2015.7/26 ヨハンナ・シュピーリを訪ねて

この夏、島津牧師は7月17日から8月7日まで教会から休暇を頂いて、スイス、ドイツ、チェコ各地を訪ねました。
そこでのエピソード、思いを週報に記しましたので転載します。
◆ヨハンナ・シュピーリのこと
 1974年放送の「アルプスの少女ハイジ」は今でも人気のアニメで、当時、家族揃ってみたものです。しかし、原作の世界を知ったのはごく最近のことです。それからは邦訳の原作の虜となって、誰かれなく推薦しています。そこには、大人の都合で振り回されながらも、まっすぐに生きるハイジの心と信仰の成長、素朴な人間関係そして「児童文学の福音書」と言われるように、小さなハイジの信仰によって大人たちが自分を縛ってきた運命から自由にされていく姿が描かれています。
 シュピーリは「ハイジ」出版より10年あとに「誰でも、ひとを助けることができないほど小さくはない」という作品を63歳で書いています。どんな小さな子どもでも、人を助けることができるということは「ハイジ」に込められた作者の確信でしょう。 ヨハンナ・シュピーリの最初の小説は1871年、44歳の時です。
 その処女作「フローニーの墓の上の一葉」は、幼友達の薄幸な人生と墓に献げられた切ない回想の一葉でした。もともとシュピーリは明るい人で、作品は明るい終わり方になっているのですが、手放しの明るさではありません。苦しみと悲しみの中で、決して消えることのない、それを切り抜けた明るさです。
 シュピーリは結婚後の姓で、父はヨハン・ヤーコプ・ホイサー。寒村の貧しい農家に生まれ、苦労して医者となり、村の人々の健康に心を配りました。母マルガレータ(通称:メタ)はヒルチェル村の牧師シュワイツァーの娘で、物思いがちな穏やかな人でした。24歳の時に猛烈に口説かれて結婚をしています。積極的で果敢な父と、穏やかで詩作をたしなむ母から受け継いだ性格によって、ヨハンナの作品には、正反対の性格、つまり、芯の強さと融和的な優しさを併せもつ主人公が描かれているのです。
 さて、ヨハンナ・ホイサーの生まれたヒルツェル村は、大都会チューリッヒから東南へ30㎞あまり、海抜719㍍で松本と似ている。「シュピーリの生涯:高橋健二著、1972出版」によれば、斜面の牧草地に家がまばらに立っている風景だという。
 ホンダ・シビックで訪ねる小さな村に秘められた、おおきな楽しみを発見出来たらいいなーと願っています。もしかしたら、「特派員報告」ができるかも。