2023.11/05 終わりの日の喜び

 今日は聖徒の日です。この教会のつながりの中で人生を終えた兄弟姉妹を覚えます。会員だけでなく、私たちの家族や友人、知り合いを含む、ときに関係のとりかたが難しかった人々も含んで、こころに蘇らせています。
 神は人を分け隔てなく愛される方です。子として誰にでも責任をもって一緒に歩き通されるからです。まず、この事実を振り返って感謝しましょう。
 さて、日本では人が亡くなった日を命日と呼んでいます。49日、1周忌とか1回忌、3回忌に僧侶を招いて法要する家もあります。33回忌の法事は特別です。残された家族もぐっと歳をとり、故人を知らない孫やひ孫の世代になっています。一方、死者の霊魂は祖先神に昇華すると信じられ家族の守り神として記憶されていきます。これは土着した仏教と神道が融合した考え方です。この「回忌」という言葉には「いむ」という字がありますが、死者の穢れがわが身に染らないように避けることなのです。
 聖書はそうではありません。人を意味する言葉が2種類あって、一つは土の塵(アダマー)から形造られたので「アダム」と呼ばれます。もう一つは「エノーシュ」で、儚いもの、壊れるものです。この土で造られた器に、神の生きた霊が吹き込まれて「人は生きるものになった」と聖書は伝えます。だから人は神の「息がかかった」存在で、神にこそ命がかかっています。
 さて、詩篇90篇はこのような信頼の告白から始まります。
「主よ、あなたは世々に、わたしたちの宿るところ」「住むところ」という翻訳もあります。とても具体的です。衣食住です。裸ではなく、住む家があり、一緒に暮らす家族や社会があります。また生きるために食べます。当たり前のことですが、赤ちゃんの成長にたとえればもっとリアルです。
 ドイツ文学者の小塩節(たかし)さんの講演で聞いたのですが、第二次世界大戦後に連合国がイタリアを統治したとき、日本のGHQと同じですが、戦争孤児になった乳児を集めて育てたそうです。担当者は赤ちゃんに清潔な環境と十分な栄養を与えようと配慮しました。
 一つの部屋に幾つものベットが並べられ、赤ちゃんはきちんと管理されました。あとで意外なことが分かったそうです。風通しがよく陽の光が届く窓際ではなく、騒音や時にほこりっぽいドア近くの赤ちゃんの方が元気だったです。観察したところ、出入り口の赤ちゃんは掃除係や通りがかりの人から声を掛けられたり撫でられたりしていたことが分かりました。暖かい言葉がけとスキンシップが幼児の成長にとても大事なのだと小塩先生は感慨深く語りました。
 詩篇90篇は、教会のお葬式でよく読まれる御言葉です。10節に「人生の年月は70年ほどのものです。健やかな人が80年を数えても、得るところは労苦と災いに過ぎません」まるで仏教の「四苦八苦」のようです。
 四苦とは生老病死のことで、生まれてすぐに始まる苦しみのこと。時代や親を選べない運命もです。誕生と同時に老いが始まります。また病気や不幸が何度も降りかかります。8苦の残り4つは関係の苦しみです。長く生きれば親しい人々に先立たれ、取り残された孤独の苦しみを味わいます。他方、相性の合わない人、住みにくい世間で生きていかなければなりません。あれこれ願っても自分のものになりません。執着に縛られ悩みは尽きません。
 108つの除夜の鐘は、四苦八苦の煩悩のことだと言われています。
 しかし、聖書は反対です。人の命は最初から祝福されたものです。祝福が見えず感じられないのは、神と断絶している世界に心が向いているからではないでしょうか。ルカ福音書に出てくる息子は、自分の思うままの世界に飛び出し、その厳しい現実の中で人間の冷たさと自分の愚かさを知りました。かつて父の息子であったという関係を思いだし、雇い人でも良いという謙虚な心が生まれて、あのような結末になりました。祝福の関係から飛び出し、罪の状態で苦しんで、最初の祝福に戻る希望を見つけたのです。父の祝福は最初から少しも変わっていませんでした。
 詩篇90篇はモーセを偲んだ祈りと紹介されています。
 モーセは信仰の民イスラエルの子として生まれながら、数奇な運命でエジプトの王子として育てられ、青年時代に同胞が弾圧されている場に遭遇し、感情的な正義感からエジプト人を殺してしまいました。告発されるのを恐れたモーセは、遠く離れたシナイ半島のミデアンに逃亡し、80歳まで羊飼いとして平凡に生活しました。ある日、炎の中に現れた神の言葉が迫り、奴隷となっている同胞をエジプトから解放するように命じられました。しかしモーセは自分にその様な力量はないと2度も尻込みし、神の召命を避けたことがありました。
 モーセは死後「神の人」と呼ばれましたが、その生涯は、神の言葉と、神を信じきれないイスラエルの民との格闘だったと思うのです。
 約束の地に向かう旅は回り道となり40年も停滞しました。この間、モーセを支えたのは「わたしがこの使命に遣わすのだ」「わたしは必ずあなたと共にいる」という神の約束であり、旅の中で育まれた「世々とこしえにあなたは神」という信仰だったと思います。そして「人の子よ帰れ」と聞いたとき、長く苦しい彼の使命は終わりました。40年の日々はあっという間の出来事のように思われ、約束の地をこの目で確かに見たという満足、ヨシュアが引き継いでくれるという確信が残りました。そして一人、ネボ山の頂きで静かな死を迎え、神が葬って下さったのです。
 さて、今朝の週報に創立から今日まで、この教会につなげられ、信仰の道を歩んだ人々を紹介しました。亡くなった年齢が28歳から96歳まで、神に選ばれて信仰に生きた小さな群れです。聖徒とは、神の計画の中で選び分けられた人々という意味があります。(個人的な内容を含むので中略)
 パウロもまた、自ら福音の使者になったのではありません。復活のキリストがパウロを選んでしっかり捉え、律法の義という鎧を<目から鱗が落ちるように>取り除いて新しい人に作り替え、福音の未開拓地に遣わしました。晩年、パウロがフィリピの友人に書き送った喜びと感謝の手紙が残されています。
「わたしは既にそれを得たとか完全な者になったわけではない。何とかして死者の中からの復活に到達したいと、ひたすら身体を伸ばしてきた」と告白します。
 パウロの原動力はキリストの臨在です。「勇気を出せ。語り続けよ。わたしはいつもお前と共にいる」コリントで見た幻に導かれ、十字架のキリストだけを語り、宣教という愚かな手段を頼りに、愛に突き動かされた旅を続けることができたのです。
 フィリピ教会が福音に生きていることを確信して喜んでいる一方で、そうでない人がいるという相談を受けたとき、涙を流して訴えます。この世のことに埋没している友よ、天の御国をめざしキリストを追いかけなさい。必ずキリストは迎えに来られる。卑しい体がキリストに似た栄光の体に変えられる、その時に備えよと。
 わたしたちは今朝、モーセの証しとパウロの渾身の叫びを聞きました。
 今日までの命と、主にある交わりを感謝します。もし、悩みや苦しみが心を暗くしているなら、赤ん坊のように泣きましょう。キリストは必ず聞いていて下さり、人生の終わりまで変わりません。生まれたときから愛され、信じた時から神の独り子に、友と呼ばれるようになったのですから。
 「人の子よ、帰れ」という御声を聞き逃さないように備えましょう。そして「はい、お願いします」と霊を返して、天の国に帰ることができる日を待ちましょう。