2020.6.28 教会創立記念日「正しい関係に返ること」

私たちは6月第4日曜日を教会創立記念日としています。今年で29周年です。
 教会の創立記念日も人の誕生日のように、この土地、この家族の中で命を授かり、恵みによって生かされてきたことに感謝し集い祝います。自分の名前に託された願いを親から聞くように先人に聴き、迷ったり立ち止まったりしているときには受け止めてもらい、嬉しいときには子どものように喜び、年老いて弱ったときにも主を見上げて新しい力を受け、若い世代を祝福して信仰の遺産を残していくのです。
 私たちの最初の礼拝は、1991年4月7日に守られて24名でした。詳しい記録はありませんが、内訳は12人の会員と伝道師、11名のゲスト(松本教会からの応援等)です。それから29年、今朝、1526回目の公同礼拝をささげています。
 その時の12人の会員としてAさんとBさんがおられますので、礼拝後に話を聞かせていただけたらと思いますが、どうでしょうか。
 記憶を語り継ぎ記録を残した人々によって聖書は私たちに受け渡されました。聖書には神のなさった事への畏れ、驚き、喜びが活き活きと描かれる一方で、神の厳しい裁きも記されています。神の裁きは愛する人間を決して見捨てないしるしです。
 さて筑摩野教会の物語は松本教会が創立90年を間近にした1960年代に始まります。
 当時、松本教会は市役所拡張のために移転することになり、松本市は代替地を提供しさらに差額を教会に支払いました。その額は新会堂を建てるのに充分でした。それで苦労なしに会堂建築へ向かうのですが、計画を巡って会員の間で意見の違いや感情的な対立が起こってきました。ある人たちは以前に劣らない広さと設備を備えた立派な会堂にすべきだと言い、ある人は松本市南部はこれから人口が増える地域だから、あそこに伝道の拠点を作るため資金と力を注ぐべきだと主張し、それらの意見は対立し、ついに数名が教会を去る事態になりました。
 三和義一牧師は痛恨の念を込めて書いておられます。「我々はみんな教会のためによかれと願いつつ、意見をかわし事を進めてきた。誰もただ自分の思い通りにしようとした者はいなかった筈である。しかし実際は長老会の提案通り計画が進められるようになった結果、反対した人々の中から数名の離脱者が出るようになった。・・・我々はこのことについて、他者を責めるのではなく、神の前に恐れをもって反省しなければならない。ただ福音に共に与ることに於いてつくられる教会の交わりが、人間的なものによって破られたことについては、何よりも先ず、私たちの信仰と高慢な罪が厳しく問われなければならない」と。
 こうして1969年に松本教会は新会堂に移転したのですが、資金の一部を南部伝道のために残し、現在の青い鳥幼稚園の一部である150坪を購入しました。しかし伝道を直接担える信徒が近くにいなかったので、計画は停滞してしまいます。
 三和牧師の後任に若い小倉和三郎牧師を迎えて、教会創立百周年が近くなると、「松本市南部に教団の教会を」という祈りが教会に満ちるようになりました。それに呼応するように、1976年に北原町に家を建てた信徒宅で家庭集会が始まり、近くに住む信徒の子どもたちを中心に北原町公民館で子ども会が始まり、松本教会の婦人会として「南部聖書を読む会」、家庭集会などが13年間続けられました。
 南部伝道が具体的になってきた1978年の教会報「やまびこ」には
「10年後に北原町に南松本教会を設立、30年後には50人の信徒で礼拝」
「南部と言っても地域は広く、芳川、寿、神林、笹賀、中山等、南部に住む何万という人々に御言葉を伝える計画が達成できるよう、そしてその活動を通じて自分自身の信仰を強くすることが出来るよう、希望と決意を新たにする」
「この会堂建築によって与えられる目に見える約束は何もないかも知れないが、この稔りのために心を尽くしていくことが私にとって、神の国を信じ、神に召されるその時まで、この地上で主の証人として力強く生きていくという、信仰の原点にもう一度立ち返る機会になるのではないかと思っている」と思いがつづられています。
 こうして1991年に神学校を卒業したばかりの兵藤辰也伝道師を迎えて新しい教会が生まれたのです。
 教会は仲良しが意気投合したり、有力者が動いて建つのではありません。むしろ弱さを抱えた人、容易でない問題を抱えた人々が神に集められて建つのです。個人的には耐えられないような苦しみや悩みの真っ最中に、教会設立の責任を担うことになったからこそ、危機を通り抜けることが出来た人もいたと思います。
 このようにして設立した松本筑摩野伝道所は松本教会だけでなく、一緒に祈り苦労して今は大変高齢になられた信徒や、県外に移られた信仰の友に支えられ、分区教区や全国の教会の祈りと交わり、地域の人々やキリスト教保育の幼稚園の関係者とのつながりの中で今日までの歩みがあるのです。
 ところで名称の「松本筑摩野」は、第1に「筑摩野中学校」の隣に建ち、それが自然であったこと、第2に筑摩野は安曇野と同じように生活圏の古い名称で地域に開かれた教会にふさわしいこと、第3に南部伝道の稔りとして松本南がなじみ深く、筑摩野に松本を冠して松本筑摩野になりました。
 また、教団では信徒が20名以上になるまでは伝道所です。一般に分かりにくい呼び方かも知れませんが、伝道する群れやMission stationという意味で伝道所という名称は個人的には大好きです。
 終わりに、これからの歩みも御言葉と聖霊の導きに素直でありたいという思いで神の出来事を聞きたいと思います。
 ペンテコステの朝、ペトロの説教で自分たちの罪に心を刺された人々は「兄弟たち、わたしたちはどうすればよいのか」と不安そうに訴えます。ペトロは率直に彼らに迫りました。「悔い改めなさい」と。ここを本田哲朗神父の翻訳で読んでみます。
「低みに立って見直し、一人一人皆、キリストであるイエスご自身に結びついて、沈めの式を受けなさい。そうすれば道を踏み外したことは赦され、贈り物として聖霊を受けるのです。聖霊の約束はあなたたちに向けられたものであり、あなたたちの子どもにも、はるか遠くの人たちにも、神である主が呼びかける、すべての人に向けられているのです。」と。
 更に多くの事例をあげて神の愛を証言して「ゆがんだ社会から自由になりなさい」とみんなを励ましました。
 私たちは個人的にも、社会的にも「何かが間違っている」という感覚はあると思いますが、「では、私たちはどうすればよいのか」と考えたときに「私には何も出来ない」と思うかも知れません。
 しかし神はそういう人に向けて「私の言葉を聴きなさい。そうして聖霊を受けなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も、将来の人々にも救いが訪れるのです」とやり直すチャンスと従う勇気を与えて下さいます。
 アダムとエバは生まれながらに備わった自由を正しく用いることが出来ませんでした。しかし、神を裏切ってしまって尚、神は新しい生き方を与えられました。それは苦労と苦しみの絶えない世界でしたが、その地上世界は神の憐れみに支えられ、永遠の命に向かう生き方を選ぶことができるのです。
 私たちは罪赦された罪人の集まりであり、教会がすべての民の祈りの家として、今日再び神の赦しの愛に立ち返って、教会の歩みを進めていきましょう。そこには必ず神さまの恵みと希望があるからです。
 祈ります。
 私たちを土の塵から造られた神さま。私たちに息を吹きかけて生きる者にして下さったことに感謝します。今朝教会が生まれて29年目を迎えました。これまでの豊かな恵みと励ましに感謝します。そして時に過ちを犯し気落ちしやすい私たちを、キリストの愛のゆえに正しく導いて下さい。
 私たちはあなたを愛して、人々を自分のように大切にします。どうか、そのように生きられるように御言葉と聖霊によって導き励まして下さい。
 主の名によって祈ります。アーメン