2015.3/1 神の言葉は蒔かれ成長する

旧約聖書 出エジプト記23章
 23:14 あなたは年に三度、わたしのために祭りを行わねばならない。
 23:15 あなたは除酵祭を守らねばならない。七日の間、わたしが命じたように、あなたはアビブの月の定められた時に酵母を入れないパンを食べねばならない。あなたはその時エジプトを出たからである。何も持たずにわたしの前に出てはならない。
 23:16 あなたは、畑に蒔いて得た産物の初物を刈り入れる刈り入れの祭りを行い、年の終わりには、畑の産物を取り入れる時に、取り入れの祭りを行わねばならない。
 23:17 年に三度、男子はすべて、主なる神の御前に出ねばならない。
 23:18 あなたはわたしにささげるいけにえの血を、酵母を入れたパンと共にささげてはならない。また、祭りの献げ物の脂肪を朝まで残しておいてはならない。 23:19 あなたは、土地の最上の初物をあなたの神、主の宮に携えて来なければならない。あなたは子山羊をその母の乳で煮てはならない。
 23:20 見よ、わたしはあなたの前に使いを遣わして、あなたを道で守らせ、わたしの備えた場所に導かせる。 23:21 あなたは彼に心を留め、その声に聞き従い、彼に逆らってはならない。彼はあなたたちの背きを赦さないであろう。彼はわたしの名を帯びているからである。 23:22 しかし、もしあなたが彼の声に聞き従い、わたしの語ることをすべて行うならば、わたしはあなたの敵に敵対し、仇に仇を報いる。

新約聖書 使徒言行録6章
 6:1 そのころ、弟子の数が増えてきて、ギリシア語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出た。それは、日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていたからである。 6:2 そこで、十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。 6:3 それで、兄弟たち、あなたがたの中から、”霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。 6:4 わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」
 6:5 一同はこの提案に賛成し、信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、他にフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオを選んで、 6:6 使徒たちの前に立たせた。使徒たちは、祈って彼らの上に手を置いた。
 6:7 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。

 こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った。
 上方いろはカルタの「蒔かぬ種は生えぬ」は誰もが知っている諺。英語の故事にも、Harvest follows seedtime.(収穫は種蒔きの後に来る)がある。
 主イエスの種まきの話は「よく聴きなさい。種を蒔く人が種まきに出て行った」で始まっている。蒔かれた種がどうなったか気になるが、マルコ福音書(4:3)では種蒔きそのものに重点があるように思える。そして、種の確かな「生命力」にも。
 聖霊に押し出されて、打たれても打たれても神の言葉を語った弟子たちの周りにはいつの間にか、大勢の弟子たちが生まれていた。一方で、衣食住を共にする仲間たちの間に問題が生じたことが、5章から紹介されている。今回は「苦情」について。
 「苦情」と訳されている言葉は「つぶやき」とも訳される。同様に「分配」は「もてなし」、「軽んじ」は「見過ごし」、「ないがしろ」は「後回し」、「好ましくない」は「御心にかなわない」と訳した聖書もある。
 仲間が増えたのは喜ばしいけれど、思いが「人との関係」に向き始めている。言葉や習慣の違いもあってか、ギリシャ語を話す仲間の未亡人が「見過ごされる」例が増えてきたらしい。そのような雰囲気が「つぶやき」として表れてきた。
 12使徒は、まず優先順位を仲間全体で確認した。私たち個人も家族の生活も教会などの共同性も、小手先の対処療法ではあとになってひどい破綻がくる。
 使徒たちは「祈りとみことばの奉仕」を第一にします。パンの分配方法ではなく、神の向き合う生活、その上で人に向き合う生活に順序を正しくしたこと。そのために、「あなた方の中から霊と知恵に満ちて」証をしている7人選び、使徒は「祈って、手を置き」ました。
 先週水曜日、T教会のI牧師が「押しかけて」来られて、デボーションの学びをして下さった。デボーションとは献身のこと。「祈りみことばの奉仕」のことです。特別な人だけのものではなく、クリスチャン全員が第一にすべきことです。
 まだ、始めたばかりですが、朝早く起きる習慣を身につけ、まず神の前に自分を置いて今朝の御言葉を聴く。語られている言葉を蓄えて一日を過ごす。確かな祝福です。