に集まっての公同礼拝ではありません。
私の人生で初めてのことです。
 コロナウィルスの拡散は収まらず、ついに全国に非常事態宣言がなされました。3月からいくつかの教会で礼拝を休止しているという情報もありました。また教会の近くでも感染者が確認された報道があり、考えられる限りの3密を避ける対応と除染手段を準備しました。その上で、礼拝、総会を短時間で終えるプログラムを用意しました。
 しかし土曜日になって事態が進行し、牧師一人で「集まらない礼拝」を決断しました。
  当日は集会室のPCからLINEで、スマホで、携帯でというアナログ的なつながりで4家族7人で週報に沿って礼拝をささげ、遠隔で執り成しの祈り、献金が出来ないので献身の祈りをしていただきました。
 これが良い判断かどうか、今は分かりません。けれども礼拝の形態はどうであれ、公同礼拝としての礼拝を続ける決意です。ですから、説教が聞ければ良いというのではなく、神さまに招かれた者として、離れていても心で一つになり、誠実に礼拝を献げたいと思います。

2020年4月12日 涙の夜から希望の朝へ

 涙の夜から希望の朝へ 

2020.4.12
 今日はイースターです。私たちはある意味で危険を冒して集っています。コロナウィルスが猛威を振るって世界中の教会が礼拝を中止し、分区でもそうした教会があるという時だからです。
 それでも集まりました。細心の注意を払って感染防止をし、イースターの喜び、希望の光を携えて家に帰れるように主に祈ります。
 イースターとはイエスが復活された出来事です。イエスは預言者が伝えたとおり、罪の結果である死に打ち勝った最初の人です。イエスが「御心ならば」と命を委ねて十字架で死なれ、神によって復活させられました。その驚き、喜び、従う決心を確認する記念日です。
 復活の出来事を目撃し、イエスと新しい関係に入った人々は、週の第1の日、日曜毎にイエスの復活を互いに確かめながら、時が来れば実現する自分たちの復活を信じて礼拝してきました。それで、教会では日曜日をイエスキリストの復活の日、主の日と呼ぶのです。
 今年はレントもイースターもヨハネ福音書を読んでいます。今朝は、マグダラのマリアの経験したイースターに目を向けましょう。
 この人はイエスを誰よりも恩ある人として愛していました。以前は7つの悪霊を追い出してもらった女、罪深い女と呼ばれていました。
7はすべてという意味もありますから、ありとあらゆる心身の病気、苦しみ、不幸貧しさのための、なりふり構わない生活ぶりだったからか、罪深い女と蔑まれたのだと思います。
 マグダラ村で評判の悪女を、初めてまともに相手にしてくれた人がイエスです。自らを呪ってきた心に生きる喜びや生きがいが生まれ、イエスのお世話をし、どこまでもついて行く人になったんだなーと、聖書を読んで想像することができます。
 その大恩人のイエスが磔にされ殺されてしまいました。女の力では先生を助けることは出来ません。しかしマグダラのマリアも女弟子たちも最後までイエスの十字架から離れず、遺体が岩穴の墓に納められるの見届け(ルカ23:55)ました。しかし安息日が始まったので遺体に触ることも出来ず、墓は大きな石で塞がれてしまいました。
 マリアは喪失と悲しみの夜を過ごし、安息日があけるのを待って、つまり日曜日の朝、空がしらみかける日の出前に墓に行きました。
 イエスを慕うマリアの思いを、ヨハネ福音書は簡潔に描きます。
 イエスの死体は金曜の夕暮れには防腐処理がされ、亜麻布に香料が入れられるのを女たちは見ていましたから、マグダラのマリアは何も持たずに墓に行きました。
 他の福音書では、遺体が大急ぎで亜麻布に包んだままだったからか、女たちが香料と香油を携えて墓に向かったと書いています。この違いは、ヨハネ福音書でマリアが手ぶらで墓に来た理由かも知れません。そう推測するとマリアの思いは、イエスの遺体にすがり、あるいは墓に入れなくても遺体のそばにいたかっただけかも知れません。
 ところが、思いがけない事が待っていました。墓をふさぐ大きな石は既に取り除かれ、覗いてみるとイエスの遺体が見当たりません。
動転したマリアは走って行ってペトロとヨハネに見たままを告げます。二人は走って墓に向かい、それぞれの仕方で確かめます。
 それからマリアは一人で墓に戻って来ました。振り出しです。
 マリアの目に涙が溢れてきました。泣きながらもう一度墓を覗くと、何と真っ白に輝く二人の天使が墓の中に座っていました。
 マリアはイエスの遺体が持ち出されたこと、遺体がどこにあるのか分からないと天使に訴えます。
 その時、人の気配を感じました。振り返ると誰かがマリアのそばに立っています。
 マリアがイエスと思うはずはありません。確かに先生は十字架の上で息絶えて墓に葬られたのです。その目で見たのです。
 その人は、なぜ泣いているか聞きました。マリアは墓の番人だと思って理由を言い、イエスの遺体を引き取りたいと申し出ます。
すると、その人は「マリア」と優しく呼びかけました。
 マリアの目は悲しみでふさがれて、イエスが目の前にいるのに分かりません。しかし、愛してやまないイエスの声、感触を耳はしっかり覚えていました。
 人間は死ぬ間際でも人の声を判別できると言います。マリアは思わず「ラボニー」と叫び、イエスの足に抱きました。
 この場面を山浦玄嗣さんは「ケセン語聖書」でこう描いています。
 イェシューさまはマリアにお声をかけなさった。「マリアム」
マリアは振り返って、ヘブライ語で金切り声をあげた。「ラボニー」
ラボニというのは「お師匠さま」という意味である。(そして嬉しさのあまり我を忘れ、もう何があっても金輪際放すものかとイェシューさまにシッカリとしがみついた)イェシューさまは(思わずよろめいて、高らかに笑いながら、マリアに言いなさった。)「ババババ、俺にそうギューギュー抱きづいでんのばやめろぜァ」(ケセン語で) 
 マリアがあまりにも必死なのでおどけてみせるイエスのユーモアがにじみ出るユニークな解釈です。
 さてすぐ後でイエスは真剣に、はっきりと言われました。
「わたしはまだ父のもとに昇っていない。だからわたしにすがりつくのは止めなさい。」と。ここの書き方は「決して触ってはいけない。という意味にもとれるし「もう止めなさい」とも解釈できるようです。
 目の前にいるのは以前のイエスではありません。イエスに助けられた頃のマリアなら、身も心もイエスの腕の中にいたかったでしょう。けれども今は復活されたイエスさまの体です。もはやこれまでの関係ではいけない。イエスはあえて突き放したのです。そして大事な使命をマリアに与えます。主のメッセージを仲間に伝えるのです。
「私の父、あなた方の父であり、私の神、あなた方の神であるところに私は昇っていく」
 マリアはこの言葉を心で繰り返しながら弟子たちの所へ行きました。そして「わたしは主を見ました」と証言したのです。
 すごい変化が起こりました。裁判で証言者の資格を認められたのは成人した(13歳)男性のユダヤ教徒だけであった時代、女性であるマリアにイエスが救いの核心を証言する役割を与えた瞬間です。
 イエスがマリアを通して「わたしは父のもとに昇っていく」と言われたのは、後に「高挙」というキリスト教神学用語になった出来事で、神の独り子が地上で人間として生き、復活されて天に昇り神の右側に座るという権威を表しています。
また「わたしの父はあなたがたの父、わたしの神はあなたがたの神」と言われたのは、復活のイエスが時空を超え聖霊としてインマヌエル(神我らと共に)の主、王となられたことを意味しています。
 言葉を覚え始めた幼子が父親を呼ぶように、この時から信仰によって私たちも「アバ(父の意味)」と呼べる神の子とされたのです。
 イースターは大騒ぎするような祝い事ではありません。救いを真剣に求める人がイエスを個人的に神と呼べるようになった出来事です。信じる世界と縁のなかった人が、信じる人に変えられた記念日です。
 レントもイースターも英語ですが、元々は長い冬が終わり春がやってきたのを喜ぶ北ヨーロッパの祭りから来た言葉です。しかし元々はユダヤの過越祭(ペサハ)です。これは大麦の収穫祭でもあり、パレスチナの春を象徴するアーモンドの淡いピンクの花の頃にありました。満開になったと今朝Nさんから小枝を頂きました。ご覧下さい。
 ユダヤのペサハが復活の言葉になりました。ラテン語でパスカは、突破することです。
 身の回りには、交通事故、殺人、自死、脳出血や心臓発作、感染、さらに災害で死んだり行方不明になるなど予期しない死があります。
 大切な人を失ったなら、誰でも深く悲しみ喪失感で心は沈みます。しかし、この時こそ真の関係がはっきりするのではないでしょうか。見せかけの関係で終わるのか、本当の関係に入るのか。
 涙の夜は必ずまたいつかやってきます。けれども、イエスが御心によって復活させられた(受け身の表現)ように、今後も経験させられるかも知れない涙の夜も、思いがけない喜びの朝に必ず変わるのです。
そういう希望を信じ続けることは一人では出来ません。
 きのうの早朝、一人で聖書を読んでいたら、

小鳥のさえずりが聞こえてきました。耳を澄ませるとウグイスです。やがて2羽いることが分かりました。急いでカメラを出して、望遠で探したところ3羽とわかりました。近くに寄って来てくれて嬉しくなりました。
 イースターの訪れが、1羽、2羽と増えていったウグイスのように、私たちも喜びと驚きと希望をさえずって(ツイート)していきましょう。どこまで続くか分からない不安にひるまず、助け合い、一人でいる人に寄り添い迎え、初代の教会のように希望のメッセージを発信していきましょう。

祈ります。
きょう、イースター礼拝を守ることが出来てありがとうございました。世界中にウィルスが蔓延して死と恐れが身近になっています。その中で健康と命が守られていることを心から感謝します。思いがけず感染して苦しみの中にある人、仕事を失って途方に暮れている人、愛する人を突然失って嘆いている人がおられると思います。どうか人一人一人を慰めて生きる希望を示して下さい。今朝さまざまな理由で一緒に礼拝できなかった方々に、私たちと同じように恵みと個人的な励ましがありますようにお願いします。
 集って礼拝できないようになるかも知れません。そうであっても、私たちがばらばらにならず、インマヌエルの主が共にいて下さり、つながっていけますようにお守り下さい。
主イエスキリストの名によって祈ります。アーメン