◆(列王記上8:54-61、使徒言行録13:4-12)
聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向けて船出し、サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げた。
「時は満ち、神の国はすぐそこに来ている。低みに立って見直し、福音に信頼して歩みを起こせ(本田哲郎訳マルコ1:15)。主イエスの宣言は留まらず世界に拡がっていきます。
約160年前、日本が鎖国を解くやいなや、欧米の宣教師たちが命がけでやってきて、祈りつつ本格的に伝道できる時に備えていました。聖霊の導きと人間の行動が一致するとき驚くべきことが起こります。
私たちの教会の前身の松本教会は、横浜でその時を待っていた宣教師に一人の商人が出会って聖書を持ち帰ったことで始まりました。
アンティキア教会に祈られて送り出された二人が、聖霊に導かれたのはバルナバの故郷キプロスでした。まずその地のユダヤ会堂から神の言葉を伝え始めました。それがその後の世界伝道につながります。彼らは、どこでもユダヤ人に語りかけました。
この島の総督はセルギウス・パウルスという博学な人でした。総督はバルナバたちの噂を聞いたのでしょうか、二人を官邸に招きます。総督の傍らにはバルイエスという人物がいました。実はバルイエスは「偽預言者」で「魔術師」でした。
偽者を見分けるのは容易ではありません。世間では偽ブランドと知りながら愛用している人が多数いますが、本物に比べて圧倒的に値段が安いから分かっているのです。
ところが、本当のニセモノは見分けがつかないほど本物らしいのです。総督は博学で宗教にも歴史や哲学にも通じていたのでしょう。バルイエスの話も知恵に満ち、筋が通っていて政治的助言としてこれまで貢献していたに違いありません。だから分からないのです。
ところが、みことばが官邸で語られると、バルイエス(エルマ)はみことばに異論を挟みます。呪われた人が救い主であるはずがないと。
パウロはバルイエスをじっと見つめて、「偽者、正義の敵、主のまっすぐな道を曲げる者、主の手がお前の上に下る」と宣言します。彼はたちまち目が見えなくなりうろたえました。(福音書のペトロ、使徒9章のサウロの体験と似ています)
その現場にいた人は皆どんなに驚いたことでしょう。みことばに圧倒された総督は信仰に入りました。
なぜバルイエスにこんなことが起こったのでしょうか。「主のまっすぐな道」に対抗したから、それはクリスチャンも知らずしてしているかも知れません。
ところで、ソロモン王は当世一大の賢者でしたが、政治的な必要から多くの正妻と側室を持ち、彼らの母国と通じていたために、晩年は神が何度も預言者をおくって諭したにもかかわらず、曲がった道を改めようとしませんでした。
「まっすぐな道」は聖霊が導いて下さる道です。時に理性で抵抗したくなるような、尻込みしてしまうような道へも。