☝Point1
弟子たちはすべての戸に鍵をかけて(心を閉ざして)いた!
理由は、自分たちもイエスみたいに十字架にかけられるかもしれない、という「恐れ」とイエスから叱責を受けるかもしれない、という「罪責感」から。(ヨハネによる福音書20章19節)
☝Point2
ところが、イエスがかけた言葉は「あなたがたに平和を(シャローム)」。
弟子たちは喜んだ!それと同時に使命が与えられた。「天の父が私を遣わしたようにあなたがたを遣わす」=宣教に生きるという使命(ヨハネ20:19-22)
☝Point3
復活のイエスに出会い「第二の創造」が行われた。息=聖霊とが与えられ(ペンテコステ)、生かされた者が他者を生かすものへと変えられた。「誰の罪でもあなた方が赦せば赦される、あなた方が赦さなければそのまま残る」と言われたように「赦す」権威が与えられた。「赦し」があるところに平和と平安がある。(ヨハネ20:23)
☝Piont4
弟子たちは使命に燃えて熱い思いを持っていたが、トマスはその場にいなかったので、「自分の手をその釘跡に入れるまで信じない」と。
8日の後、復活のイエスに出会い、トマスに言われた。「信じない者ではなく信じる者になりなさい。」トマスは見て信じた。「わたしの友、わたしの神よ。」<トマスの信仰告白>(ヨハネ2:27-28)
☝Point5
ウクライナの戦争が起こっており、私たちは平和を祈り求めているが、人類はその繰り返しである。自ら戦争を犯したことを省み、「あなたがたに平和があるように」と言ってくださる復活のイエスと共に生きること、すなわち、宣教に生きることである。