2020.4.26 一人のために主が来られた

復活節第3主日を迎えました。
今朝は12弟子の一人、トマスに注目して御言葉を味わいましょう。
当時、ユダヤ人もアラム語をしゃべっていました。イエスの弟子に「トマ」という男がいました。アラム語で双子という意味です。ギリシャ人の友人からはディドモと呼ばれ、弟子仲間はトマスと呼びました。中近東では2つも3つも名前を持ち、使い分けていたのです。
 イースターの夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れ戸を閉めきって集まっていましたが、イエスが来て真ん中に立ち「平安あれ」と挨拶して手と脇腹を見せました。再び「平安あれ」とイエスは息を吹きかけました。これは、心が死んだも同然の弟子たちを再び立ち上がらせ、罪の赦しの福音を伝える使命を与える命令となりました。
 その日その時、トマスはそこにいませんでした。どうしていなかったのか、何の説明もありません。仲間が「俺たちはイエスを見たぞ」と嬉しそうに言うと、トマスは打ち消して「俺は絶対に信じない」と反発しました。仲間でありながら一番大切なことが共有できないほど孤独なことはありません。
 イエスの言葉が本当であることを何度も弟子たちは経験しました。しかし、経験したことに留まっていてはいけないことを示されます。
 弟子たちは3年近くイエスの言葉とわざを見てきました。そして、「あなたこそ生ける神の子キリストです」という告白さえしたのです。しかし、十字架は彼らの信仰を吹き飛ばしました。特にトマスはイエスに大きな期待をしたようで、先生が殺されてしまい、完全に目標を見失いました。
 生きる目標を失った人に必要なのは、薬でもカウンセリングでも楽しみでもありません。生きた言葉です。それは「神の息」です。
 さて、次の日曜日も部屋の戸はしっかり閉められていました。恐れが残っていたからです。今度はトマスも一緒にいました。そこへイエスが入ってきて真ん中に立ち「平安あれ」と祝福しました。
 イエスはトマスに向かって言います。「お前の指をここにあて、私の手をしっかり見なさい。お前の手を伸ばして私の脇腹に入れなさい。信じないままでなく、信じるようになりなさい」トマスは知りました。「わたしの主、わたしの神」トマスの信仰が生まれた瞬間です。
 前の週、仲間はイエスから息を吹きかけられていました。イエスはトマスのために、再び来られました。
 トマスは仲間に言ったように、イエスの傷跡に自分の指や手を入れてみたでしょうか。
 真理は突然、復活のイエスがこられて明らかになりました。イエスは一人の友を忘れられてはいなかったのです。悲しみと絶望に囚われていたトマスをイエスはご存じでした。
 一人のためにイエスはどこにでも現れます。一人のために尊い宝は使い尽くされます。イエスの友情と愛によって人は復活の真理の前に立てるのです。イエスを信じるを英語にすると I believe in Jesus です。つまり、イエスの中に入っていく、裏返すと信じたいが信じられない私が入ってくるのをイエスは拒まず歓迎されるという表現です。
 日本語で「誰々の息がかかった人」というの言葉がありますが、その日トマスは、イエスの息がかかった人、神の力に押し出される人に生まれ変わったのでした。
 人間世界は今、見えない敵に包まれて、これまでの社会の仕組みが危機にさらされています。
 新型コロナウィルスの猛威は収束せず、世界で300万人が感染し20万人が亡くなっています。その上、どこで誰から感染し、誰に感染させるか分からない程に、ウィルスは身近に迫っています。
 先週から礼拝堂に集まれないけれども、いろいろな手段で礼拝を守ろうとしてきました。今までのやり方ができない特別な時です。
 一方で危険と過労の中で医療活動を必死に続け、犠牲者も出ていることも知られています。それに比べて、礼拝は命の危険を冒してまですることだろうかという疑いが起こるのも分かります。集まるのを避けることが感染を拡げない手段だという科学的理由からです。
 しかし礼拝はいつの時代も危機の中で守られてきました。それは信仰者が互いに励ましあうだけでなく、現実を支配されている神の前にひざまずき、謙虚になって必死に助けを求め、一人一人が神に立ち返って生き直すようにとの神の招きであり、信仰による神への応答です。
 ゆとりのある人が心地よい時としてするのではありません。私たちが今守られているように、人々の魂の平安を祈り、社会のリーダーの働きのために祈り、人々が思いつきもしないところに希望があることを証しすること。それが教会の存在理由であり、神から命じられた特別な働きなのです。
 私たちは社会の一員として精一杯働き、皆と同じように協調します。しかし、一人一人が特別な存在です。安息日に主を礼拝し、私の神、私の主と呼びかけることができる幸いを生きていきましょう。

祈ります。
私たちの神、私の神である主イエスキリストに感謝します。養われ守られてきたことを。そして、これからもあなたが世界を愛し続けてくださることを。人間世界はぐらついていますが、古いものが過ぎ去り、新しい世界が開かれていることを信じて。主の名によってアーメン