2016.5.15 私たちの上に聖霊が降るとき

◆ (レビ記19:1-4、使徒言行録1:6-11)
 聖霊があなたたちに臨む時、あなた達は力を帯びて、エルサレムでユダヤとサマリアの全域で、更には地の果てまで私を証しする者となる(使1:7-8)
 今日はペンテコステの祝いの日です。祈る群れの一人一人に聖霊が注がれ聖霊は弟子を世界に押し出しました。そして時空を越えて私たちに福音が伝えられました。
 復活のイエスは40日の間、色々な場で弟子に現れて神の国について話されましたが、食事の席で「エルサレムを離れず、前に私から聞いた父の約束されたものを待ちなさい」と命じました。まもなく彼らが聖霊によるバプテスマを受けるからです。
 弟子たちは「王国の再建」はいつですかを尋ねます。イエスは「それがいつなのか、あなた方が知るべきでないし、知ることも出来ない」と答えます。弟子たちはダビデ王国の再建を思いましたが、イエスが打ち立てようとされた王国は、それとは性質が真逆なもので、ペンテコステを経験するまで理解できないものでした。
 主イエスの王国は「教会:エクレシア・ディアコニア」です。私たちが「我は教会を信ず」と告白する、聖霊の力によって立つ王国です。エクレシアは神に選び出された人々による礼拝共同体で、ディアコニアは信じる者が助け合う生活共同体です。教会は聖霊によって集められ、互いに愛し合い御国の到来を待ち望みながら、一人また一人と加えられていく神の家族です。
 さて「父がご自分の権威で定めた時や時期はあなた方の知るところではない」という教えは感謝なことです。「おまえの人生は何年のここまで」と知らされたら安心して暮らせません。
 必ず人生の終わりの時は来ます。それは厳然たる事実です。しかし、その時を知らないからこそ、許されている間に精一杯生きていけるのではないでしょうか。
 さらに「あなた方に聖霊が降ると、あなた方は力を受け・・・イエスの証人となる」という祝福の約束を信じるなら、人生の全てが聖霊の力の下にありイエスが共にいて下さるのでどんなことでもできる、と力がわきます。
 パウロは労苦を共にしてくれたフィリピの信者に「私は自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。私を強めて下さる方のお陰で、私には全てが可能なのです(4:11-)」と言い切ります。
 神に選ばれ「聖なる者になりなさい」と。聖霊によって私たちは聖なる器として用いられ、私たちによって教会は建てられるのです。喜んでその招きに応えましょう。