2014.12/21 たましいの喜び

旧約聖書 出エジプト記15章19-21節
 15:19 ファラオの馬が、戦車、騎兵もろとも海に入ったとき、主は海の水を彼らの上に返された。しかし、イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだ。15:20 アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、他の女たちも小太鼓を手に持ち、踊りながら彼女の後に続いた。 15:21 ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。
主に向かって歌え。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。

旧約聖書 サムエル記上2章1-10節
 2:1 ハンナは祈って言った。
「主にあってわたしの心は喜び/主にあってわたしは角を高く上げる。わたしは敵に対して口を大きく開き/御救いを喜び祝う。 
2:2 聖なる方は主のみ。あなたと並ぶ者はだれもいない。岩と頼むのはわたしたちの神のみ。 2:3 驕り高ぶるな、高ぶって語るな。思い上がった言葉を口にしてはならない。主は何事も知っておられる神/人の行いが正されずに済むであろうか。
 2:4 勇士の弓は折られるが/よろめく者は力を帯びる。 2:5 食べ飽きている者はパンのために雇われ/飢えている者は再び飢えることがない。子のない女は七人の子を産み/多くの子をもつ女は衰える。 2:6 主は命を絶ち、また命を与え/陰府に下し、また引き上げてくださる。
 2:7 主は貧しくし、また富ませ/低くし、また高めてくださる。
 2:8 弱い者を塵の中から立ち上がらせ/貧しい者を芥の中から高く上げ/高貴な者と共に座に着かせ/栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの/主は世界をそれらの上に据えられた。
 2:9 主の慈しみに生きる者の足を主は守り/主に逆らう者を闇の沈黙に落とされる。人は力によって勝つのではない。 2:10 主は逆らう者を打ち砕き/天から彼らに雷鳴をとどろかされる。主は地の果てまで裁きを及ぼし/王に力を与え/油注がれた者の角を高く上げられる。」

新約聖書 ルカによる福音書1章46-55節
 1:46 そこで、マリアは言った。
 1:47 「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。 1:48 身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、 1:49 力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、 1:50 その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。 1:51 主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、 1:52 権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、 1:53 飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。 1:54 その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、 1:55 わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
 1:56 マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い(片隅の)、この主のはしためにも目を留めて下さったからです。
 一日の仕事に疲れ、しかもヘマをしてやり残したとき。批判され責められて、落ち込んだとき。ふと「メサイヤ」をヘッドフォンで聴きたくなる。テノールが
「慰めよ、慰めよ、わたしの民を(イザヤ40章)」と歌い出すと、2時間40分の安息に包まれる。

 田舎娘のマリアが、あとあと「マニフィカート」と呼ばれる、壮大で力強い信仰詩を歌う場面を想像してみる。ヨセフとの平凡でささやかな幸せを待っていた娘がとつぜん神により重大な使命を負わされる。
 あり得ない、なぜわたしに?と自我が抵抗する。
「神に出来ないことは何もない。」と天使が告げると
「わたしは主の僕です。お言葉通り、この身に成りますように。」
神に降参した人の何とすがすがしいことか。
マリアの叫びは、いにしえのハンナの喜び、ミリアムの歓喜につうじる。連綿と受け継がれてきた神の勝利をたたえる歌。

 魂を震わせる喜び、霊を踊らせる歓喜はどこから来るのか。
魂(プシュケー)は息・命・心。霊(プニューマ)は気・風と言える。人間の本質であり、神からの贈り物。
 マリアはエリサベツから祝福されて神の思いを改めて体で感じた。神が先祖との約束通りに世界を新しくされる。わが身(魂と霊)を通して始まったのだと信じ歓喜する。
 もはや自分の貧しさや人々の偏見を恐れる必要はない。とは言えマリアにもイエスにも、この世は立ちはだかる。
「見よ。この子はイスラエルの多くの人が倒れ伏し、そして立ち上がるために、すなわち対決を迫る徴として据えられる方。あなた自身の心も剣で刺し貫かれる(ルカ2:34本田哲郎訳)」とシメオンが預言した通りに。

 聖霊が魂と霊に働きかけると、私たちは神の主導権に信頼し耐える力をいただく。
 私が生まれた年、1955年12月1日、42歳の黒人女性の「ノー」が歴史を動かし始めた。
 仕事帰りの混んだバス。黒人専用席最前列に座っていた彼女に運転手が立つように命じた。白人席が満席になったときは黒人席の一列全席を空ける規則になっていた。彼女は従わず逮捕され留置された。この人はローザ・パークス。確かに身体は疲れていたが「唯一の疲れは、屈服させられることに疲れていたのです。」
 この小さな抵抗はモンゴメリーの黒人たちの尊厳を呼び覚まし、バスボイコット運動が始まった。市民の75%の足であったバスを横目に支持者は徒歩で職場に通い続けた。さまざまな謀略や脅しがあった。11ヶ月後に連邦最高裁がアラバマ州の人種分離法が違憲であると断定するまで徒歩運動は続いた。
 この時、一緒に先頭に「立たされてしまった」のが、この町に着任したばかりのMLキング牧師であった。ローザは92歳まで生きて証しし、キングは39歳で凶弾に倒れて証しした。

 クリスマスは、神が小さく弱い者を立てて下さるとき。「新生」させて下さる神のわざ。その徴としての神の独り子イエスを、我が身に迎える「たましいの喜び」のとき。