2020.7.12 苦しみを祝福にかえる名前

今日はまず、ある人の自己紹介を朗読します。「僕は子どもの頃から地図を見たり、望遠鏡や顕微鏡を覗いたり、遺跡の勉強をしたりするのが大好きで、そういうことに夢中になっていましたが、そんな僕も成長するに従っていろいろ悩みや苦しみなどを考える年頃になってきたとき、いったい僕はどうしていったらよいのか、これから先の人生を、青春時代を生き甲斐のある生活を過ごしてゆくことが出来るだろうかと考えるようになったのでした。そんな僕の17歳の頃、ある日ラジオでキリスト教の放送がありましたので、聞いていたところ宣教師のお話の中で「イエスさまは誰でも皆さんを救って下さいます。いつでもお友達になって下さいます」と言われたことを聞いて、そうだ僕はイエスさまを信仰して生きてゆこうと心に決めたのです。それから18歳の終わり頃、父と母に「教会へ行ってみたい」と言ったら「いいよ」と言ってくれ、母が小倉先生にお話してくれたところ、先生は快く「いらっしゃい」と言って下さったので、僕はお友達と生まれて初めて教会へ行ってみました。教会の礼拝は、何となく厳かでした。また牧師先生のお話の意味もよくわからなかったけれども、僕の心はなんだか明るくなったような感じがしました。それから僕は少しでも分かりたいと思い、聖書を父に読んでもらったり教会へ行って牧師先生のお話を聞いているうちに、今では少しずつおぼろげながら僕なりにイエスさまの教えが分かってきたように思います。」
 気づかれた人もいるでしょう。この人は6年前、60歳を目前に亡くなった松本教会のTMさんです。これは21歳の時「やまびこ」に寄せた手記の一部です。
 TMさんは仮死状態で生まれたため麻痺の障害を負いました。治癒を願ってご両親はあらゆる手立てを尽くし、TMさんは作ってもらった歩行器で動きまわったり地球儀を買ってもらいそれを見るの大好きでした。しかし障害が重く、就学免除の扱いで学校に通うことが出来なかった悔しさはどれ程だったか知れません。けれどもお母さんに新聞を読んでもらい社会のことを知り文字を覚えました。こうして地図や地球儀、望遠鏡や遺跡に強い関心が生まれます。教会に通い小倉牧師やEYさんなど多くの人に囲まれて過ごしました。その頃さまざまな障害ある人が集まり互いに知り合い、また食事をしました。今で言うデイケアのはしりです。
 私がTMさんを知ったのは23年前。41歳の時です。初めて会った時の笑顔は忘れられません。一生懸命語りかけてくれ、一生懸命聞き取ろうとしましたが理解できませんでした。しかし心から歓迎する気持ちが伝わってきました。亡くなった時、驚きと悲しみで動揺しました。私と同い年だったからです。18年の交わりを通して沢山の宝をもらいました。人生への積極性、重い障害だからと諦めず、知りたい、聴きたい、音楽会へ行きたい、感じたことや考えたことを書いて伝えたいという思いをパソコンに向かって途方もない時間をかけてメールを書かれました。重い脳性麻痺のため発音はとても聞き取りにくいのですが、1文字1文字の入力をする集中力はすごいものでした。MTさんの人生を逞しくしたのは、イエスさまを知った事、イエスの名です。そこへ行き着けたのはご両親、妹さんの愛です。教会の交わりの中に居続けたことです。でも人の手を借りなければ生活できないので、遠慮したり我が儘だ思われて本当にやりたいことを抑えなければならなかった悔しさや孤独や苦しみもたくさん味わったと思います。「イエスさまは誰でも救って下さる。いつでも友達になって下さる」という若いときに聞いた宣教師の言葉は、MTさんの信仰と生活を支える土台だったに違いありません。
 さて聖書に入ります。「美しの門」の傍らで物乞いをしていた男が「イエスキリストの名によって立ち上がり歩きなさい」の言葉によって、生まれて初めて自分の足で立ち、躍り上がって新しい生活に入りました。これを見た人々はあっけにとられた、とあります。多くの人が奇跡の男を見ようとペトロの周りに集まりました。しかし反対に「こんな事が神殿の前で起こされてはたまったものではない」と排除する人々もいました。イエスの名が起こした驚くべき変化、一人の男の生まれ変わりを通して「あなたならどうする」と聖書は問いかけています。
 「神の国は近づいた」とイエスの呼びかけは今も響いています。私たちはともすると信仰が観念にとどまったり教会生活がつまらなく感じられて、心からの喜びや生活の力になっていない場合もあります。信仰者という自覚と生活者という現実が切り離されているなら、そこに感謝と喜びは生まれてこないのです。
 「イエスキリストの名によって立て、歩け」とは、私自身のために十字架について下さったイエスをリアルな方として感じて頼ることです。聖書の言葉は実行してみないと本当かどうか分かりません。砂の上に家を建てた人の喩えのように、御言葉によって生きているかどうかは問題が起こると明らかになります。頼りにしてきたことが消えてなくなったり、家族や親友に誤解されたり、正当に評価されない悔しい状態が続くこともあります。しかし、そういう時、たった一人に感じる時にこそ、イエスだけが私の理解者、私の慰め、私の力の源として本当に分かるのです。
 ところで、神との約束を破った男と女は、祝福が満ちあふれたエデンの園から追い出されてしまいました。追い出された世界は蛇のような敵がうろついています。女には産みの苦しみがあり、男は女を抑圧し、男も他人に支配され、もはや対等で真実な関係はありません。渇いた土地を汗して耕さなければならず、収穫の多くを他人が横取りするむなしさもあります。祝福が呪いに変わった世界です。
 しかし、旧約の世界に福音に通じる小道が拓かれています。神は蛇に向かって言いました。「わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」謎めいた言葉です。初代の教会は、彼とはイエスキリストだと悟りました。サタンの支配にイエスが戦いを挑む。サタンは全力でイエスに噛みつき、ついには殺してしまう。イエスは殺されますが神によって復活したイエスはサタンの牙である「死」を滅ぼし、神との関係に立ち返る「永遠のいのち」の希望を下さったのです。
 おわりに、本日は教団の定めた「部落解放祈りの日です」週報に記しましたが、日本固有の部落差別という現実を教会の祈りの課題としようという趣旨で制定されました。しかし部落差別とは何であるか分からない時代です。解消したのではなく見えないようにされ、なっている、見ないようにしているから分からないのです。
 今アメリカで黒人差別が続けられてきた現実に激しい抗議の声が挙がっています。今もアメリカに黒人差別があることは日本人でも知っています。もっと言えば世界中には民族や宗教の違いをことさらに強調して対立を作り出し利益にする人々がいます。しかし黒人差別を外国の問題と考えるように、部落差別は昔のこと、自分には関係ないと背を向けてしまうので、その見えない鎖に私たちが縛られていることに気がつかないのです。難しい問題ではありますが「部落解放」を祈るとは何か今は分からなくても忘れないようにしましょう。人生において「そうか、このことだったのか」と直面したとき、私と隣人を隔てている壁の存在が分かり、そこから本当に具体的で個人的な祈りに、行動につながっていくと信じています。
 さて、私たちは神さまから「産めよ増えよ、地に満ちよ」と祝福された被造物として命を授かっています。祝福にふさわしい生き方を求め、そこに向かって生活することを神は望んでいらっしゃいます。
 「イエスの名によって立ちなさい」と聖書に書いてあります。「立ちなさい」の言葉には「復活する」という意味があります。昔のことではなく今私たち一人一人への招きです。招きに応える心と行動は、毎日、毎朝、毎週主日ごとに御言葉を聴き続けることによって必ず与えられます。子どものように、今日出会う人、今日出会う変化に御心が隠れていることをわくわくしながら探していきたいと心から願うのです。
 祈ります。
恵みの神さま、いつの間にか自分の居所と決めて座り込んでいるところに、ペトロを通して訪ねて下さってありがとうございます。あなたの名前を信じて立ち上がります。手をさしのべて下さい。今、この時から私たちの心を驚きと喜びで満たして下さい。私たちに起こる変化がイエスキリストへの信仰となりますように。
主イエスキリストの名によって祈ります。アーメン