2022.5.22「見ないで信じる者の平和」要約

☝Point1

弟子たちはすべての戸に鍵をかけて(心を閉ざして)いた!

理由は、自分たちもイエスみたいに十字架にかけられるかもしれない、という「恐れ」とイエスから叱責を受けるかもしれない、という「罪責感」から。(ヨハネによる福音書20章19節)

☝Point2

ところが、イエスがかけた言葉は「あなたがたに平和を(シャローム)」。

弟子たちは喜んだ!それと同時に使命が与えられた。「天の父が私を遣わしたようにあなたがたを遣わす」=宣教に生きるという使命(ヨハネ20:19-22)

☝Point3

復活のイエスに出会い「第二の創造」が行われた。息=聖霊とが与えられ(ペンテコステ)、生かされた者が他者を生かすものへと変えられた。「誰の罪でもあなた方が赦せば赦される、あなた方が赦さなければそのまま残る」と言われたように「赦す」権威が与えられた。「赦し」があるところに平和と平安がある。(ヨハネ20:23)

☝Piont4

弟子たちは使命に燃えて熱い思いを持っていたが、トマスはその場にいなかったので、「自分の手をその釘跡に入れるまで信じない」と。

8日の後、復活のイエスに出会い、トマスに言われた。「信じない者ではなく信じる者になりなさい。」トマスは見て信じた。「わたしの友、わたしの神よ。」<トマスの信仰告白>(ヨハネ2:27-28)

☝Point5

ウクライナの戦争が起こっており、私たちは平和を祈り求めているが、人類はその繰り返しである。自ら戦争を犯したことを省み、「あなたがたに平和があるように」と言ってくださる復活のイエスと共に生きること、すなわち、宣教に生きることである。

2022.5.15「命の声が響いている」要約

☝Point1

弟子たちはありふれた日常生活(不漁)が続いていた。きっかけはイエス様の呼び声!(ヨハネによる福音書21章1節、5節)

☝Point2

イエス様が言われた通りやってみたら魚が取れた!(ヨハネ21:6,10)

☝Point3

イエス様が準備して下さっっていたもの(炭火、パン)+お言葉通りやってみて得たもの(魚)=食卓

⇒使命が果たせた、命が与えられた!

主がなされたことだと分かったので、「あなたは誰?」とは誰も聞かなかった。

(ヨハネ21:9-10、12)

☆”命”は命令、使命のこと→ミッションのこと

すべてを準備してくださっている神様がいます。

その神様からの声を聞いて、あなたはどうしますか?

2020.7.26 罪をゆるしてください

 好きな讃美歌の一つに21-162番「見よ、兄弟が座っている。何という恵み、何という喜び」があります。詩篇133そのままが歌詞になっています。
 わたしたちは普通、あの人たちは兄弟のように仲がいいとか、兄弟のように助け合っている、と言う風に言ったりしますが、兄弟のように仲が悪い、兄弟のようにいがみ合っている、という風には言いません。
 聖書には兄弟の物語、例えがいくつもありますが、カインとアベルに始まって、イシュマエルとイサク、エサウとヤコブ、ヤコブの息子たち、ダビデの息子たちなど数え切れないほど仲の悪い兄弟が登場します。むしろ少数ですが、ダビデとヨナタンのように神を畏れる親友として兄弟以上のつながりを発見します。
 さて、アダムはエバを知ったとあります。ヘブライ語でヤーダーという言葉ですが、神との親しい間柄や夫婦の性的な関係を意味します。エバは「わたしは主によって男の子を得た」と言い、子どもの誕生は神さまによるという理解があるわけで「カイン」と名付けました。「手に入れる」という意味です。ところがどうしたわけか次男には「アベル」という名前をつけました。これは「空しい、はかない」という意味です。わが子に「悪魔」という名をつけた親がいましたが、アニメの影響か、ふざけています。名付けには親の願いや愛情が込められますが、同時に親の環境や価値観が表れるのです。命名は人の一生を左右することがあります。
 この物語の背景には農耕民族と遊牧民族の対立構造があるようですが物語をそのまま観察してみましょう。二人の年の差は分かりませんが、成長して働くようになり、カインは麦畑を、アベルは羊を飼うようになりました。カインは弟殺しによって人類最初の殺人者という汚名を着せられていますが、実際の成長として考えると、父親のアダムと一緒に土を耕す仕事を覚えていったことが記されています。
 時を経てとあります。カインは種まきや収穫ができるまでになり麦の収穫の一部を神さまに献げました。よい息子です。今の時代は子どもは就職すると最初の給料から親にプレゼントをしたりしますが、神に献げ物をする家庭は少ないでしょう。神を知らないからです。アダムは神を失望させましたが、神を忘れたはずはありません。カインの献げる思いは父親譲りで貴いことです。
 弟のアベルは羊を飼うようになりました。兄弟で性格や関心事が違うのはふつうのことです。弟は兄の働きを見ながら、いつか自分も神さまに献げものをしたいと思ったことでしょう。やがてその時が来ました。一生懸命世話した羊がまるまると育ったので、きっと神さまに喜んでもらえると思って献げました。
 この二人の献げる行為は、素直で素晴らしいことでした。ところが、思いがけないことが起こりました。ある年、二人はそれぞれの献げ物を神の前に差し出しました。この時代、祭壇があったかどうか、どんな方法で献げたかは分かりません。「主はアベルとその献げ物には目を留められたが、カインの献げ物には目を留められなかった」のです。カインは自分が否定されたと思いました。その思いは弟への嫉妬、殺意を抱くまでになるのですが、主はカインの心の奥をご存じで「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのならば顔を上げられるはずではないか」と頭を冷やすように促し「罪が待ち伏せし、お前を求めている」と悪の誘惑に打ち勝つように諭しました。
 子どもが小さいときはこんな事があります。兄弟が親に何かを見せに来ました。親はまず、弟に目を丸くして関心を示し、喜んだり褒めたりします。兄はやきもきして待ちますが自分の番になりません。それで「ねえ、僕のも見てよ、僕の話も聞いてよ」とせがみますが親は「どれどれ見せてごらん」とは言いますが、明らかに弟の時のように関心を示しません。思うようにならなかったとき腹いせが他者に向かいます。弟にしてみれば、どうしてお兄ちゃんがいじめるのか分かりません。
 神さまには深い深い思いがあって、兄と弟をちゃんと見ているのです。ルカ福音書の15章に、放蕩息子の喩えの話がありますが、どうしても弟の劇的な結末に関心が向けられますが、イエスさまはまじめな兄が父親から正当に評価されていることを忘れてはおられません。
 私たちは、どうしても自分中心の理屈で出来事を受け止めてしまいます。ひどいと感じてしまうと、相手の考えや事情を想像することが出来なくなってしまいます。そうして、その人に最低のレッテルを貼ってしまうのです。
 アンガーコントロールという方法があります。かっとなるような時は、数秒まって深呼吸してから行動するのです。単純なけんか回避の方法です。
 さて、今日は南アフリカの国旗と国歌について少し紹介したいと思います。南アフリカ共和国にはアパルトヘイトという黒人隔離の制度が長く続きました。ご存じのように、世界には依然として肌の違いで権利の差、貧富の差、人間としての尊厳が傷つけられている現実があります。どんな環境や家族に産まれるか、どんな時代に生まれるかは自分で選ぶことが出来ません。
 南アフリカの現在の国旗は6色で描かれています。その色は民族や歴史を表しています。また国歌には国民を団結させる力があります。去年のサッカーワールドカップでは多くの市町村が各国のキャンプを受け入れて応援しました。こうして日本人はカタカナ言葉で世界中の国歌を知りました。南アフリカの現在の国歌は、プリントに記したように五つの言語で構成されています。これはメソジスト教会で良く歌われていた讃美歌に黒人解放の歌を重ねたものだそうです。配布したプリントに国旗の変遷と5言語で歌われている歌詞の趣旨を示しました。
 1990年2月11日、ネルソン・マンデラという人が27年間の獄中生活から解放されました。複雑な事情は省きますが、彼は若いとき暴力革命を主張する黒人解放闘争の兵士で、投獄されると凶暴な猛獣のように扱われ、体への虐待だけでなく精神的な攻撃を繰り返されましたが、闘志は少しも衰えず白人支配者たちを恐れさせ悩ませました。ところが、27年ぶりに解放されたとき、誰も想像できないような演説をしたのです。「白人の皆さんのこれまでの貢献に感謝します。私は白人を憎んでいません。赦します」このメッセージは一緒に闘ってきた仲間や大多数の黒人には耐えられない言葉に聞こえました。
 裏切ったのか。取引したのか。獄中で何があったんだ。さまざまな憶測が飛び交い、英雄の解放を喜ぶ声は、激しい非難と暴動に変わりました。27年間の獄中生活で彼の考えが劇的に変化していたことを仲間も民衆も知らなかったのです。
 分裂はインドのガンジーの時にも起こりました。ヒンズー教徒とイスラム教徒という宿敵が団結して手に入れた独立も利害のために血に染まってしまいました。
1989年のチェコ・スロバキアのビロード市民革命とバーツラフ・ハベルのことを読書で知っていたのかも知れません。
 マンデラは説明しています。獄中でひどい目に遭いましたが、白人の看守にも親切な人や良い人がいたこと、獄中でさまざまな歴史書を読んだことを取り上げて、暴力は憎しみの連鎖を、仲間内の政治は腐敗を生むということを学んだのです。
 4年後にはじめて全民族が有権者となった総選挙でにマンデラは黒人で最初の大統領に選出されました。暫定憲法で政府のポストには白人黒人や宗教の区別はなく、総選挙で5パーセント以上の得票率の政党に政権参加を義務付け、マンデラ新大統領はその役割にふさわしいと考える人を閣僚にしました。獄中で学び考え抜いた国作りの方針が、新しい国旗と国歌に込められています。
 さて、新約を見ると、イエスキリストの十字架の血だけが和解の道を拓くことが示されます。ペトロは教会を迫害する人々にこう言いました。「兄弟たち、あんなことをしたのはあなたたちが無知だったからです。指導者も同様です。私には分かっています。神はすべての預言者の口を通してキリストの苦しみを予告し、十字架によって実現されました。キリストを十字架につけて殺してしまった自分の罪が、神さまに忘れていただけるように、考え方を180度ひっくり返して神に立ち返りなさい。主のもとから慰めの時が訪れ、平和と和解の主があなたがたの心にも来て下さるのです」
 ペトロは直接キリストを十字架につけて殺した人々に訴えましたが、私たちにも、神のご計画や思いに対する無知と反抗の心が依然としてあります。日常の出来事としては小さな罪かも知れませんが、小さな火種も大きな火事を引き起こします。もし「主よ、この過ち、無知を赦して新しい霊を注いで下さい」と小さな悔い改めの心で毎朝祈るなら、その日一日、平和が訪れ、それが持続していきます。毎朝が大切です。時間がないときも1分あれば祈れます。簡単なことを毎日実行する人は変わるに違いありません。たいていはこの簡単な事が三日坊主になってしまいますが、そうならないように互いに祈り合い、励まし合って今週を生きていきましょう。
祈ります。
主よ、無知から生じる罪を赦して下さりありがとうございます。けれども私たちは愚かにも罪を繰り返してしまいます。どうしようもない私たちを愛して、わが子として迎えて下さることを信じます。あなたの子の一人としてイエスキリストの言葉を聴いて生きていきます。毎日毎日あなたの思いを学び、祈れるように導いて下さい。自分を愛するように私の隣人を大切にします。その隣人が拡がっていきますように祝福して下さい。主イエスキリストの名によって祈ります。アーメン
下記画像はウィキペディアより

2020.7.19 証人

「わたしたちはこの事の証人です」と、ペトロははっきり宣言しました。今朝のメッセージは「証人」です。別の言い方をすれば「目撃者」です。
 教会ではバプテスマに立ち会う人、また結婚の仲人を証人と言います。私たちの「証人」になって下さったご夫婦とは今でも親しく付き合いが続き、折々に良くして下さり、互いの子どもたちの成長を喜び合ってきました。見守られ、励まされ、決断の時の相談相手を、時には厳しい指導もありました。証人を依頼されることは嬉しい面もありますが、辛抱強く愛情がなければ出来ることではありません。
「証人」は神さまの前での証言者であり、人間に対する誠実さが求められる厳しい役割でもあるのです。バプテスマや結婚の「証人」本人が神さまを信じ、神に支えられていなければ、何の助けにもなれない存在になってしまいます。神の前でなされた約束や契約の「証人」は役割を知らずには責任を果たすことができないのです。教会が世俗的であったり信仰者としての弱さが露わになるとしたら原因はここです。
 一般社会でも「証人」という言い方があります。事故や事件を目撃した人、あるいは当事者の生活や背景をよく知っている人を指します。または「時代の証人」という場合、戦争や大災害で生き残った人が、どんなにひどい状況を生き延びたか、体験したかを書き残したり、若い世代に語ったり人々のことです。
 ところで「証人」とは裁判用語です。私はある人の証人調書を書いて減刑を嘆願したり、あるイラン人が巻き込まれた事件で無罪を信じて傍聴したことがあります。その青年は強盗事件の被告でした。検察官の証人への質問はひどいものでした。証人が犯人が目出し帽をかぶっていたと言っているのに、彼を指して「この人ですね」と断定的に言い、証人も「間違いありません」と応じたのです。二人は被告が外国人だから悪いことをするに違いないという先入観で公平さを失っています。国選弁護人にも失望しました。突くべき所を突かず、何の反論もせず結審しました。面会に行った時に分かったのですが、何と、弁護士は早く自白した方が刑が軽くなるとアドバイスしていたのです。これを真に受けて、やってもいないことを認めてしまい、青年は有罪になり、日本人に失望しながら強制送還されてしまいました。
 聖書に入ります。午後3時の祈りの時、「美しの門」の前に運ばれてきた男が通りがかりのペトロとヨハネに物乞いをしました。二人は立ち止まり、男をじっと見て「金銀はない。しかしイエスの名を持っている。この名によって立ち上がり歩きなさい」と言いました。ペトロが何を言っているのか最初理解できなかったと思います。ところが、体に力が流れ込んできた感じがして立ち上がれたのです。男は驚きながらいろいろ試してみました。歩いたり飛び跳ねたり、自分の身に起こった奇跡を喜んで、神を褒めたたえながら二人と一緒に神殿に入っていきました。
 この奇跡の男を一目見ようと、大勢の人がソロモンの回廊に押しかけてきました。群衆は二人に魔術的な力があると思ったからです。ペトロは群衆をにらむようにして「なぜ驚くのだ。なぜ私たちを見るのだ。」と語り始めました。
 ペトロはペンテコステの時と同じように聖霊に満たされていました。16節に「わたしはこのことの証人です」と言い切っています。もしかしたらそうだったかもしれない、というあやふやな言葉ではありません。その目で確かに見た人だけが言える証言です。この事とは、イエスが神の僕であり命の源であること。そのイエスを殺してしまったこと。とりわけピラトが無罪だと言ったにもかかわらず難癖をつけて脅し、人殺しのバラバを釈放させイエスを十字架につけたことです。
 ところが神はイエスを死者の中から復活させ、そのイエスが現に今、生きていて自分はただ「イエスの名で立ち上がれ」と言っただけで「イエスの名」がこの人を完全に癒やした目撃者なのであり「わたしはこのことの証人」と言い切りました。この証言はペトロがイエスの仲間であることを白状しているのですから、まかり間違えば当局に捕まえる口実を与えているようなものです。「証人」という言葉は、やがて「殉教者」を意味するようになりました。教会が成長する過程でペトロのように大胆に「証言」したステファノは、モーセと神殿を汚したと決めつけられて、大きな石を投げつけられて殺されてしまいました。
 さて、ペトロは「イスラエルの人たち」と呼びかけています。イスラエルとは「神とボクシングする人、とか神は闘う」という意味があり、これは創世記の32章にあるヤコブの旅の途上のエピソードで、天使らしき者がヤコブに戦いを挑んできて一晩中格闘してヤコブが勝ったのですが、天使は「これからあなたはイスラエルと呼ばれる。お前は神と闘って勝ったからだ」と言い残して去って行きました。それでヤコブの子孫はイスラエルを名乗るようになったのです。
 ペトロは尊敬の思いを込めて「イスラエル人の兄弟よ」と呼びかけ、神をよく知っているあなた方だからこそ言うのです、と語りかけています。あなた方が驚いているのは、私たちの信心や魔術ではなく、アブラハム・イサク・ヤコブの神が、その僕イエスに栄光を与えて下さった「しるし」なのだと。
 この神の呼び方は伝統的なものですが、イエスさまは「神はアブラハムの時も、イサクの時も、ヤコブの時も、今も生きていて信じて従う人と共にいて下さり、物事を成就する力そのものだ」と仰いました。神殿に閉じ込められ、規則やしきたりで呼び出されたり礼拝されたりする死んだ神ではないのです。
 つぎに「僕イエス」という言葉です。イエスが誰であるのかに幾つかの表現があります。「神の独り子」「主」「キリスト」「モーセのような預言者」「ナザレの人」などですが、「僕」つまり奴隷という言い方はイザヤ書に頻繁に出て来ます。
 これはキリスト教会の初期のイエス理解です。イエスが十字架に自ら架かったのは、神の奴隷として徹底的に神に従ったからで、僕として受けた侮辱や不当な扱いを通して、神は人間がどれだけ偽りや怒りに支配されているか、死の呪いに縛られているか、そこから救い出せるのがイエスの復活の希望であるという福音です。
 今も生きて働くイエスの名と力が目の前の男の人の死んだ体を生き返らせたのだ、足だけが丈夫になったのではなく人間全体が新しく生まれ変わったのだとペトロは言っているのです。
 このように死んだ人をも生き返らせる「命の源」であるイエスをあなたがたは、あらゆる不当な方法で殺してしまったと群衆を責めながらも、アブラハム・イサク・ヤコブの神がイエスを復活させられたように、信じて従う人にもそのようにして下さるのだと、キリストの救いに招いています。
 私たちは使徒信条を空で言うことが出来ますが、その内容をどこまで力ある証言としてアーメンと言えるでしょうか。「主はポンテオピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府に降り、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の神の右に座したまえり」と告白します。時空を超えて私たちはイエスを拒んだ一人でありながら、死人の世界にまで降って行かれたイエスによって新しい人にされたのだと告白しているのです。
 これを意味もなく暗記している筈はないのです。これからは一言一言をイエスの名に人間を癒やし神の子とする力があると理解し、心から信じて告白していきましょう。その時、癒やされ強くされた男の人のように、喜び躍って神を賛美し、礼拝する者とされるのです。
 最後に、神は約束を破ったアダムとエバを楽園を追い出されました。その上、きらめく剣の炎で「命の木」を囲ってしまわれました。けれども、神は動物の毛皮で造った着物を与えたのです。毛皮は動物の死によって得られますから、これをパウロは、イエスキリストの死によって命を着ると表現しました。
 神は、どこまでも私たちを愛して下さいます。神はイエスを拒む人々をも招いておられます。「あなたの敵を愛しなさい」とイエスは十字架の上で証しされました。私たちはこのように、どこまでも神に大切にされている存在です。お互いにその様にして生活していきましょう。
祈ります。
私たちが敵であった時でさえ、憐れみをもって生かして下さり、イエスを信じて歩み出した人を、どんなに愚かであっても見放さずに最後まで愛して下さいます。その愛に応えて今週も生活していきます。あなたの愛の証言者として。
主イエスキリストの名によって祈ります。アーメン

2020.7.12 苦しみを祝福にかえる名前

今日はまず、ある人の自己紹介を朗読します。「僕は子どもの頃から地図を見たり、望遠鏡や顕微鏡を覗いたり、遺跡の勉強をしたりするのが大好きで、そういうことに夢中になっていましたが、そんな僕も成長するに従っていろいろ悩みや苦しみなどを考える年頃になってきたとき、いったい僕はどうしていったらよいのか、これから先の人生を、青春時代を生き甲斐のある生活を過ごしてゆくことが出来るだろうかと考えるようになったのでした。そんな僕の17歳の頃、ある日ラジオでキリスト教の放送がありましたので、聞いていたところ宣教師のお話の中で「イエスさまは誰でも皆さんを救って下さいます。いつでもお友達になって下さいます」と言われたことを聞いて、そうだ僕はイエスさまを信仰して生きてゆこうと心に決めたのです。それから18歳の終わり頃、父と母に「教会へ行ってみたい」と言ったら「いいよ」と言ってくれ、母が小倉先生にお話してくれたところ、先生は快く「いらっしゃい」と言って下さったので、僕はお友達と生まれて初めて教会へ行ってみました。教会の礼拝は、何となく厳かでした。また牧師先生のお話の意味もよくわからなかったけれども、僕の心はなんだか明るくなったような感じがしました。それから僕は少しでも分かりたいと思い、聖書を父に読んでもらったり教会へ行って牧師先生のお話を聞いているうちに、今では少しずつおぼろげながら僕なりにイエスさまの教えが分かってきたように思います。」
 気づかれた人もいるでしょう。この人は6年前、60歳を目前に亡くなった松本教会のTMさんです。これは21歳の時「やまびこ」に寄せた手記の一部です。
 TMさんは仮死状態で生まれたため麻痺の障害を負いました。治癒を願ってご両親はあらゆる手立てを尽くし、TMさんは作ってもらった歩行器で動きまわったり地球儀を買ってもらいそれを見るの大好きでした。しかし障害が重く、就学免除の扱いで学校に通うことが出来なかった悔しさはどれ程だったか知れません。けれどもお母さんに新聞を読んでもらい社会のことを知り文字を覚えました。こうして地図や地球儀、望遠鏡や遺跡に強い関心が生まれます。教会に通い小倉牧師やEYさんなど多くの人に囲まれて過ごしました。その頃さまざまな障害ある人が集まり互いに知り合い、また食事をしました。今で言うデイケアのはしりです。
 私がTMさんを知ったのは23年前。41歳の時です。初めて会った時の笑顔は忘れられません。一生懸命語りかけてくれ、一生懸命聞き取ろうとしましたが理解できませんでした。しかし心から歓迎する気持ちが伝わってきました。亡くなった時、驚きと悲しみで動揺しました。私と同い年だったからです。18年の交わりを通して沢山の宝をもらいました。人生への積極性、重い障害だからと諦めず、知りたい、聴きたい、音楽会へ行きたい、感じたことや考えたことを書いて伝えたいという思いをパソコンに向かって途方もない時間をかけてメールを書かれました。重い脳性麻痺のため発音はとても聞き取りにくいのですが、1文字1文字の入力をする集中力はすごいものでした。MTさんの人生を逞しくしたのは、イエスさまを知った事、イエスの名です。そこへ行き着けたのはご両親、妹さんの愛です。教会の交わりの中に居続けたことです。でも人の手を借りなければ生活できないので、遠慮したり我が儘だ思われて本当にやりたいことを抑えなければならなかった悔しさや孤独や苦しみもたくさん味わったと思います。「イエスさまは誰でも救って下さる。いつでも友達になって下さる」という若いときに聞いた宣教師の言葉は、MTさんの信仰と生活を支える土台だったに違いありません。
 さて聖書に入ります。「美しの門」の傍らで物乞いをしていた男が「イエスキリストの名によって立ち上がり歩きなさい」の言葉によって、生まれて初めて自分の足で立ち、躍り上がって新しい生活に入りました。これを見た人々はあっけにとられた、とあります。多くの人が奇跡の男を見ようとペトロの周りに集まりました。しかし反対に「こんな事が神殿の前で起こされてはたまったものではない」と排除する人々もいました。イエスの名が起こした驚くべき変化、一人の男の生まれ変わりを通して「あなたならどうする」と聖書は問いかけています。
 「神の国は近づいた」とイエスの呼びかけは今も響いています。私たちはともすると信仰が観念にとどまったり教会生活がつまらなく感じられて、心からの喜びや生活の力になっていない場合もあります。信仰者という自覚と生活者という現実が切り離されているなら、そこに感謝と喜びは生まれてこないのです。
 「イエスキリストの名によって立て、歩け」とは、私自身のために十字架について下さったイエスをリアルな方として感じて頼ることです。聖書の言葉は実行してみないと本当かどうか分かりません。砂の上に家を建てた人の喩えのように、御言葉によって生きているかどうかは問題が起こると明らかになります。頼りにしてきたことが消えてなくなったり、家族や親友に誤解されたり、正当に評価されない悔しい状態が続くこともあります。しかし、そういう時、たった一人に感じる時にこそ、イエスだけが私の理解者、私の慰め、私の力の源として本当に分かるのです。
 ところで、神との約束を破った男と女は、祝福が満ちあふれたエデンの園から追い出されてしまいました。追い出された世界は蛇のような敵がうろついています。女には産みの苦しみがあり、男は女を抑圧し、男も他人に支配され、もはや対等で真実な関係はありません。渇いた土地を汗して耕さなければならず、収穫の多くを他人が横取りするむなしさもあります。祝福が呪いに変わった世界です。
 しかし、旧約の世界に福音に通じる小道が拓かれています。神は蛇に向かって言いました。「わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」謎めいた言葉です。初代の教会は、彼とはイエスキリストだと悟りました。サタンの支配にイエスが戦いを挑む。サタンは全力でイエスに噛みつき、ついには殺してしまう。イエスは殺されますが神によって復活したイエスはサタンの牙である「死」を滅ぼし、神との関係に立ち返る「永遠のいのち」の希望を下さったのです。
 おわりに、本日は教団の定めた「部落解放祈りの日です」週報に記しましたが、日本固有の部落差別という現実を教会の祈りの課題としようという趣旨で制定されました。しかし部落差別とは何であるか分からない時代です。解消したのではなく見えないようにされ、なっている、見ないようにしているから分からないのです。
 今アメリカで黒人差別が続けられてきた現実に激しい抗議の声が挙がっています。今もアメリカに黒人差別があることは日本人でも知っています。もっと言えば世界中には民族や宗教の違いをことさらに強調して対立を作り出し利益にする人々がいます。しかし黒人差別を外国の問題と考えるように、部落差別は昔のこと、自分には関係ないと背を向けてしまうので、その見えない鎖に私たちが縛られていることに気がつかないのです。難しい問題ではありますが「部落解放」を祈るとは何か今は分からなくても忘れないようにしましょう。人生において「そうか、このことだったのか」と直面したとき、私と隣人を隔てている壁の存在が分かり、そこから本当に具体的で個人的な祈りに、行動につながっていくと信じています。
 さて、私たちは神さまから「産めよ増えよ、地に満ちよ」と祝福された被造物として命を授かっています。祝福にふさわしい生き方を求め、そこに向かって生活することを神は望んでいらっしゃいます。
 「イエスの名によって立ちなさい」と聖書に書いてあります。「立ちなさい」の言葉には「復活する」という意味があります。昔のことではなく今私たち一人一人への招きです。招きに応える心と行動は、毎日、毎朝、毎週主日ごとに御言葉を聴き続けることによって必ず与えられます。子どものように、今日出会う人、今日出会う変化に御心が隠れていることをわくわくしながら探していきたいと心から願うのです。
 祈ります。
恵みの神さま、いつの間にか自分の居所と決めて座り込んでいるところに、ペトロを通して訪ねて下さってありがとうございます。あなたの名前を信じて立ち上がります。手をさしのべて下さい。今、この時から私たちの心を驚きと喜びで満たして下さい。私たちに起こる変化がイエスキリストへの信仰となりますように。
主イエスキリストの名によって祈ります。アーメン

2020.7.5 神を畏れ、人には親切

先週は私たちの伝道所の創立記念日でした。今朝は松本教会の創立記念日です。
 ペンテコステの日、3千人もの人々がバプテスマを受けたとあります。この人数を信じられますか。またイエスさまのパンの奇跡では5つのパンと2匹の干し魚で5千人以上の人々が満腹になったとありますがどうでしょうか。
 私の若い頃の経験ですが、1990年の夏に年配のクリスチャン20人程に混じって中国東北部の教会を訪ねる旅をしたのですが、どの教会でも熱烈歓迎でした。文化大革命というめちゃくちゃな政治運動が失敗に終わって10年ほどした頃で、少しづつ言論や宗教の自由が回復してきた時期でした。どこへ行くにもガイドという名目で監視が付きましたが、外国人の旅行が許可されるようになっていました。
 今の若い中国人の多くは文化大革命も天安門事件も決して教えられることはありません。全体主義の国では支配者に都合の悪い記憶は消し去られるからです。その体験を語り継ぐことも、その失敗を国民全体で議論することも御法度です。だから今後の香港が30年前の悪夢のようにならなければと祈るばかりです。
 文化大革命が終わると、中国では放置されたり倉庫になっていた日本人が建てた古い会堂が改修され、新たに大きな教会堂も建てられました。訪ねたハルピンの教会は800人は座れると思われましたが、その日曜日通路も庭も人々で一杯で、おそらく2000人以上だったと思います。笑顔と熱気が溢れていました。
 旅の目的は2つでした。一つは戦前の教会の過ちをお詫びするためです。もう一つは、その証として日本で印刷した中国語の聖書を贈ることでした。聖書や讃美歌が極度に不足していると聞いていたからです。喜んで受け取って頂けました。
 こういう経験をすると、初代教会の躍動は決して大げさではないと信じられます。神の言葉は一人一人に語られるだけでなく、秩序が崩れ去った社会で唯一信じられることが教会で起こっているとなれば、人々はむさぼるように御言葉を求め、餓死寸前の人がわずかな食べ物を手に入れたときの必死さと同じでしょう。
 さて、42節から47節は、ペンテコステから数週間で瞬く間にクリスチャン共同体が成立したかのように読めますが、そうではなく、使徒言行録の結論として、エルサレムに生まれた信仰共同体が急速に拡大してく課程の、成長だけでなく対立やゆがみ、反対勢力からの弾圧にめげない姿、さらに対立していた人々もが福音を受け入れて群れに加わるという奇跡も含まれています。この数行には数年間の出来事が要約されていると思います。そのように読むと著者の意図がはっきりします。
 そこで、今日は3000人もの群れになった人々の躍動を見ることにします。規模や背景は違っても松本教会や筑摩野伝道所のスタートと似た部分があります。
 第一に、会堂はまだありませんでした。クリスチャンも最初はユダヤ教徒と同じように毎日早朝に神殿で祈りの時を守りました。その後で回廊などでペトロやヨハネからイエスの話を聞いたのです。初期のクリスチャンは都市の住民が中心でした。日の出から畑に行く人はわずかで、一日3回の祈りの時間には神殿で祈っていたのです。
 そして夕方になると家で食事をしました。まだ普段の夕食と聖餐式の区別はありません。そのことを、「彼らは使徒の教え、相互の交わり、パンを割くこと、祈ることに熱心だった」とルカは書いています。さらに身内だけでなく信仰の家族として血縁を超えて食事をしたり助け合ったりするのが当たり前になります。
「すべての人に恐れが生じた」ここが今日の一番大事なところです。
 信仰の交わりに入ったばかりの初々しいクリスチャンの一番重要な特質は、神に対する恐れです。ここで「恐れ」と言うのは「敬い畏れること」と「怖いと思う」と同じ単語が使われています。
 クリスチャンが実感した神への畏れは「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」というイエスの教えの真実から生じたと思います。3000人の中にはけしからん者もいたはずです。怠け者、ずるい人もいたに違いありません。しかし、福音を学び生活をしていくうちに人間が変わってきたのです。また弾圧され絶体絶命の時に助けが起こることを経験しました。
 逆に5章の記事のように、人の目をごまかせても神の前には偽善は通じず、何もそこまでという厳粛な裁きがなされた時、皆が震え上がりました。
 人を区別なさらない神の憐れみ、どんなまじないでも治らなかった病が「イエスの名」で癒やされる驚きと喜び、どんなに憎まれても退かない勇気の出所が、神への畏れ、信頼だったと言えるのではないでしょうか。
 ところで、創世記3章には、人が神の絶対的な禁止事項を破るという事件が出てきます。いわゆる「原罪」の出所です。先週少し触れました。「決して食べてはいけない。必ず死ぬから」としての神の命令を、蛇に誘惑されて、まず女(イシャー)が実を食べます。女は男(イーシュ)にも与えたので二人とも食べてしまいます。そして二人の目は開かれ、裸である知識を得、イチジクの葉で腰を覆います。
 神は「食べると必ず死ぬ」と警告しましたが二人は息絶えませんでした。3章に限って考えると「死ぬ」とは「神を避け、自分を隠し偽るようになる」ことではないだろうか。
 互いに腰を隠したのは、性と関係があるにせよ、ここでは自分の姿をありのままに受け入れられない自己否定の象徴だと思います。
 それに続く物語では神が呼びかけたとき「恐ろしくなり隠れた」のです。「誰が裸であると告げたのか」の問いには答えず「食べるなと命じた木からとったのか」には「あなたが私と共にいるようにされた女が、与えたから」と責任転嫁します。同じように女も「蛇がだましたから」と責任転嫁の連鎖です。
「神を畏れる」エデンの二人は「神から隠れ神を恐れる」姿に変わり果てました。それは「原罪」の原因ではなくて、自由をはき違えるとどうなるか、その人間をどこまでも愛そうとする神の動機、どんな人間も赦して受け入れ、そのために裏切られ傷つく愛の性質を語っているのです。
 最後に松本教会の最初に目を向けましょう。百年誌に「松代の長沢弥左衛門と伝えられる人が横浜で福音を知り、城下町松本に来て聖書販売の傍ら伝道を始めたのが1876年7月。求道者が起こりコーレル来松」とあります。
 松代とは佐久間象山の影響でしょうが、文明開化の横浜に出た青年が宣教師に出会い、新しい知識、聖書の魅力を知って、松本で聖書販売を始めました。維新からまだ8年、耶蘇禁止の高札がやっと廃止された年に聖書を売り歩く勇気には驚きます。その年までに日本語になっていた聖書は「ルカ:路加伝」と「ローマ:羅馬書」の分冊だけで、あとは漢語聖書なので読むには相当の教養が必要です。店先に並べても売れはしません。彼は訪ね歩き、説得したのでしょう。その熱心は聖書を手に入れ学びたい人を発見していきます。
 武士社会が崩壊し不安と期待が入り交じった時代でした。フルベッキ宣教師は「横浜の教会は、信州人の間に著しい宗教上の覚醒が起こっているという報告を初めて受けた。・・それには熱心な訪問の要請が伴っていた。それらの報告はとくにコレル氏宛てのものであって、同氏の指導のもとで聖書販売人がその地方を旅行したのであった。そこで・・コレル氏はその地方を訪ねた。・・松本やその他訪問した所で、適切な教師のもとに、宗教教育のための幾つかのクラスを作ることに成功した。・・(日本プロテスタント伝道史)」と報告しています。
 一人の救いから松本平に蒔かれた種が成長し、何度も多難な時代を乗り越え、この時代という畑に福音の種が蒔かれ続けています。私たちも福音のエネルギーを受け継いでいます。「聖霊を受けよ」を信じた人々が活き活きと生きたように、聖霊が注がれていると信じる教会は、エネルギーを受けて前に進むのです。
 祈ります。
 私たちを土の塵から造られた神さま。私たちに息を吹きかけて生きる者にして下さったことに感謝します。私たちの教会をこの地に必要とお考えで生み出し、今日まで恵みで育てて下さったことを心から感謝します。
 これからも御言葉に従い、御言葉を宣べ伝え、祈りの家、人々の拠り所として発展していけるように清めて下さい。
 私たちはあなたを愛し畏れ、人々を自分のように大切にします。どうか御言葉と聖霊によって導き励まして下さい。主の名によって祈ります。アーメン

2020.6.28 教会創立記念日「正しい関係に返ること」

私たちは6月第4日曜日を教会創立記念日としています。今年で29周年です。
 教会の創立記念日も人の誕生日のように、この土地、この家族の中で命を授かり、恵みによって生かされてきたことに感謝し集い祝います。自分の名前に託された願いを親から聞くように先人に聴き、迷ったり立ち止まったりしているときには受け止めてもらい、嬉しいときには子どものように喜び、年老いて弱ったときにも主を見上げて新しい力を受け、若い世代を祝福して信仰の遺産を残していくのです。
 私たちの最初の礼拝は、1991年4月7日に守られて24名でした。詳しい記録はありませんが、内訳は12人の会員と伝道師、11名のゲスト(松本教会からの応援等)です。それから29年、今朝、1526回目の公同礼拝をささげています。
 その時の12人の会員としてAさんとBさんがおられますので、礼拝後に話を聞かせていただけたらと思いますが、どうでしょうか。
 記憶を語り継ぎ記録を残した人々によって聖書は私たちに受け渡されました。聖書には神のなさった事への畏れ、驚き、喜びが活き活きと描かれる一方で、神の厳しい裁きも記されています。神の裁きは愛する人間を決して見捨てないしるしです。
 さて筑摩野教会の物語は松本教会が創立90年を間近にした1960年代に始まります。
 当時、松本教会は市役所拡張のために移転することになり、松本市は代替地を提供しさらに差額を教会に支払いました。その額は新会堂を建てるのに充分でした。それで苦労なしに会堂建築へ向かうのですが、計画を巡って会員の間で意見の違いや感情的な対立が起こってきました。ある人たちは以前に劣らない広さと設備を備えた立派な会堂にすべきだと言い、ある人は松本市南部はこれから人口が増える地域だから、あそこに伝道の拠点を作るため資金と力を注ぐべきだと主張し、それらの意見は対立し、ついに数名が教会を去る事態になりました。
 三和義一牧師は痛恨の念を込めて書いておられます。「我々はみんな教会のためによかれと願いつつ、意見をかわし事を進めてきた。誰もただ自分の思い通りにしようとした者はいなかった筈である。しかし実際は長老会の提案通り計画が進められるようになった結果、反対した人々の中から数名の離脱者が出るようになった。・・・我々はこのことについて、他者を責めるのではなく、神の前に恐れをもって反省しなければならない。ただ福音に共に与ることに於いてつくられる教会の交わりが、人間的なものによって破られたことについては、何よりも先ず、私たちの信仰と高慢な罪が厳しく問われなければならない」と。
 こうして1969年に松本教会は新会堂に移転したのですが、資金の一部を南部伝道のために残し、現在の青い鳥幼稚園の一部である150坪を購入しました。しかし伝道を直接担える信徒が近くにいなかったので、計画は停滞してしまいます。
 三和牧師の後任に若い小倉和三郎牧師を迎えて、教会創立百周年が近くなると、「松本市南部に教団の教会を」という祈りが教会に満ちるようになりました。それに呼応するように、1976年に北原町に家を建てた信徒宅で家庭集会が始まり、近くに住む信徒の子どもたちを中心に北原町公民館で子ども会が始まり、松本教会の婦人会として「南部聖書を読む会」、家庭集会などが13年間続けられました。
 南部伝道が具体的になってきた1978年の教会報「やまびこ」には
「10年後に北原町に南松本教会を設立、30年後には50人の信徒で礼拝」
「南部と言っても地域は広く、芳川、寿、神林、笹賀、中山等、南部に住む何万という人々に御言葉を伝える計画が達成できるよう、そしてその活動を通じて自分自身の信仰を強くすることが出来るよう、希望と決意を新たにする」
「この会堂建築によって与えられる目に見える約束は何もないかも知れないが、この稔りのために心を尽くしていくことが私にとって、神の国を信じ、神に召されるその時まで、この地上で主の証人として力強く生きていくという、信仰の原点にもう一度立ち返る機会になるのではないかと思っている」と思いがつづられています。
 こうして1991年に神学校を卒業したばかりの兵藤辰也伝道師を迎えて新しい教会が生まれたのです。
 教会は仲良しが意気投合したり、有力者が動いて建つのではありません。むしろ弱さを抱えた人、容易でない問題を抱えた人々が神に集められて建つのです。個人的には耐えられないような苦しみや悩みの真っ最中に、教会設立の責任を担うことになったからこそ、危機を通り抜けることが出来た人もいたと思います。
 このようにして設立した松本筑摩野伝道所は松本教会だけでなく、一緒に祈り苦労して今は大変高齢になられた信徒や、県外に移られた信仰の友に支えられ、分区教区や全国の教会の祈りと交わり、地域の人々やキリスト教保育の幼稚園の関係者とのつながりの中で今日までの歩みがあるのです。
 ところで名称の「松本筑摩野」は、第1に「筑摩野中学校」の隣に建ち、それが自然であったこと、第2に筑摩野は安曇野と同じように生活圏の古い名称で地域に開かれた教会にふさわしいこと、第3に南部伝道の稔りとして松本南がなじみ深く、筑摩野に松本を冠して松本筑摩野になりました。
 また、教団では信徒が20名以上になるまでは伝道所です。一般に分かりにくい呼び方かも知れませんが、伝道する群れやMission stationという意味で伝道所という名称は個人的には大好きです。
 終わりに、これからの歩みも御言葉と聖霊の導きに素直でありたいという思いで神の出来事を聞きたいと思います。
 ペンテコステの朝、ペトロの説教で自分たちの罪に心を刺された人々は「兄弟たち、わたしたちはどうすればよいのか」と不安そうに訴えます。ペトロは率直に彼らに迫りました。「悔い改めなさい」と。ここを本田哲朗神父の翻訳で読んでみます。
「低みに立って見直し、一人一人皆、キリストであるイエスご自身に結びついて、沈めの式を受けなさい。そうすれば道を踏み外したことは赦され、贈り物として聖霊を受けるのです。聖霊の約束はあなたたちに向けられたものであり、あなたたちの子どもにも、はるか遠くの人たちにも、神である主が呼びかける、すべての人に向けられているのです。」と。
 更に多くの事例をあげて神の愛を証言して「ゆがんだ社会から自由になりなさい」とみんなを励ましました。
 私たちは個人的にも、社会的にも「何かが間違っている」という感覚はあると思いますが、「では、私たちはどうすればよいのか」と考えたときに「私には何も出来ない」と思うかも知れません。
 しかし神はそういう人に向けて「私の言葉を聴きなさい。そうして聖霊を受けなさい。そうすればあなたも、あなたの家族も、将来の人々にも救いが訪れるのです」とやり直すチャンスと従う勇気を与えて下さいます。
 アダムとエバは生まれながらに備わった自由を正しく用いることが出来ませんでした。しかし、神を裏切ってしまって尚、神は新しい生き方を与えられました。それは苦労と苦しみの絶えない世界でしたが、その地上世界は神の憐れみに支えられ、永遠の命に向かう生き方を選ぶことができるのです。
 私たちは罪赦された罪人の集まりであり、教会がすべての民の祈りの家として、今日再び神の赦しの愛に立ち返って、教会の歩みを進めていきましょう。そこには必ず神さまの恵みと希望があるからです。
 祈ります。
 私たちを土の塵から造られた神さま。私たちに息を吹きかけて生きる者にして下さったことに感謝します。今朝教会が生まれて29年目を迎えました。これまでの豊かな恵みと励ましに感謝します。そして時に過ちを犯し気落ちしやすい私たちを、キリストの愛のゆえに正しく導いて下さい。
 私たちはあなたを愛して、人々を自分のように大切にします。どうか、そのように生きられるように御言葉と聖霊によって導き励まして下さい。
 主の名によって祈ります。アーメン

2020.6.21 スタン・バイ・ミー Stand by me

今日は父の日です。110年前のこと。再婚せずに6人兄弟を育ててくれた父親を偲んで27歳になった娘が牧師に記念礼拝を頼みました。「母の日があるように、愛してくれた父を記念したい」と。彼女の父は6月生まれでした。
 母の日も、父の日も、親を見送って改めて注がれた愛を思い出し、感謝がこみ上げてきて礼拝を献げようと思ったのではないでしょうか。
 それは母や父に宿った信仰が子どもに受け継がれ、楽しい思い出も苦しい思い出も親子で通った教会にあったという点で共通しています。
 残念なことに行事としては良く知られていますが、肝心の教会で親から子への信仰継承が少なくなっています。
 さて、今朝のメッセージの題名は、ある人にとっては懐かしい響きに、ある人には何だこりゃ、という印象を与えたと思います。
 実は、御言葉を黙想する中で突然思い浮かんできたソウルミュージックの曲名なのです。作詞作曲はベンジャミン・E・キングという黒人の歌手です。
 この曲は大ヒットし、ジョンレノンなど有名なミュージシャンがカバーしていますし、少年の成長過程を描いた映画の題名にもなりました。
 一見、恋人への愛の賛歌のような歌詞ですが、調べてみると、あるゴスペルグループのStand by me Fatherという歌詞に触発されてこの歌は生まれたのです。
 それは詩篇46篇で今朝交読したものです。マルチンルターはこれを信仰の拠り所としました。
「神が共にいてくださる。わたしを守る決して崩れない砦ようだ」という意味ですが、Stand by me これを訳せば「わたしのそばにいて下さい」ですが、主語を置き換えると「わたしの側に立ちなさい」と神が命じている意味になります。
 歌ではStand by meを何度もリフレインしていますが、わたしには聞く時の心境によってどちらの意味にも受け取れるのです。ベンジャミン・キングは音楽で財を築きましたが、少年たちを応援するStand by me foundationという財団を作って運営してきました。
 前置きが長くなりましたが、「人間は何に支えられて生きるか」というテーマをご一緒に考えたかったからなのです。
 創世記を読みます。主なる神は「アダムが独りでいるのは良いことではない。彼に差し向かう、ふさわしい助けを造ろう」と決断されました。
 彼を助けるふさわしい存在とは何、誰でしょうか。
 この頃は人間よりもペットに癒やされる、生き甲斐だという話を聞きます。20年も飼っていた犬が死んだとき家族を失ったように悲しみいとおしむ人もいます。ペットは愛情をもって飼えば素直に忠実に応えてくれるからなのでしょう。
 神ははじめに様々な動物をアダムの側に置きました。アダムはその一つ一つをじっくり観察して特性を理解し名前を付けました。名前を付けると言うことは、その対象に責任を持ち、同時に支配することを意味します。
 親や祖父母が生まれた赤ちゃんに名前を付けるとき、その子の誕生を喜び責任を負う気持ちを抱きます。「父と母を敬え」の意味が分かるように愛し、その愛に信頼して素直に従うように導き、そうして機が熟してきて、その子はいろいろな経験、考え方を知り、自分で判断できる能力を備え、責任を伴う自由を身につけます。その順番やタイミングはとても大切です。
 さて、動物たちはアダムに向き合い助けるものとして見つかったでしょうか。
 アダムに合う助けるものとは、対象として扱える物や動物ではなくて、心を通わせ、思いを交わし、時にはぶつかり合う霊的で人格的な存在でなければなりません。
 人間は相手を対象化し商品として、かつては奴隷として、今はその能力や見栄えを売ったり買ったりしています。これは人間性の損失です。
 アダムにふさわしい存在は深い眠りの中で、神によって形成され、目覚めたときに「出会い」ました。
 あばら骨の一部を抜き取り、その傷を肉でふさぎ、取り出したあばら骨で女を造り上げた。移植手術や臓器培養を思わせます。
 何千年も前の古代人にとって男と女の違いは何でしょう。体格、筋肉や脂肪のつきかたなど外見や機能の違いがあり、感じかたや行動様式、生殖や社会での役割などジェンダーの違いにきりがありません。当時の社会的な価値観や道徳が背景にある聖書は、男女や親子の関係で、差別的な表現がたくさんあります。
 さて、主なる神がイシャーをアダムの所に連れてきた、とあります。アダムが彼女を見つけたのではありません。「ついに、私の骨、肉といえるものだ」「これを女イシャーと呼ぼう。まさに男イシュからとられたものだから」とアダムは叫びました。切っても切れない「共同性」を「語呂合わせ」しています。
 こういう経過で男アダムは父母を離れて女イシャーと結ばれ、二人は一体となると表現されます。奇妙なことに最初の男と女なのに、父アブ母エイムが前提にあるし、アベルとカインの物語でも、町や社会が既にあります。しかし、その矛盾するような表現に、地上世界の本質とゆがみが見え隠れしています。
 次の言葉は意味深長です。人アダムと妻イシャーは二人とも裸だったが、恥ずかしがりはしなかった。エデンの園には最初喜びと信頼が溢れていましたが、2章の終わりになって、恥ずかしいという感覚が出てきます。これは3章で「食べてはいけない実」を食べた瞬間、抱いた否定的な感覚、感情です。喜びに満ちた二人のためのエデンの園に暗い影が忍び寄ってきます。
 今度は目を新約時代に移します。ペンテコステの日、ペトロは聖霊に満たされて熱い証しをしています。彼もユダヤ人です。巡礼で都に来ているユダヤ人と共通の土台であるダビデ王の話をして解き明かします。「ダビデ王を尊敬する皆さん。ダビデ王自身が預言していることを聞きなさい。神は独り子イエスにお命じになりました。私の右の座に着け。私がお前の敵を打ち倒し、お前は彼らを踏みつけるのだと。皆さんが殺したイエスを、神はあなた方の主人として、メシアである救い主とされたのです」と訴えました。
 これを聞いて人々は不安と恐怖に襲われ「とんでもない過ちを犯してしまった。私たちはどうすればいいのか」と助けを求める気持ちになっていきました。
 さて、私たちは神に造られ神に愛されていることは知っています。また、深い交わりとして夫婦があり、親子があり、教会の兄弟姉妹の関係があります。
 しかし、アダムとエバが陥ったように祝福に対して無頓着で神から離れるようなことがあります。親鳥が雛を翼の下にかくまうように集めてくれるのに逆らう私たちがいます。その時サタンは攻撃してきます。
 スタンバイミー、主よ、私たちの傍らにいて助けて下さい。
 スタンバイミー、神が呼びかけています。私の側に立ちなさい。
 インマヌエルの主は私たちと共にいらっしゃいます。聖霊の働きとして。
 祈ります。ペンテコステの守りの中で過ごしています。外にはコロナや困難な社会状況があります。内には信仰の弱さがあります。このような私たちですがあなたが共にいて下さるのを信じさせて下さい。今週どんな時も。イエスキリストの名によって アーメン

Stand by me Benjamin E King作詞作曲
 太字は詩篇46:2-3に触発された歌詞
When the night has come  And the land is dark
And the moon is the only light we’ll see
No I won’t be afraid, no I won’t be afraid
決して恐れない
Just as long as you stand, stand by me
If  the  sky  that  we  look  upon  should  tumble  and  fall
たとえ見上げる空が崩れて落ちようと
Or  the  mountains  should  crumble  to  the  sea
山が砕けて海の中に去ろうとも・・私は恐れない

2020.6.14 いのちの木、欲望の木

 6月第2日曜日は教会では「花の日」「子どもの日」です。例年なら餅つきとミニバザーをして楽しみます。そして子どもを真ん中に礼拝し、祝福を祈り、神が共にいて下さる喜びと一人一人に特別な使命があることを学びあう一日です。昔は子どもたちを連れて消防署や交番や病院に出かけ、一年間守って下さったことに感謝して花束を贈りました。
 150年前のアメリカで「子どもの日」は生まれました。西部開拓ラッシュと産業革命の大きなうねりが社会の価値観を大きく変え、物質的な豊かさを求め、家庭の団らんが消えました。教会は切実な思いをもって祈り、子どもの人格を大切にするよう訴え、家庭教育を思い出すように働きかけました。
 さて、エデンの園やアダムとイヴの物語は、失楽園というストーリーで日本でも広く知られていますが、人間とは何かという本質的な内容はほとんど知られていないように思います。
 人間は土塊で造られた人形ですが、神はその鼻からいのちの息を吹き入れて霊を授け、神と交われる生きた存在アダムが生まれた話です。
 そうして造られたアダムを、神はエデンの園に「置かれました」。
 エデンとは「楽しみ」「喜び」「平らな場所」を意味するそうです。神の人間への深い思いが表れています。「自分の子には良いものを与えるではないか」と言われたイエスの言葉を思い出します。
 そこには多様で豊富な食べ物がありました。乾燥地帯の古代人にとって実のなる木、種のある植物が生えている園は理想的でした。
 神は園の真ん中に「命の木」と「善悪の知識の木」を置かれました。
多くの役に立つ木々の間に、園の真ん中に「いのちの木」と「善悪を知る木」を生えさせました。これには特別な意味があるはずです。
 エデンは水と地下資源が豊かにある場所です。メソポタミアやエジプトを流れる4つの大河の流域、つまり古代文明が生まれた地域と関係があるようですが。それらとははっきり区別されています。
 神はアダムが生きる園をお与えになりました。住まわせとは、置いたと同じ言葉です。神が整えたいちばん良い土地をアダムに貸し与えて下さったのです。アダムが探し求めて手に入れ、気に入って住み着いたのではない前提を見落としてはいけません。
 「人がそこを耕し、守るようにされた」とあります。耕すとは、食料を得るためのあらゆる労力を指すと思われます。麦を栽培するとき畑に種を蒔き肥料を与え、羊を飼うとき牧草地を世話することです。配慮し仕えると同じ言葉、守るとは誠実に世話する事です。
 アダムは何でも自由に取ることができましたが、園の真ん中にある「あの木の実」だけは、食べると必ず死ぬ、危険な実でした。そして神と素直な関係にあった間は、気に留めることも無かったはずです。
 エデンの園のようすは、人が生まれ育つ環境と人格教育の原点が描かれているように思えます。
 赤ちゃんには乳房を吸う本能が備わっています。やがて乳から固形物へ食べられるものが拡がります。そうして何でも口に入れるようになります。外の世界を口から得る情報で確かめています。だから危険な物は幼子の近くに置かないようにします。親は子に良い物を喜んで与えます。手塩にかけて育てるというように、命には塩が欠かせません。その塩加減を塩梅良くと言います。子どもは素直に受け入れて育っていきますが、自我が育ってくると、自分の好みを主張するようになり、あれが欲しい、これを食べたい、あそこへ行きたいと要求は拡がっていきます。この時、親はどうするでしょうか。欲しいと言うままに与えるでしょうか。親の価値観が表れるときです。
 何を与え、何を与えないか。何をすぐに与え、何を待つように命じるでしょうか。その基準はどこにあるのでしょうか。
「決して食べてはいけないもの」とは、命と人生に関わるものです。
 アファンの森をご存じでしょうか。ニコルさんの名で知られた童顔の大男が、長野県と新潟県の県境にある黒姫高原の荒れ果てた土地に入って住み込み、地元の人と一緒に森の再生に取り組んで35年たちました。ウェールズ生まれで世界各地を冒険し、日本の自然に魅了され、ついに日本に帰化し、今年の4月に80歳で亡くなりました。
 アファンとは、ケルト語で「風の通る所」という意味だそうです。
 ニコルさんは複雑な家庭に生まれ、小学校では陰湿ないじめにあい、学校嫌いになりましたが、祖父の影響で生物、宗教、歴史、音楽を習い始め、狩猟を習い覚えました。中学である生物学の先生に出会ったことが彼の人生の方向を決めました。22歳までカナダ、アフリカなど世界各地を歩き回り、空手を習うために来日し、日本人と結婚し、ライフワークとして「アファンの森」に行き着いたのです。
 ニコルさんが来日した頃、国有林は荒れ放題になっていました。外国産の安い材木が大量に輸入され、国内の林業を追い詰め、林野庁は赤字を膨らませていきました。赤字を埋め合わせるために戦後の苦しいときにも手を付けなかった原生林の楢やブナの大木が大量に伐採されました。森は昔から生活と結びついて人間の手入れ、世話が必要ですが、欲しい木だけを奪い取り放置された山は保水力を失っていきます。
 美しくて豊かな恵みをもたらした森が人間の欲望と無責任のために荒れ放題になって行った頃、外国人のニコルさんが黒姫に入ってきて、森の世話を始めたのです。けれども彼だけでは今のようなアファンンの森は生まれませんでした。森の特性を知る人が必要でした。たった二人の入植者によって、森は再生し始めています。
 生活の真ん中に「いのちの木」と「善悪を知る木」が生えているような気がします。神が備えて下さったいのちの木は、人と人とが結びつくときに、相手の存在と人格を生かし、それによって自分も生きていくことが出来るようになる実をつけています。一方、善悪と知る実は他者より優位に立つ知識や力への憧れです。その実を食べた人間は、やがて他者を利用できるかできないかで判断し、支配して尊厳を奪い、いのちの絆を感じなくさせます。だから食べてはいけないのです。
 使徒言行録を読みます。「私はいつも主を目の前に見ていた。主が私の右におられるので、私は決して動揺しない。だから私の心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。あなたは、私の魂を陰府に捨て置かず、あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしておかれない。あなたは、命に至る道を私に示し、御前にいる私を喜びで満たして下さる」
 ダビデは、いつか神の子が人間の世界を訪れ、荒廃した世界を再生して下さることを神から示されたので、このように預言したのです。

 祈ります。
主よ、あなたはペンテコステによって私たちがつながることが出来る教会を作って下さり、聖霊の清さによって喜びと希望を知る生きた人間にして下さいました。あなたはイエスキリストを私たちの間に送って下さり、いのちの道を開いて下さいました。「わたしは道であり、真理であり、いのちである」と主は宣言されました。私たちが信じてその道を踏み歩くとき、キリストを踏みつけていることを知ります。十字架が罪の赦しであることを確かに感じます。どうぞ今週も、私たちの生活の中にいのちの木、道、真理を示して下さい。どうぞ、ここにいる子どもたちを生きた人間として育てて下さい。
 主の名によって祈ります。アーメン

2020.6.7 いのちの息を吸う

 「息が詰まる生活」が2ヶ月近く続きました。先週から社会生活が少しづつ戻ってきましたが、感染を怖れる雰囲気や自粛警察と揶揄される感情的なしこりが人々の間に漂っています。どこにでも行けて何でもできた半年前が夢だったように、今は気持ちも不自由です。
 面白いことに、ペンテコステ前の弟子たちもユダヤ人の迫害を怖れて外出を控えていました。祭司長たちはイエスがいなくなれば弟子グループは簡単に消えてしまうだろうと見積もっていました。
 ところが聖霊が降り、弟子たちを覆うと、彼らは人が変わったように活動的になったのです。
 その日突然、訳の分からない言葉で語り出しました。ギリシャ人は外国人をバルバロイと呼んで蔑みましたが、相手の発音が「バルバルとかバロバロ」としか聞こえなかったからでしょうか。
 しかし、この不思議な言葉を聞いた巡礼者たちははっと気がつきました。これは俺たちの故郷の言葉ではないか。ペルシャ、アフリカ、アラビア、トルコの言葉もあるぞと大騒ぎです。しかし一部の人々は「あいつらは酔っているだけさ」とばかにして言いました。
 ペトロは集まって来た人々に大声で説明しました。他の11人も同じ思いです。
「皆さん、是非知って頂きたいことがある。今は朝9時だから私たちは酔ってなどいません。そうではなく、先祖の預言者ヨエルが言っていたことが、私たちに起こったのです。」と。
 ペトロは思わず立ち上がり、人を怖れず神の言葉を語りました。。
「今こそ、ヨエルが言っていた終わりの時です。神は約束された霊をすべての人に注がれています。その霊、つまり聖霊が今日、本当に降ったので、私たちは神のなさった素晴らしいことを皆さんの故郷の言葉で語ることが出来たのです。この言葉を信じる人は、誰であろうと救われます。」
 そして、街の誰もが知っているイエスの十字架の死を引き合いに、イエスは神に復活させられて神の右の座につかれたこと、イエスが約束された「高いところからの力」である聖霊が自分たちに注がれたので、あなたがたは自分の目で見、耳で聞いたのだと説明したのです。
 ところで、ヨエル書3章を読むと、その後と書いてあります。何の後かというと、神を怖れない勝手な振る舞いを続けている人間を懲らしめるために地上はイナゴの大群で荒らされて食べ物がなくなり、宇宙でも異変が起き、太陽も月も暗くなり、星も光を失い、甚だ恐ろしい神の怒りの日が来るというのです。
 しかし神は「今こそ、心から私に立ち返って断食し、泣き悲しめ。形ばかりで衣を裂くのではなく、本気になって心を引き裂け」と憐れみを込めて命じました。
 もし、心を裂くように自分に絶望し、必死になって神を見上げるならが、神は前より豊かな世界を創り出し、イスラエルのうちに命の神がいることを知るようになる、そして、その後に、すべての人に神の霊が注がれると約束されていたのです。
 ペトロは、ヨエル書の「その後」を「終わりの時に」と言い換えました。うっかり間違えたのではなく、今こそ、その後なのだ。これまでと全く違う世界がすぐそこまで来ているのだ。つまり完成の時が近いという意味で「終わりの時」と言ったのです。
 終わりの時があるのだから、始まりの時があります。
 イスラエルの先祖は多くの悲劇と悲しみの歴史を歩んできました。繁栄と滅びを繰り返し経験した人々は、人間とは何か、世界とは何か、根本的なことを何度も何度も考えました。けれどもいくら考えても答えは出ません。
 その時、神の声を聞きました。「私が世界を造ったのだ。私がお前を造ったのだ」と。真実、真理は外から訪れます。
 創世記は語ります。すべての源である神は思いを尽くして世界を造られました。その最終作品が人間です。ご自分のイメージに似せて造られ、世界のすべてを治めるようにと責任と尊厳を備えて造りました。
 しかし同時に、はかない存在なのです。土の塵とは、砂粒ではなく、生きものの死骸の集まりです。だから、人間も死んだら土に帰るのは天地創造の定めだと、イスラエルの人々は神の声を聞きました。
 画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く、という東洋の言葉があります。
 昔、中国で絵の名人が寺の壁に竜の絵を描きました。最後に竜の瞳を書き入れたところ、竜は壁から抜け出して天に舞い上がっていったという故事です。画竜点睛を欠くとは、竜の瞳を書き入れなかったら未完成だということから、決定的な何かが足りないことのたとえです。
 創世記の人間とは何か、それは、土で造られた壊れやすい器に、神が息が吹き入れて「生きるもの、生きた魂」になったのです。
 この息は空気ではありません。息は同時に魂とか霊と同じ命の本質を指します。聖霊と言い換えてもいいと考えます。
 聖霊そのものは見えないしとらえがたいのですが「聖霊が働きかける」ことで変化が起こります。
 明らかに創世記を意識してパウロはこう言っています。「闇から光が輝き出でよ」と命じられた神は、私たちの心の内に輝いて、イエスキリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さいました。このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な神の力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかになるために。
 私たちは四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。私たちはいつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に表れるために、と。
 この息苦しい世界で、神の息、注がれた聖霊を胸一杯に吸い込んで、今週も、土の器として、神の息がかかった者として、父、子、聖霊の三位一体の神に生かされて生活しましょう。