旧約聖書 出エジプト記3章
3:7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。 3:8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。 3:9 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。 3:10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」
3:11 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」 3:12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」
新約聖書 使徒言行録7章
7:1 大祭司が、「訴えのとおりか」と尋ねた。 7:2 そこで、ステファノは言った。
「兄弟であり父である皆さん、聞いてください。わたしたちの父アブラハムがメソポタミアにいて、まだハランに住んでいなかったとき、栄光の神が現れ、 7:3 『あなたの土地と親族を離れ、わたしが示す土地に行け』と言われました。 7:4 それで、アブラハムはカルデア人の土地を出て、ハランに住みました。
神はアブラハムを、彼の父が死んだ後、ハランから今あなたがたの住んでいる土地にお移しになりましたが、 7:5 そこでは財産を何もお与えになりませんでした、一歩の幅の土地さえも。しかし、そのとき、まだ子供のいなかったアブラハムに対して、『いつかその土地を所有地として与え、死後には子孫たちに相続させる』と約束なさったのです。 7:6 神はこう言われました。『彼の子孫は、外国に移住し、四百年の間、奴隷にされて虐げられる。』 7:7 更に、神は言われました。『彼らを奴隷にする国民は、わたしが裁く。その後、彼らはその国から脱出し、この場所でわたしを礼拝する。』
7:8 そして、神はアブラハムと割礼による契約を結ばれました。こうして、アブラハムはイサクをもうけて八日目に割礼を施し、イサクはヤコブを、ヤコブは十二人の族長をもうけて、それぞれ割礼を施したのです。 7:9 この族長たちはヨセフをねたんで、エジプトへ売ってしまいました。しかし、神はヨセフを離れず、 7:10 あらゆる苦難から助け出して、エジプト王ファラオのもとで恵みと知恵をお授けになりました。そしてファラオは、彼をエジプトと王の家全体とをつかさどる大臣に任命したのです。
7:11 ところが、エジプトとカナンの全土に飢饉が起こり、大きな苦難が襲い、わたしたちの先祖は食糧を手に入れることができなくなりました。 7:12 ヤコブはエジプトに穀物があると聞いて、まずわたしたちの先祖をそこへ行かせました。 7:13 二度目のとき、ヨセフは兄弟たちに自分の身の上を明かし、ファラオもヨセフの一族のことを知りました。
7:14 そこで、ヨセフは人を遣わして、父ヤコブと七十五人の親族一同を呼び寄せました。 7:15 ヤコブはエジプトに下って行き、やがて彼もわたしたちの先祖も死んで、 7:16 シケムに移され、かつてアブラハムがシケムでハモルの子らから、幾らかの金で買っておいた墓に葬られました。
兄弟たちよ、父たちよ、聞きなさい。(島津・逐語訳)
丹精込めて育てたウイスキーの原酒倉庫が爆撃されようとした時、「命がけで守る」と主人公はその場に踏ん張ります。しかし社長を尊敬し慕う部下が「死んだらおしまいじゃ」と叱りつけて避難させた朝ドラの一場面。「命がけ」の価値あるものとは?
当局にしょっ引かれて弁明するステファノ。大祭司を前にして「聞きなさい」と。これが被告の態度でしょうか。新約聖書で一番長い(10分で読める)説教です。いまは受難節、主イエスの十字架への道行き、苦難を黙想する期間です。主はかつて弟子たちに教えました。「総督や王の前に引き出され、彼らや異邦人の前で証をすることになる。その時、何をどう言おうかと心配するな。言うべきことは教えられる。話すのはあなたがたの中で語って下さる父の霊である」まさにステファノに起こった事です。
主イエスは大祭司カイアファの前では沈黙を通され、しつこく自白を迫る大祭司に向かって「あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座し、天の雲に乗って来るのを見る」と言った後は沈黙されました。その一言が決定的な冒涜として死が宣告されたのです。
一方、ステファノは語り続けました。それは自分たちの信仰の歴史でした。アブラハムに現れ、約束の地に導き、信仰と祝福の相続人として育てようとされた神の計画、忍耐をもって寄り添った神の慈愛についてです。しかしそれは耳に痛く、聞きたくない先祖の態度でした。旧約聖書のエッセンスを凝縮した民の栄光と挫折の物語です。
「聞きなさい」生きるか死ぬかの時に、丁寧語で言われたりはしません。相手が誰であろうと、緊急を要するときは「命令形」です。あんな言い方をしてしまった、と後悔するのは、相手に猶予を与えて、結果的に死んでしまった時です。
ステファノは大祭司をも含めて「今こそ主イエスの名によって罪を赦していただきなさい。イエスを死に定めた罪を、ローマ人の手によって十字架につけて殺した罪を、神の再三の呼びかけを無視した罪を、かたくなな心を」と、たたみかけるように、イスラエルの歴史に現れた神の救いの手と言葉を語ったのです。
けれども結果はイエスと同じでした。この裁判には証人の他に、一般の人が傍聴していたのでしょう。ステファノの説教がイエスのことに及ぼうとする直前に「人々はこれを聞いて激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりし」ついに彼を殺したのです。「こうして救われたのではなかったですか」ステファノの声が耳に響いています。