2015.9/20 今日、生かされている

(イザヤ38:16-20、使徒言行録9:32-35)
 命ある者、命ある者のみが、今日の、わたしのようにあなたに感謝し、父は子に、あなたのまことを知らせるのです。(イザヤ38:19)
 何年も床から出られない生活は、若かろうと、年老いていようと残酷な現実です。アイネアは「中風で8年前から」とあるので、他人の手を借りなければ食べることも排泄もままならなかったに違いありません。8年前とは8歳の時からとも解釈できる表現です。
 巡回伝道中のペトロはリダという街道町でクリスチャンの群れの中に彼を見つけました。この時、誰も「治して欲しい」とは言っていませんが、ペトロはいきなり「アイネア、イエス・キリストが癒やして下さる。起きなさい」と声を掛けました。すると、彼は言葉通り、起き上がったのでした。
 「聖書は良いことが書いてあるが、奇跡の話は嘘っぽい」と言う人がいます。奇跡の話は難しい箇所です。素直に信じる人には生きる力になりますが、説教では説明でお茶を濁し、受け入れやすい話にすり替えてしまう誘惑があります。
 アイネアは何年も前から病床でイエスさまの噂、メッセージを伝え聞いていたに違いありません。私たちはもっと詳しくイエス・キリストの知識を持っているはずです。ところが、大きな夢、弱点やこだわりから開放されたいという思いがありながら、イエスの言葉や出来事は「知識」に留まり、なかなか現実になっていません。
 ペトロが「アイネアよ」と直接呼びかけたように、イエスさまの聖霊が「・・よ」と語りかけて下さる時(その音にならない語りかけを聴く準備は必要)聴き逃さないで「主よ、聴きます。従います」と真実に答えられるなら、現実は変わります。
 今、「デボーション」を学びながら「みことば」を聴く訓練を数人で受けています。「この私への語りかけ」として以前よりずっと聖書が近くなり、はっきりと聴けるようになるに違いありません。そう、期待しています。
 アイネアは家族や隣人の世話なしには生活できない身体でしたが、愛されていた人です。病床でも、みことばを受け止められる素直な心が育まれていたのです。
 アイネアはその名が「称賛、讃美」である意味が今日、分かりました。「今日、主に生かされている」。この現実を見たからこそ「人々は皆主に立ち帰った」のです。