ノンフィクション作家の柳田邦男さんの『わが息子・脳死の11日・ 犠牲』は、次男の洋二郎さんが長い苦しみの末に25歳の時、自死をはかり、脳死状態の末に親として臓器移植を決断するまでを記した作品です。この中で「2人称の死」という表現が出てきます。
2人称の死とは家族やかけがえのない人の死を意味します。君とかお前と言い合えた間柄で、その死はひどい悲しみや痛みを伴います。3人称の死は彼らとか人数で表せる死のことです。そして1人称の死は、自分のことで、死んでしまえば、もう自分では考えることはできません。
今、世界で引き起こされている虐殺や戦争被害者に対して、私たちは心が痛みますが、自分の生活や生き方に関わり、犠牲を伴わないならば他人事(ひとごと)に過ぎません。しかし、愛する人、かけがえのない人の死を目の当たりにした時に、2人称の死として迫ってくるのです。
同時に、これまで生かされてきたことの不思議さと、今日まで何と守られてきたか、しみじみと感謝が湧き出るのではないでしょうか。
さて父ヤコブが亡くなると、ヨセフは顔の上に崩れ落ちて泣き、別れの口づけをしました。わたしも父が亡くなったとき、顔をじっと見つめ額に手をあてて別れをした覚えがあります。
50章の2節から14節まではエジプト流の遺体処理と、王に並ぶような70日に及ぶ喪の期間のあと、ヤコブの遺言に従って神が与えて下さったカナンの地まで遺体の行列がつづき、先祖が葬られているマクペラの洞窟に葬られた様子があります。
さて、親が死ぬと、悲しみの後に厄介な問題が表面化することがあります。
墓の問題とか相続にまつわる争いなどです。ヨセフの兄たちの間に生じた大きな不安は、それまで家族の大きな絆だった父がいなくなったことで、ヨセフが仕返しをするのではないかという疑いでした。
そもそも、ヨセフがエジプトに居ることは、兄たちの悪巧みが原因です。いきさつは37章に生々しく描かれています。39章から41章には、ヨセフが誠実に働く姿と、それにもかかわらず周りの人間の嘘と無責任さから負わされた試練が記されています。見逃してはならないのは「主がヨセフと共におられたので」というキーワードが何回も挟まれていることです。そして45章になって、ついにヨセフは兄たちと再会します。
ヨセフが多くの難民の中に兄たちを発見した時、驚きとか喜びよりも、忘れていた恨みが脳裏をかすめたかも知れません。どうか食料を売って下さいと懇願する兄たちに不可解な無理難題を要求しているからです。
しかし何度かの対面をへて、兄たちが弟ベニヤミンに深い愛情を抱いていることや、年老いた父親を深く気遣って居ることが分かり、恨みは消え「主が共にいてくださった」ことをはっきり悟ったと思われます。
「今はわたしをここに売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。民の命を救うために、神がわたしを、あなたたちより先にお遣わしになりました。なぜなら、この国に残りの者を与え、あなたたちを生きながらえさせて、大いなる救いに至らせるためです」と言って、兄たちを慰め、長い間の別離を神の救いの出来事として語っているからです。
兄弟たちは水入らずで食事をしました。こうしてヤコブと一族はエジプトで暮らすことになりました。
17年が経ちました。この間に一族はゴシェンで増え拡がり、ヤコブが世を去りました。この時、兄たちはヨセフに使いをやって、こう言わせました。
「お父さんは亡くなる前にこう言っていました。お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの罪と咎を赦してやって欲しい」本当にヤコブはそう言い残していたのでしょうか。
これを聞いてヨセフは泣いたとあります。不思議な反応です。
仕返しをずっと恐れていた兄たちを不憫に思ったのか、あの時の言葉を素直に受け止めてくれなかったのが口惜しかったのかも知れません。
兄たちは「この通り、私たちはあなたの奴隷です」と言ってヨセフの前にひれ伏しました。これを見てヨセフは優しく告げます。
「どうして、わたしが神に代わることができるでしょう。兄さんたちは悪を企みましたが、神はそれを善に変えて下さいました。多くの命を救うためです。それでこのように家族が増えたのです」あの時の言葉と同じです。
かつてドイツのワイツゼッカー大統領が「荒野の40年」という演説で、若い世代に語りました。「祖国が犯した恐ろしい犯罪であなたたちに直接的な責任はありません。しかし、この罪を自分と無関係だと考えるなら、将来再び過ちを犯すことになります。この歴史を胸に刻まなければなりません」と。ナチスはユダヤ人やポーランド人はもとより、少数民族のロマや障害者を根絶やしにしようとしました。戦後ドイツは国家の罪を公に謝罪しました。その負い目のためか、イスラエルが国家存亡の大義としてパレスチナ世界に行ってきた理不尽な支配と暴力に対して強く抗議することができません。それは政治的立場からでしょう。
難しいことですが、悪は悪という認識がなければならないし態度表明は大事です。日本とアジア諸国、とりわけ韓国朝鮮の人々との間に未だに心の壁があるのは、政府として誠実な謝罪がないからだと私は考えています。
国家的な犯罪やテロリズムの犠牲になった人々への償いは容易なことではありません。しかし、神さまの真実は、人間の常識とは正反対です。希望の道が残されているのです。
まず神の赦しがあり、その赦しの根底にある愛を経験してこそ罪の自覚が生じます。「わたしは神に代わって裁くことはできません。あなた方は悪を企みましたが、神はそれをも善に変え多くの民の命を救って今日のようにして下さったのです」このヨセフの証しの言葉こそが、憎み合う世界の希望ではないでしょうか。
ヨセフの2000年後、主イエスは「あなたの敵を愛しなさい。自分を迫害する人のために祈りなさい」と教え、ご自分の命を差し出されました。
パリサイ人として胸を張っていたパウロは、イエスに従う人々を根絶やしにしようと必死でした。ところが復活のイエスはパウロを不思議な力でしっかり捉え、新生させ、神の愛を濁りなく見ることのできる目を与えました。「目から鱗」とはこのことです。そして異邦人への使徒として人生の目的を与えました。この新生へのできごとが赦しなのです。
パウロは身をもってこう告げています。「愛する者よ、自分で復讐せず、神の怒りに委せなさい。」「復讐は主のなさること」「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませなさい。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」「悪に負けることなく、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」と。世界が恐ろしい罪から解放されるまでには、望まない大きな犠牲を払わされている人々がいるのは確かです。
最後に葬りについて。ヨセフは自分の葬りについて具体的な遺言をしています。今日の日本では、さまざまな思いや事情で先祖や家族の墓に入りたくない、入れない、あるいは墓じまいという時代の流れがあり、海や山に散骨したり樹木葬が可能になりました。そういう時代ですから、信徒個人の葬りにも教会墓地のありかたにも課題があります。
モーセは使命を成し遂げると一人でネボ山に入って死にました。墓はありません。イエスは墓に葬られましたが、復活されて墓は空っぽになりました。迫害の時代のキリスト者の遺体は、地下通路のくぼみに積み重ねられました。「私たちの国籍、故郷は天にある」という希望の表明が示したとうりです。
ヨセフも、ヤコブもエジプトで死んでミイラにされました。そして二人の遺言の趣旨は同じです。「神は必ずあなたたちを顧みて下さいます。その時には、わたしの骨をここから携え上って下さい」と。
約束の地に帰ることを心から望み、神の支配を信じて眠りについた信仰者の証し、イエス・キリストの慰めと命令は、この世に遣わされた信仰者の、確かな道であり希望なのです。