2015.3/8 神の好意と力にあふれて

旧約聖書 出エジプト記34章
 34:1 主はモーセに言われた。「前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。 34:2 明日の朝までにそれを用意し、朝、シナイ山に登り、山の頂でわたしの前に立ちなさい。 34:3 だれもあなたと一緒に登ってはならない。山のどこにも人の姿があってはならず、山のふもとで羊や牛の放牧もしてはならない。」
 34:4 モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。
 34:5 主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。 34:6 主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、 34:7 幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、父祖の罪を、子、孫に三代、四代までも問う者。」
 34:8 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、 34:9 言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

新約聖書 使徒言行録6章
 6:8 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。 6:9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。 6:10 しかし、彼が知恵と”霊”とによって語るので、歯が立たなかった。
 6:11 そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。 6:12 また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。 6:13 そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。
「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。 6:14 わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
 6:15 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

 ステファノは神の好意と力をいっぱい受け、ふしぎなことやたいへんな奇跡を民のあいだで行っていた。(本田哲郎訳)
「人は変われる」ということを聖書はたくさん示しています。よく知られているのはパウロの物語です。今朝は、ステファノに起こった物語を聴きましょう。
 ステファノの名が知られるのは、神を信じる家族が急激に大きくなったころ、「霊と知恵に満ちて、証が知られている人」が七人選び出され「執事」が生まれたときです。
 この七人の名前は、どれもギリシャ人の代表的な名前です。イエスさまを信じる人たちの日常会話は、アラム語とギリシャ語、それにラテン語だったでしょう。
 なぜなら、主が十字架に付けられたとき、十字架の上に3つの言語で「ユダヤ人の王」と皮肉を込めてピラトが書かせたからです。(ヨハネ19:20)
 さて、ステファノは「恵みと力に満ちて」執事の仕事、つまりギリシャ系の未亡人や貧しい人々のお世話をしていました。それが、単に熱心で親切なだけではなく「すばらしい不思議な業と徴」を伴っていたからすごいことです。
 神さまの「不思議な業と徴」に対して必ず楯突く人が生まれるものです。いわば、サタンの働きです。その手先になった人々は、皮肉なことにステファノと同じように外国から帰郷し、熱心に神殿に通う人々でした。
 真っ正面から衝突するのは「全く立場が違う人」ではありません。ほとんど立場が同じなのに、決定的に違うことで衝突するのです。
 この後、彼はイエスや使徒たちのように「民の議会:サンヒドリン」に連れて行かれ、尋問を受けます。その時、彼は大胆な証しをしています。彼の歴史理解は預言者のようでした。だからこそ「こんな奴は殺してしまえ」と人々が歯ぎしりしたのです。
 自分にとって不都合な真実を突きつけられると、人は二種類の反応をします。耳をふさぎ認めない人。その不都合な真実の前に、打ち砕かれ新しくなる人です。
 私たちは、どちらでしょうか。私が考えるにステファノは自分を憎み迫害する人と同じような過去を持っていた人です。その過去の過ちをイエスの十字架と使徒たちの愛によって贖われ、新しい人となったのです。
 神は打ち砕かれ新しくなった人に、溢れるばかりの好意と力を注がれました。
 誰でも主のみ言葉によって打ち砕かれ、新しくなるなら、ステファノのように「神の好意をいっぱい受け、不思議なこと、奇跡を行な」えるのです(ヨハネ14:11-14)