2月20日 主日礼拝のご案内(受難節前第2主日)

 スマホとLINEによる礼拝参加が可能です。ネット配信はしていません。

希望される方は akotozakura@yahoo.co.jp まで事前にお問い合わせ下さい。

10:30~

招 詞 あなた方の誰一人、罪に惑わされないように

               (ヘブライ 3:13-14)

讃美歌 キリストの力が 私たちの心の すみずみにまで ゆきわたりますように。

 21-358 小羊をば、ほめたたえよ  21-484 主われを愛す

説 教:本心、本音の求め 島津 晃

イザヤ書 55:6-7 

主を尋ね求めよ、見出しうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ、悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち返るならば,主は憐れんでくださる。私たちの神に立ち返るならば、豊かに赦して下さる。

マタイ福音書 6:25-34 

だから言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物より大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず,倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養って下さる。あなた方は鳥よりも価値あるものではないか。あなた方のうち誰が,思い悩んだからといって寿命を延ばすことができようか。何故、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず,紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて,明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ,神はこのように装ってくださる。まして、あなた方はなおさらのことではないか。信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか,何を飲もうか,何を着ようかと思い悩むな。それらは皆、異邦人が切に求めているものだ。あなた方の天の父は、これらの物が皆、あなた方に必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは皆、加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は,その日だけで充分である。

9月12日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第17主日)

 リモートによる礼拝参加も可能です。今のところ、スマホとLINE

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10:30~

招詞:わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。

(ヨハネによる福音書14章27節)

レビ記19章23~25節

  あなたたちが入ろうとしている土地で、果樹を植えるときは、その実は無割礼のものとみなされねばならない。それは三年の間、無割礼のものであるから、それを食べてはならない。四年目にすべての実は聖なる者となり、主への賛美の献げ物となる。五年目にあなたたちはその実を食べることができる。こうすれば収穫は増し加えられる。わたしはあなたたちの神、主である。

コリント信徒への手紙2 11章22~33節

彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばし旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁伝いにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。

讃美歌:こどもさんびか34番ー①
    讃美歌21-197番、56番

説教:一心になってしたこと 島津牧師

9月5日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第16主日)

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10:30~

招詞:ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。」(ルカによる福音書17章20節)

レビ記19章33~34節

 寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちの土地に寄留するものをあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。なぜなら、あなたたちもエジプトの国においては寄留者であったからである。わたしはあなたたちの神、主である。

テモテへの第二の手紙4章5~8節

しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。 わたし自身は、既にいけにえとして奉げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれを私に授けてくださるのです。しかし、わたしだけではなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。

讃美歌:こどもさんびか34ー5番

    讃美歌21-204番、120番

説教:主の家に帰る    島津牧師

8月22日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第14主日)

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10:30~

招詞: わたしたちが見、また聞いたことを、あなた方にも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。(ヨハネの手紙11章3~4節)

レビ記19章17~18節

  心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。

コリントの信徒への手紙2 11章16~21節

 もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者とみなすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者として確信して話すのです。多くのものが肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。 賢いあなたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれてるでしょう。実際、あなたがたは誰かに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。

讃美歌:こどもさんびか34ー3番

    讃美歌21-5番、170番①③⑥

説教:福音の愚かさ    島津牧師

8月15日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第13主日)

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10:30~

招詞: 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。

言っておくが、義とされて家に帰ってのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

(ルカによる福音書18章9,14節)

レビ記19章11~12節

  あなたたちは盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いてはならない。わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。

コリントへの手紙2 11章1~15節

 わたしの少しばかりの愚かさを我慢してくれたらよいが。いや、あなたがたは我慢してくれています。あなたがたに対して、神が抱いておられる熱い思いをわたしも抱いています。なぜなら、わたしはあなたがたを純潔な処女として一人の夫と婚約させた、つまりキリストに献げたからです。ただ、エバが蛇の悪だくみで欺かれたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔とからそれてしまうのではないかと心配しています。なぜなら、あなたがたは、だれかがやって来てわたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエスを宣べ伝えても、あるいは、自分たちが受けたことのない違った霊や、受け入れたことのない違った福音を受けることになっても、よく我慢しているからです。あの大使徒たちと比べて、わたしは少しも引けは取らないと思う。たとえ、話しぶりは素人でも、知識はそうではない。そして、わたしたちはあらゆる点であらゆる面で、このことをあなたがたに示してきました。  それとも、あなたがたを高めるため、自分を低くして神の福音を無報酬で告げ知らせたからといって、わたしは罪を犯したことになるでしょうか。わたしは、他の諸教会からかすめ取るようにしてまでも、あなたがたに奉仕するための生活費を手に入れました。 あなたがたのもとで生活に不自由したとき、だれにも負担をかけませんでした。マケドニア州から来た兄弟たちが、わたしの必要を満たしてくれたからです。そして、わたしは何事においてもあなたがたに負担をかけないようにしてきたし、これからもそうするつもりです。わたしの内にあるキリストの真実にかけて言います。このようにわたしが誇るのを、アカイヤ地方で妨げられることは決してありません。なぜだろうか。わたしがあなたがたを愛していないからだろうか。神がご存じです。 わたしは今していることを今後も続けるつもりです。それは、わたしたちと同様に誇れるようにと機会をねらっている者たちから、その機会を断ち切るためです。こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最後を遂げるでしょう。

讃美歌:こどもさんびか34番②

    讃美歌21ー51番、373番

説教:偽装ではなく真心で    島津牧師

7月18日主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第9主日)

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10:30~

招詞:イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。(ヨハネによる福音書6章5~6節)

レビ記19章9~10節

穀物を収穫するときは、畑の隅まで借り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。

コリント信徒への手紙二9章11~15節

 あなたがたはすべてのことに富む者とされて惜しまず施すようになり、その施しは、わたしたちを通じて神に対する感謝の念を聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なく素晴らしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。

讃美歌:こどもさんびか34ー③

    讃美歌21ー75番、553番

説教:神の恵みをこの目で見た     島津牧師

7月11日主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第8主日・部落解放祈りの日)

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10:30~

招詞:神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。(ルカによる福音書20章38節)

申命記34章1~8節

モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての山頂が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツァアルまでである。主はモーセに言われた。 「これらがあなたの子孫に与えるとわたしがアブラハム、イサク、ヤコブ、に誓った土地である。わたしはあなたがたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。」  主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない。モーセは死んだとき、百二十歳であったが、目はかすまず、活力もうせてはいなかった。イスラエルの人々はモアブの平野で三十日の間、モーセを悼んで泣き、モーセのために喪に服して、その期間は終わった。

讃美歌:こどもさんびか34ー②

    讃美歌21ー472番、111番

説教:はるかに望み見る     大澤牧師

7月4日主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第7主日・松本教会143周年)

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10:30~

招詞:こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ローマの信徒への手紙12章1節)

レビ記19章1~2節

 主はモーセに仰せになった。

 イスラエルの人々の共同体全体につげてこう言いなさい。

 あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。

コリント信徒への手紙2 9章8~10節

 神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆるよい業に満ちあふれるように、あらゆる恵をあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。 「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。 彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。

讃美歌:こどもさんびか34番④番

    讃美歌21-79番、453番

説教 :喜んで受け惜しみなく分けて  島津牧師

6月6日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第3主日)

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10:30~

招詞:神の国は飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和の喜びなのです。(ローマの信徒への手紙14章17節)

創世記28章10~22節

 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。 すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。見よ、主が傍らに立って言われた。 「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」  ヤコブは眠りから覚めて言った。 「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」  そして恐れおののいて言った。 「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」  ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立て、先端に油を注いで、 その場所をベテル(神の家)と名付けた。ちなみに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。  ヤコブはまた、誓願を立てて言った。 「神がわたしと共におられ、わたしが歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主がわたしの神となられるなら、 わたしが記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたがわたしに与えられるものの十分の一をささげます。」

使徒言行録2章17~21節

 『神は言われる。 終わりの時に、 わたしの霊をすべての人に注ぐ。 すると、あなたたちの息子と娘は預言し、 若者は幻を見、老人は夢を見る。 わたしの僕やはしためにも、 そのときには、わたしの霊を注ぐ。 すると、彼らは預言する。 上では、天に不思議な業を、 下では、地に徴を示そう。 血と火と立ちこめる煙が、それだ。 主の偉大な輝かしい日が来る前に、 太陽は暗くなり、 月は血のように赤くなる。 主の名を呼び求める者は皆、救われる。』

讃美歌:こどもさんびか34番ー⑤

    讃美歌21ー37番、354番

説教:夢みる老人、幻を追う若人   島津牧師

5月30日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第2・三位一体主日)

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10:30~

招詞:あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマの信徒への手紙12章2節)

イザヤ書57章15~19節

 高く、あがめられて、永遠にいまし その名を聖と唱えられるこの方がこう言われる。 わたしは、高く、聖なる所に住み 打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり へりくだる霊の人に命を得させ 打ち砕かれた心の人に命を得させる。 わたしは、とこしえに責めるものではない。 永遠に怒りを燃やすものでもない。 霊がわたしの前で弱り果てることがないように わたしの造った命ある者が。 貪欲な彼の罪をわたしは怒り 彼を打ち、怒って姿を隠した。 彼は背き続け、心のままに歩んだ。 わたしは彼の道を見た。 わたしは彼をいやし、休ませ  慰めをもって彼を回復させよう。 民のうちの嘆く人々のために わたしは唇の実りを創造し、与えよう。 平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。 わたしは彼をいやす、と主は言われる。

ヨハネによる福音書3章1~8節

 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもはあなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者がどうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれた者は肉である、霊から生まれた者は霊である。 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

讃美歌:こどもさんびか34④

    讃美歌21ー353番、345番

説教:天を見上げ胸をひらいて  島津牧師