2014.12/28 イエスという名

旧約聖書 イザヤ書 61章1-3節
61:1 主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。 61:2 主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め 61:3 シオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。

新約聖書 ルカによる福音書2章21節
 2:21 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。


「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい(1:31)」
「八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた(2:21)」
 今日から降誕節です。受難節の始まり2/18までの8週間「人間として生まれた(受肉された)神の独り子イエスさまの救いを黙想する期間」です。
 誰にでも名前があります。戸籍名のほか、通名で暮らす人もいます。誕生から14日以内に出生届を出すよう戸籍法第49条に定められています。戸籍に登録されると日本国民として権利と義務が生まれます。
 ところが今、500人以上の無戸籍の人がいます。出生届を出さない、出せない事情はさまざまですが、乳児検診も小学校入学も健康保険も住民としての諸権利も保障されません。アルバイトや就職も結婚も、部屋を借りるにも壁が立ちはだかります。海外旅行は不可能です。納税義務だけはあります。
 さて、マリアが産んだ子はヨセフに認知され、生後8日目に割礼が施されました。あらかじめ天使が告げたとおりにイエスと名付けられ、神の民の一員になりました。長男として神殿税が課せられ、ローマ帝国からは人頭税が搾り取られます。天上の神の子がユダヤ人として生まれ、ローマの支配下で重税と理不尽な扱いを受けながら家族を養う責任を引き受けられたのです。
 神が独り子を地上のマリアとヨセフに託すことは大きな賭でした。二人の信仰と勇気と知恵が試されました。けれども互いを信頼し、それぞれの立場で決断したとき、神は命じたことをやり遂げられるように、不思議な助けと勇気を与えてくれました。
 イエスはギリシャ発音でイェシュース(カトリックではイエズス)、ユダヤ名はイェホシュア、英語ならジーザス。「ヤハウェ(神)は救い」という意味です。では、どのような救いなのでしょう。そもそも救いとは何でしょうか。
 嫌なこと苦しみにあうと「助けて、逃げたい」と思い、切羽詰まって「死にたい」とふさぎ込む場合があります。しかし、期待するような「救い」はまずありません。
 祈っても、礼拝に出ても何の得もない、神は助けてくれない、そんな「ぼやき節」のクリスチャンもいます。イエスさまの救いは、全く違う方向からやってきます。
 「イエスさま、あなたを主として受け入れます。私を打ち砕き御心のままに用いて下さい」と祈りましょう。マリアもヨセフも力と知恵を授かりました。
 神に身を任せて、弱さも不都合も恵みとして受け入れると「イエスという名」が内から働くのです。