2017.4.9 神の訪れの時を逃すな

 (ゼカリヤ書9:9-10、ルカ19:28-44)(本田哲郎訳)
 そして、お前は・・・破壊されるのだ。
   自分を見直す時をわきまえなかったからだ。
 陸上400㍍ハードル日本記録を持つ為末大(ためすえだい)氏は2012年の引退後、東京オリンピック準備の組織で活躍してきたが「皆さん一生懸命なのは事実。でも、何に向かっているのか分からなかった」と言う。メダルを何個とるという目標に何が残るのかという疑問があったのだろう。
 そして東京パラリンピック大会後に高齢者や障害者が活躍する社会ができるように、その基盤作りに力を注いでさまざまな活動をされている。1)自らの知名度が生かせる間に資金と雇用を作りだし、2)マラソン大学によってスポーツとは何かを子どもたちと考えたり、義足の開発などで障害、高齢者の社会参加を促し、3)支援というスローガンではなく、マイノリティーそれぞれが持っている価値やエネルギーを生かす社会にしようというもの。

 イエスがエルサレムに入城されたとき、弟子たちも「主の名によって来られる方、王に祝福があるように・・」と誇らしげに叫んだ。しかし弟子たちも民衆もイエスの思いとはかけ離れた期待で胸を膨らませていた。
 イエスがエルサレムに入城された様子は4つの福音書に記されていて、共通点も多いが異なる点もある。木の葉や枝、上着を道に敷いて歓呼して迎えたのは群衆だったとみえるが、ルカは弟子の群れがそのように迎えたと記している。この時まで大勢の弟子がいたことになる。この騒ぎに、「ラビ、弟子たちを叱って下さい」と注文が出た。それはイエスを伝統やしきたりを破壊する危険人物だとみなしたパリサイ人からだった。イエスは「もし、この人たちが黙れば、石が叫び出す」と警告をもって応えた。
 イエスは「神に愛された都がその名の通りにだったら」とどんなに思っただろうか。エルサレム=平和の礎(神)という名にもかかわらず「エルサレム、エルサレム、預言者達を殺し、遣わされた人々を石で撃ち殺す者よ。めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だがお前たちは応じなかった(マタイマルコ)」と。
 こうして裁きの時が来てしまう。紀元70年にエルサレムはティトゥス将軍により焼き払われて陥落し、マサダの砦に籠もった男も女も子どもも民族主義の犠牲になった。現在に至るまで争いの渦中にある都エルサレム。そして平和の主イエスを否む世界に。
 しかし、神はイエス・キリストという神殿を打ち立て、信じる者は平和に生きよ、と招いて人々の中に住んで下さる。自らの愚かさを嘆いて十字架を見上げる人に、神の訪れを喜ぶ人々に中に。