(エレミヤ書18:1-6、使徒言行録9:1-9)
サウロは立ち上がって、目を開けたが、何も見えなくなっていた。同行の人たちが、彼の手を引いて、ダマスコまで連れて行った。サウロは見えないまま三日間、食べも飲みもしなかった。(本田哲郎訳:使徒言行録9:8-9)
一人の青年がいました。「サウロはステファノの殺害に賛成し・・・サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢へ送り(8:1-3)」「サウロは、なおも主の弟子たちを脅迫し殺そうと・・ この道に従う者を見つけ出したら男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行する(9:1-2)」ひどい人物の印象を受けます。
ステファノが怒り狂う民衆に殺された時、サウロは乱暴者の脱ぎ捨てた上着の番をしていました。先祖から伝えられた信仰を純粋に信じて、何よりも神殿と律法を大事にしてきたサウロにとって、勢いを増して各地に拡がった「ナザレのイエス派」の教えは、人々の心を惑わす危険な教えだと考えていました。「木に架けられて」呪われたイエスを「神の子」だの「救い主」だのと宣伝されることに我慢がならず、何よりも神を汚す教えとして、叩きつぶさねばならないと使命感に燃えていたのです。
エルサレムから逃げ出した信者たちが、サマリアよりもっと遠い(230㎞)ダマスコで増えていると聞いたサウロは、信者を逮捕し連行する役を買って出て、逮捕状を持って、血気さかんな仲間と一緒に、ダマスコに向かいました。その途上の出来事です。
長い旅も終わりに近づき、もうすぐダマスコ、という時。サウロたちは天からの強烈な光に照らされて地面に叩きつけられました。焼け付く真昼の太陽より何倍もまぶしい光の中で、サウロは不思議な声を聞きました。「サウル(シャーウール)、サウル。なぜわたしを迫害するのか」「そうおっしゃるあなたはどなたですか?」「わたしはあなたが迫害しているイエスだ」信じられない。あのイエスという男は確かに死んだのだから。それとも、よみがえったという噂は本当だったのか。一瞬の間にいろいろと頭を巡りました。その時、仲間にはただ「意味の分からない声」が聞こえただけでした。
「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」サウロは地面から立ち上がり、目を開けましたが何も見えません。サウロだけが見えないのです。仲間の手に引かれて、やっとダマスコの町に辿り着きました。それからの3日間は、とても苦しい日々でした。今まで信じてきたことが確かでなくなり、何も食べず何も飲まず、自分の身に起こった出来事を思い巡らしました。かつて目の前で祈りながら死んでいったステファノの最期がまぶたの裏に映りました。自分たちを呪ってはいなかった。かえって「彼らの罪をお赦し下さい」と神に赦しを祈っていたのだと。