2017.9/24 主の道を行き、従え

◆主の道を行き、従え (申命記8:1-6、使徒20:1-6)新改訳↓
 パウロは弟子たちを集めて励まし、別れを告げて、マケドニアへ向かって出発した。
 エフェソを去る時、パウロは弟子たちを集めました。教会が成長すればするほど世の風当たりもサタンの攻撃も強くなり、困難が待ち受けていることを教え、その時こそ聖霊が強くして下るのだと教えて励ましたのです。後日のパウロの言葉によれば「何ら立場のない者という自覚をもって(本田訳)、涙を流しながらユダヤ人の迫害の中でユダヤ人とギリシャ人の区別なく、神への立ち返りと主イエスへの信頼を強く訴えてきた」3年でした。迫害は起こるべくして起こるから、一心に神とキリストを信頼して過ごすよう具体的に指示して励ましました。
 さて、パウロは一人で伝道していたのではありません。アンティオケを出発する時、最初はバルナバとマルコが、2度目はシラスが同行しています。行く先々で協力者が与えられ弟子へと成長していきました。テモテ、エラスト、マケドニア人ガイオ、ベレアのソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、アジアのティキコとトロフィモ。彼らの消息は知られないものの、パウロの手紙に度々出てきます。そして「わたしたち:使徒言行録の著者で医者のルカ」が合流します。
 3回目の伝道旅行はエフェソが終着点となりました。そこを出発してマケドニアとアカイアをまわり義援金を預かってエルサレムへ向かうのです。もう一つの目的は各地の教会と信徒を励ますことです。ちょっとでもチャンスがあれば訪問し、彼らの信仰を確かめ、励まし、慰めるのです。ここで<励ます>も<慰める>も同じ言葉です。
 パウロ一行はペンテコステ(20:16)までにエルサレム到着をめざし船を探しますが、西風が吹くまで3ヶ月待たなければなりません。その間にアカイア地方を巡り歩いて「言葉を尽くして人々を励まし」ました。やっと出帆という時、陰謀を知ったので、(2コリント11:26~)陸路でフィリピへ向かい、そこでルカと再会。過越祭>除酵祭>復活祭を祝ってから海路で待ち合わせのトロアスに向かうことにしました。パウロは綿密に計画しつつ、先を急ぐときでもユダヤ人キリスト者として礼拝を守っていたのです。
 人生が旅であるならば、ひどい目にも遭います。不運と嘆くか神の訓練と受け止めるかで全く違います。荒野を40年も迷走する旅で神はモーセを通して言いました。「こうして主はあなたを苦しめて試し・・人はパンだけで生きるのでなく、主の口から出る全ての言葉によって生きるのを知るため」の旅です。これこそが真の慰めです。