2月23日 主日礼拝のご案内(降誕節第9主日・受難節前第1)

10:35~11:40

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞:イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。(ルカによる福音書18章31節)

エゼキエル36章9~12節

 わたしたちはお前たちのために、お前たちのもとへと向かう。お前たちは耕され、種を蒔かれる。わたしはお前たちの上に、イスラエル全家の人口をことごとく増やす。町々には人が住むようになり、廃墟は立て直される。わたしはお前たちの上に人と家畜を増やす。彼らは子を産んで増える。わたしはお前たちを昔のように人の住む所とし、初めのときよりも更に栄えさせる。そのとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。わたしはお前たちの上に人々を、すなわちわが民イスラエルを歩ませる。彼らがお前を所有し、お前は彼らの嗣業となる。二度と彼らの子たちを失わせることはない。

コリントの信徒への手紙2 9章1~7節

 聖なる者たちの奉仕について、これ以上書く必要はありません。わたしはあなたがたの熱意を知っているので、アカイヤ州では去年から準備ができていると言って、マケドニア州の人々にあなたがたをことを誇りました。あなたがたの熱意は多くの人々を奮い立たせたのです。わたしが兄弟たちを派遣するのは、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りが、この点で無意味なものにならないためです。また、わたしが言ったとおり用意してもらいたいためです。そうでないと、マケドニア州の人人がわたしと共に行って、まだ用意ができていないのを見たら、あなたがたはもちろん、わたしたちも、このように確信しているだけに、恥をかくことになりかねないからです。そこで、この兄弟たちに頼んで一足先にそちらに行って、以前あなたがたが約束した贈り物の用意をしてもらうことが必要だと思いました。渋りながらではなく、惜しまず差し出したものとして用意してもらうためです。 つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔ない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。

讃美歌:こどもさんびか34①番

    讃美歌21-12番、363番、467番

説教題:喜ぶ顔をイメージして

説教:島津牧師

2月16日 主日礼拝のご案内(降誕節第8主日・受難節第2)

10:25~11:30

招詞:空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。(マタイによる福音書6章26節)

出エジプト記16章13~18節

 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。 「これこそ、主があななたちに食物として与えられたパンである。主が命じられたことは次のことである。『あななたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり1オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』 イスラエルの人々はそのとおりにした。ある者は多く集め、ある者は少なく集めた。しかし、オメル升で量ってみると、多く集めたも者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが不必要な分を集めた。

コリントの信徒への手紙2 8章16~24節

 あなたがたに対してわたしたちが抱いているのと同じ熱心を、テトスの心にも抱かせてくださった神に感謝します。彼はわたしたちの勧告を受け入れ、ますます熱心に、自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。わたしたちは一人の兄弟を同伴させます。福音のことで至るところの教会で評判の高い人です。そればかりではありません。彼はわたしたちの同伴者として諸教会から任命されたのです。それは、主御自身の栄光と自分たちの熱意を現すようにわたしたちが奉仕している、この慈善の業に加わるためでした。わたしたちは、自分が奉仕しているこの惜しまず提供された募金について、だれからも非難されないようにしています。わたしたちは、主の前だけではなく、人の前でも公明正大にふるまうように心がけています。彼らにもう一人わたしたちの兄弟を同伴させます。この人が熱心であることは、わたしたちがいろいろな機会にしばしば実際に認めたところです。今、彼はあなたがたに厚い信頼を寄せ、ますます熱心になっています。テトスについて言えば、彼はわたしの同志であり、あなたがたのために協力する者です。これらの兄弟について言えば、彼らは諸教会の使者であり、キリストの栄光となっています。 だから、あなたがたの愛の証と、あなたがたのことでわたしたちが抱いている誇りの証しとを、諸教会の前で彼らに見せてください。

讃美歌:こどもさんびか34-2番

     讃美歌21-204番、486番、524番

説教題:分かち合う喜び

説教:島津牧師

2月9日 主日礼拝のご案内(降誕節第7主日)

10:35~11:40

*子どもの礼拝10:15~10:30

招詞:はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネによる福音書12章24節)

申命記31章1~8節

 モーセは全イスラエルの前に歩み出て、これらの言葉を告げた後、こう言った。「わたしは今日、既に百二十歳であり、もはや自分の務めを果たすことはできない。主はわたしに対して、『あなたはこのヨルダン川を渡ることができない』と言われた。 あなたの神、主御自身があなたに先立って渡り、あなたの前からこれらの国々を滅ぼして、それを得させてくださる。主が約束されたとおり、ヨシュアがあなたに先立って渡る。主は、アモリ人の王であるシホンとオグおよび彼らの国にされたように、彼らを滅ぼされる。主が彼らをあなたたちに引き渡されるから、わたしが命じたすべての戒めに従って彼らに行いなさい。強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あななと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない。」 モーセはそれからヨシュアを呼び寄せ、全イスラエルの前で彼に言った。 「強く、また雄々しくあれ。あなたこそ、主が先祖たちに与えると誓われた土地にこの民を導き入れる者である。あなたが彼らにそれを受け継がせる。主御自身があなたに先立って行き、主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」

コリントの信徒への手紙2 8章8~15節

 わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです。あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。 この件について私の意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。 進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。 「多く集めた者も、余ることはなく、 わずかしか集めなかった者も、    不足することはなかった」と書いてあるとおりです。

讃美歌:こどもさんびか34-1番

    讃美歌21-21番、290番、509番

説教題:損に見える得

説教:島津牧師

2月2日 主日礼拝のご案内(降誕節第6主日)

10:25~11:30

招詞:言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

サムエル記下12章1~10節

 主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。「二人の男がある町にいた。 一人は豊かで、一人は貧しかった。豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに   何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い   子羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて彼の皿から食べ、彼の椀から飲み彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに自分の羊や牛を惜しみ貧しい男の小羊を取り上げて自分の客に振る舞った。」 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、あなたの主君であったものの家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』

コリント信徒への手紙2 8章1~7節

 兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたのでわたしたちはテトスに、この慈善の業をあなたがたの間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。

讃美歌:こどもさんびか34-1番

    讃美歌1-21番、1-262番、2-185番

説教題:あふれるような愛の源

説教:島津牧師

1月26日 主日礼拝のご案内(降誕節第5主日)

10:35~11:40

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞:ローマ1章16節

 わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

エレミヤ書2章11節~14節

一体、どこの国が神々を取り替えたことがあろうかしかも、神でないものと。ところが、わが民はおのが栄光を助けにならぬものと取り替えた。天よ、驚け、このことを大いに、震えおののけ、と主は言われる。まことに、わが民は二つの悪を行った。生ける水の源であるわたしを捨てて無用の水溜めを掘った。水をためることのできないこわれた水溜を。
イスラエルは奴隷なのか家に生まれた僕であろうか。それなのに、どうして捕らわれの身になったのか。

ヨハネによる福音書2章1~11節

 三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりかかあいがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。いずれも二ないし三メトレテス入りのものである。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持っていきなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこからがどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」 イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

讃美歌:子どもさんびか 34-4番、

    讃美歌21ー151番、286番、516番

説教題:最初のしるし

説教:島津牧師

1月19日 主日礼拝のご案内(降誕節第4主日・松本教会と交換講壇)

10:25~11:30

招詞:コリント信徒への手紙2 12章9節

 すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

出エジプト記4章14~17節

 主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。 「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あななたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」

ルカによる福音書16章1~13節

 イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口をするものがあった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人かにいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百ロコス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十ロコスと書き直しなさい。』主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分たちの仲間に対して、光の子よりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さなことに忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は大きな事にも不忠実である。だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

讃美歌:こどもさんびか34-③

    讃美歌21-472番、515番、92番

説教題:恵みは十分である

説教:柳谷 智之 牧師 

1月12日 主日礼拝のご案内(降誕節第3主日)

10:35~11:40

*子どもの礼拝 10:15~10:25

招詞 :ローマ信徒への手紙(12章1~2節)

 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

出エジプト記10章1~11節

主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、私が主であることをあなたがたが知るためである。」モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に言った。「ヘブライ人の神、主はこう言われた。『いつまで、あなたはわたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい。もし、あなたが私の民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む。いなごは地表を覆い尽くし、地面を見ることもできなくなる。そして、雹の害を免れた残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす。また、あなたの王宮、家臣のすべての家、エジプト中の家にいなごが満ちる。それは、あなたの先祖も、先祖の先祖も、この土地に住み着いたときから今日まで見たことがないものである』と。」彼が身を翻してファラオのもとから退出すると、ファラオの家臣が王に進言した。「いつまで、この男はわたしたちを陥れる罠となるのでしょうか。即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。」モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。「行って、あななたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。」「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」とモーセが答えると、ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それが、お前たちの求めていたことだ。」ファラオは自分の前から彼らを追い出した。

ルカによる福音書2章33~40節

 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。-あなた自身も剣で心を刺し貫かれますー多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若い時嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜るも昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。 親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町でガラリヤのナザレに帰った。 幼子たちはたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

讃美歌:こどもさんびか34ー2番

説教題:出るところ、帰るところ

説教:島津牧師

12月29日 主日礼拝のご案内(降誕節第1主日)

子どもの礼拝:10:15~10:30

10:25~11:30

招詞:ヨハネの手紙1 4章12章

いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

イザヤ書65章17~25章

見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はいない。それはだれの心にも上ることはない。代々とこしえに喜び楽しみ、喜び踊れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び踊るものとしてその民を喜び楽しむものとして、創造する。わたしはエルサレムを喜びとしわたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。そこには、もはや若死にする者も年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬものは若者とされ百歳に達さない者は呪われた者とされる。
彼らは家を建てて住みぶどうを植えてその実を食べる。彼らが建てたものに他国人が住むことはなく彼らが植えたものを  他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになりわたしに選ばれた者らは彼らの手の業にまさって長らえる。彼らは無駄に労することなく生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは、その子孫も共に主に祝福された者の一族となる。彼らが呼びかけるより先に、わたしは答えまだ語りかけている間に、聞き届ける。 狼と小羊は共に草をはみ獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は塵を食べ物としわたしの聖なる山のどこにおいても害することも滅ぼすこともない、と主は言われる。

ルカ2章21~24節

 八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。 さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

讃美歌:こどもさんびか34-5番

     讃美歌21-19番、271番、359番

説教題:イエスという名

説教:島津牧師

12月22日 主日礼拝のご案内(聖霊待降節第4主日・アドベント・クリスマス礼拝)

10:25~11:30

招詞:フィリピの信徒への手紙4章5節

あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

イザヤ書61章1~4節

主は私に油を注ぎ主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み捕らわれ人には自由をつながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年わたしたちの神が報復される日を告知して嘆いている人々を慰めシオンのゆえに嘆いている人々に灰に代えて冠をかぶらせ嘆きに代えて喜びの香油を暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた正義の樫木と呼ばれる。彼らはとこしえの廃墟を建て直し古い荒廃の後を興す。廃墟の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。

ルカによる福音書1章46~55節

そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも  目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も  わたしを幸いなものと言うでしょう、力ある方が、  わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低いものを高く上げ、飢えた人を良いもので満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」マリアは、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

讃美歌:こどもさんびか34④

    讃美歌21-242番、175番、262番

説教題:神を喜びたたえます

 説教:島津牧師