2015.2/11 被造物の和解 思想・信教の自由を守る日 南部正人伝道師

旧約聖書 イザヤ書32章
32:15 ついに、我々の上に/霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり/園は森と見なされる。32:16 そのとき、荒れ野に公平が宿り/園に正義が住まう。 32:17 正義が造り出すものは平和であり/正義が生み出すものは/とこしえに安らかな信頼である。 32:18 わが民は平和の住みか、安らかな宿/憂いなき休息の場所に住まう。
 32:19 しかし、森には雹が降る。町は大いに辱められる。 32:20 すべての水のほとりに種を蒔き/牛やろばを自由に放つあなたたちは/なんと幸いなことか。

新約聖書 ローマ書8章
 8:20 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 8:21 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 8:22 被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。


2月11日の「建国記念の日」に、
なぜ毎年のように「思想と信仰の自由を守る」集会をするのか。
今年は特に「原発問題」を考えるのか、松本教会の南部正人先生が開会礼拝で、聖書のことばによって、分かりやすくて心にひびく言葉で語って下さいました。
 元々は神武天皇の即位と支配を祝う「紀元節」という祭日で、敗戦で廃止されていたものを、1967年に政府は新しい祝日として制定しました。天皇を神とあがめ、国の神道に服従しない宗教や思想が弾圧された歴史があったので、制定に対しては幅広い反対運動が起こり、日本基督教団も「信教の自由を守る日」を定めて抵抗しました。
 では、思想・信教の自由と「原発=原子力発電」がどうして関係するのか。原発も原爆も材料はウランです。おもに米国やオーストラリアで採掘され、先住民の土地に埋っています。彼らが代々暮らしてきた土地は奪われ、労働者として動員されて被爆し、放射性ガスは彼らの故郷や聖地をずっと汚染しています。このようなことは過去も現在も、すべての核燃料サイクルにおいて起きています。福島も青森も同様です。
 この被爆問題について、人々の言論や思想の自由は奪われています。例えば福島で地元の食材を使った給食が心配なお母さんが、子どもに弁当を持たせたことで親子でいじめに遭ったり、放射能を恐れて各地に疎開した人たちが、過剰反応だと非難されるケースが多くあります。放射能汚染や被爆の実態を発表したり調査し告発しようとしても大手のマスコミは取り上げません。このように知る権利を奪われた中で、人々はどのように生き行動するべきかという、思想や良心の自由が奪われています。
 さて、聖書はこの問題にどんなヒントを与えてくれるか。創世記では、この世界は神さまによって創造されたとあり、私たちはそう理解しています。それは少なくともこの世界は人間によって造られたものではなく、人間はその管理を委ねられているのであって勝手に破壊してはいけないということ。地球誕生から45億年。自然界のウランの93.3㌫の半減期(半分になる時間)は45億年。核は地中深くに収まって安定し、35億年という悠久の時間をかけて多様な生態系を形成し「神はお造りになった全てのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった(創1:31)」と。核燃料サイクルはその安定を破壊して自然界の生命を脅かしているだけでなく、制御不能なのです。
 高木仁三郎さんが須坂教会でこう言われた。「核とは本来、天上の光であり神の領域に属するものなので、そこに人間は手を出してはいけない」と。
(以上は島津による一部まとめ、
 以下は説教のまま再録)