12月15日 主日礼拝のご案内(待降節第3主日・アドベント3)

10:25~11:30

招詞

目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の前に完全なものとは認めない。だから、どのように受け、また聞いたか思い起こして、それを守り抜き、かつ悔い改めよ。もし目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように行くであろう。わたしがいつあなたのところへ行くか、あなたには決してわからない。

イザヤ書40章1~9節

慰めよ、わたしのみ民を慰めよとあななたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ彼女に呼びかけよ苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを  主の御手から受けた、と。
呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備えわたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを  肉になる者は共に見る。主の口がこう宣言される。
呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、なんと呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。
高い山に登れ良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるなユダの町々に告げよ。

ルカによる福音書1章67~80節

 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、我らのために救いの角を、僕ダビデの家から起こされた。昔から聖なる予言者たちの口を通して  語られたとおりに。それは、我らの敵、すべて彼らを憎む者の手からの救い。主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていてくださる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、敵の手から救われ、恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立っていき、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを  知らせるからである。これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、  高いところからあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」 幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人人の前に現れるまで荒れ野にいた。

讃美歌:こどもさんびか34-2番

     讃美歌21-174番、191判、238番

説教題:喜びを伝える者よ

説教:島津牧師

12月8日 主日礼拝のご案内(待降節第2主日・アドベント2)

10:35~11:40

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞 ヤコブへの手紙5章8節

あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。

列王記上22章13~17節

 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。予言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」ミカヤは、「主は生きておられる。主が私に言われる事をわたしは告げる」と言って、王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアド行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。そこで王が彼に「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事帰らせよ』と言われました。」

ルカによる福音書1章57~66節

 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は「あなたの親類にはそういう名のついた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々はみな恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々はみなこれを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

讃美歌:こどもさんびか34-1番

    讃美歌第2編48番、第1編-94番、第2編ー194番

説教題:いったい、どんな人になるのか

説教:島津牧師

12月1日 主日礼拝のご案内(待降節第一主日・アドベント1)

10:25~11:30

招詞:ローマ信徒への手紙 8章28節

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 

聖書:イザヤ書53章1~5節

わたしたちの聞いたことを、だれが信じえようか。
主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように
この人は主の前に育った。
見るべき面影はなく
輝かしい風格も、好ましい容姿もない。
彼は軽蔑され、人々に見捨てられ
多くの痛みを負い、病を知っている。
彼はわたしたちに顔を隠し
わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに
わたしたちは思っていた
神の手にかかり、打たれたから
彼は苦しんでいるのだ、と。
彼が刺し貫かれたのは
わたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのは
わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって
  わたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

ルカによる福音書1章5~25節

 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非の打ちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の御前で祭司の務めをしていたとき、祭司職のしきたりによってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。すると、主の天使が現れ、香壇の右に立った。ザカリアはそれを見て不安になり、恐怖の念に襲われた。天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の御前に偉大な人になり、ぶどう酒や強い酒を飲まず、既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。彼はエリヤの霊と力で主に先立っていき、、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。」そこで、ザカリアは天使に言った。「何によって、わたしはそれを知ることができるのでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています。」天使は答えた。「わたしはガブリエル、神の前に立つ者。あなたに話しかけて、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、この事の起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現するわたしの言葉を信じなかったからである。」民衆はザカリアを待っていた。そして、彼が聖所で手間取るのを、不思議に思っていた。ザカリアはやっと出て来たけれども、話すことができなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。その後、妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」

讃美歌:こどもさんびか34ー5番 

    讃美歌1-10番、96番、97番

説教題:強いられた沈黙によって

説教:島津牧師

11月24日 主日礼拝のご案内(終末主日・ 降誕前第6・収穫感謝合同礼拝)

10:25~11:30

招詞:使徒言行録20章35節

 あたながたもこのように働いて弱いものを助けるように、また、主イエスご自身が『受けるよりは与えるほうが幸いである。』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身もって示してきました。

聖書:ルツ記2章1~13節

ナオミの夫のエリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった。
 モアブの女ルツがナオミに、「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」と言うと、ナオミは、「わたしの娘よ、行っておいで」と言った。ルツは出かけていき、刈り入れをするする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、そこにはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった。
 ボアズがベツレヘムからやって来て、農夫たちに、「主があなたたちと共におられますように」というと、彼らも、「主があなたを祝福してくださいますように」と言った。ボアズが農夫を監督している召し使いの一人に、そこの若い女は誰の娘かと聞いた。
 召し使いは答えた。
 「あの人は、モアブの野からナオミと一緒に戻ったモアブの娘です。『刈り入れをする人たちの後について麦束の間で落ち穂を拾い集めさせてください』と願い出て、朝から今までずっと立ち通しで働いておりましたが、今、小屋で一息入れているところです。」
 ボアズはルツに言った。
 「わたしの娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落ち穂を拾いに行くことはない。ここから離れることなく、わたしのところの女たちと一緒にここにいなさい。
 刈り入れをする畑を確かめておいて、女たちについて行きなさい。若い者には邪魔をしないように命じておこう。喉が渇いたら、水がめのところへ行って、若い者がくんでおいた水を飲みなさい。」
 ルツは、顔を地につけ、ひれ伏して言った。
 「よそ者のわたしにこれほど目をかけてくださるとは。厚意を示してくださるのは、なぜですか。」
 ボアズは答えた。
 「主人が亡くなった後も、しゅうとめに尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。
 どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分報いてくださるように。」
 ルツは言った。
 「わたしの主よ。どうぞこれからも厚意を示してくださいますように。あなたのはしための一人にも及ばぬこのわたしですのに、心に触れる言葉をかけていただいて、本当に慰められました。」

マタイによる福音書1章1~6a節

アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンをヘツロンはアラムを、アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。

讃美歌:子どもさんびかー34④番、9番

     讃美歌21-386①④番、486①④番

説教題:なぜ親切にして下さるのですか

説教 :島津牧師

11月17日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第24主日・降臨前第6)

10:25~11:30

招詞:エフェソ人への手紙5章19節

 詩編と賛歌と霊的な歌よって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。

聖書:創世記24章1~14節

 アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。 アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。 「手をわたしの腿の間に入れ、天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘からとるのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れてくるように。 僕は尋ねた。 「もしかすると、その娘が私に従ってこの土地へ来たくないというかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよろしいでしょうか。」 アブラハムは答えた。 「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れてくることができるようにしてくださる。もし女がお前に従ってこちらへ来たくないというならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」 そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向かって出発した。 女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町はずれの井戸の傍らに休ませて、祈った。 「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。わたしは今、ご覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください。』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう。』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」

ルカによる福音書1章35~46節

 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリザベトに挨拶した。マリアのあいさつをエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたのあいさつのお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」 そこで、マリアは言った。

讃美歌:子どもさんびか34③番、

    讃美歌21-174番、361番、517番

説教題:約束と慈しみと奇跡:島津牧師

11月10日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第23主日・降臨前第7)

10:35~11:30

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞:ヨハネによる福音書8章31~32節

イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あななたたちは真理を知り、真理はあななたたちを自由にする。」

聖書:創世記21章9~21節

 サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、 アブラハムに訴えた。 「女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」 このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。神はアブラハムに言われた。 「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。」 アブラハムは、次の朝早く起き、パンと水の革袋を取ってハガルに与え、背中に背負わせて子供を連れ去らせた。ハガルは立ち去り、ベエル・シェバの荒れ野をさまよった。革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供のほうを向いて座り込んだ。彼女は子供のほうを向いて座ると、声をあげて泣いた。神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけていった。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。神がその子と共におられたので、その子は成長し、荒れ野に住んで弓を射る者となった。 彼がパランの荒れ野に住んでいたとき、母は彼のために妻をエジプトの国から迎えた。

   

   ガラテヤ人への手紙4章28~5章1節


 ところで、兄弟たち、あなたがたは、イサクの場合のように、約束の子です。けれども、あのとき、肉によって生まれた者が、”霊”によって生まれた者を迫害したように、今も同じようなことが行われています。しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。
 要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。
 この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。

讃美歌:子どもさんびか34②番、

    讃美歌21-8番、458番、528番

説教題:真理によって自由になる:島津牧師

11月3日 主日礼拝のご案内 (聖霊降臨節第22主日・聖徒の日)

10:25~11:30

招詞:マルコによる福音書10章15~16節

「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなくては、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。

聖書: 創世記22章1~19節

これらのことの後で、神はアブラハムを試された。 神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。 三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。 「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」 アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。 イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。 「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」 アブラハムは答えた。 「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。 神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。 「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れるものであることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」 アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。 アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。御使いは言った。 「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたが私の声に聞き従ったからである。」 アブラハムは若者のいるところへ戻り、共にベエル・シェバへ向かった。アブラハムはベエル・シェバに住んだ。

    ヘブライ人への手紙11章17~19節

 信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。

讃美歌 :子どもさんびか34番①

                讃美歌21-19番、385番、381番381

説教題:主の山に備えあり

説教:島津牧師

10月27日 主日礼拝のご案内(聖霊降臨節第20主日)

10:25~11:30

招詞:ヨハネによる福音書14章6節

イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」

聖書:イザヤ書55章8~11節

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なりわたしの道はあなたたちの道と異なると  主は言われる。天が地を高く超えているようにわたしの道は、あなたたちの道をわたしの思いは  あなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種まく人には種を与え食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も  むなしくは、わたしのもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。

    ヘブライ人への手紙11章1~3節

 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えるものからできたのではないことが分かるのです

讃美歌:子どもさんびか34⑤番、

    讃美歌21-19番、202番、564番

説教題:求め続ける人は満たされる:井上治夫 牧師