◆ヨハンナ・シュピーリのこと(2)
7月23日夜9時頃ヒルツェル村に到着しました。Johannna Heusser Schriftstellerin ヨハンナ/ホイサー/シュリフツテラ-リンが1827年6月12日から14歳でチューリッヒに移るまで過ごした故郷です。
松本に似たヒルツェル市街地に入ったとき、二世紀前の面影はないかと思いましたが、数キロ離れた丘の周辺には昔ながらの農村がひろがり、その中に教会と生家を見つけて感無量。夜でもフラッシュなしで撮影できる明るさですが、さすがに人通りはなくて、去ろうとしていた時、教会から老人が出てきて鍵を掛けていました。姉がドイツ語で「日本からシュピーリの故郷を訪ねて来ました」と言うとパウルさんというその人は喜んで礼拝堂へ入れてくれました。「あいにく牧師は2ヶ月ほどバカンスで不在だが何でも聞いて欲しい」と、あれこれ親しく話をすることが出来ました。
教会堂は1600年代前期に建てられ、10年程前に改装したそうで、外側の重厚さと内側の快適そうでのびのびとした空間にパイプオルガン、現代的彫刻の聖餐台、素敵な洗礼盤がありました。座席は80から120。普段は30人ほどの出席で行事には若い人も集まり70-80人にはなるそうです。最近6人の幼児洗礼があったと、嬉しそうでした。
ルター派教会のプレジデントだと自己紹介、筆頭長老という感じ。16世紀まですぐ脇の道を境にカトリックの勢力が迫って必死で追い返したんだと、スイスの歴史を垣間見る話もありました。ヒルチェルまでの道で鐘楼の形が違う教会が沢山ありました。教派で鐘楼の形が違うので、農村地域はカトリック、チューリッヒなど都市部は改革派、このあたりはルター派という棲み分けがあるのでしょうか。
ヨハンナの父は、義務に忠実な医者として貧富の別なく献身的に患者を受け入れ、内科も外科もがむしゃらに仕事を増やします。とりわけ精神病患者を受け入れ家族のように世話をしますが、ぶっきらぼうな人柄で、実際の苦労はお母さんが一手に引き受けたようです。そんな父母の下で人の心と身体の世話する姿を見て育ったヨハンナの作品には、人が生きていくために自然の育み癒やす力と、愛と理解の助力が不可欠というテーマが、いつも主人公と周辺の人の言動に込められていったように思います。
「ハイジ」中のゼーゼマン夫人が保養に滞在したラガーツ温泉の「高級ホテル」に泊まり、翌日マインフェルトの「ハイジ村」を訪ねました。土産物店にはここそこに日本人客が見られ、併設の「ハイジ・ミュージアム」は数十カ国語に翻訳されたハイジとその絵本が展示の中心で、ヨハンナ・シュピーリの作品や精神的遺産はちょっぴりで「テーマパーク」のようでした。本物の記念館はチューリッヒにあるそうです。