2014.11/23 神と隣人に感謝しよう

 ルツはこうして日が暮れるまで畑で落ち穂を拾い集めた。集めた穂を打って取れた大麦は一エファほどにもなった。それを背負って町に帰ると、しゅうとめは嫁が拾い集めてきたものに目をみはった。ルツは飽き足りて残した食べ物も差し出した。
 しゅうとめがルツに、「今日は一体どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いてきたのですか。あなたに目をかけてくださった方に祝福がありますように」と言うと、ルツは、誰のところで働いたかをしゅうとめに報告して言った。
 「今日働かせてくださった方は名をボアズと言っておられました。」
 ナオミは嫁に言った。「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように。」ナオミは更に続けた。「その人はわたしたちと縁続きの人です。わたしたちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です。」
 モアブの女ルツは言った。「その方はわたしに、『うちの刈り入れが全部済むまで、うちの若者から決して離れないでいなさい』と言ってくださいました。」
 ナオミは嫁ルツに答えた。「わたしの娘よ、すばらしいことです。あそこで働く女たちと一緒に畑に行けるとは。よその畑で、だれかからひどい目に遭わされることもないし。」
 ルツはこうして、大麦と小麦の刈り入れが終わるまで、ボアズのところで働く女たちから離れることなく落ち穂を拾った。
(旧約聖書 ルツ記2章17-23節)

 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。
 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。
(新約聖書 使徒言行録2章43-47節)


 「どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福してくださるように」
一条の光が魂に差し込んだとき、とっさに発した感謝のことば。

作家の曾野綾子氏は日本人の甘さを「私のような高齢者までが『安心して暮らせるようにして欲しい』と言う始末」と憂い、「安心して暮らせる社会はないことを自覚し、そこをスタート地点に物事を考えないといけません」と言い切っています。

ルツ記はたった7頁4章の物語です。主人公のルツは未亡人で、ユダヤ民族からは差別されていたモアブ人でした。物語を織物にたとえるなら、縦糸は見えない神の計画。横糸はルツの真実な生き方です。干ばつで行き詰まった一家が、先祖伝来の土地を手放し隣国で寄留者として生活を始めました。ところが、すべてが裏目となり男手は皆死んでしまいます。妻のナオミは嫁のルツとオルパが再婚することを願いつつ、単独ベツレヘムへ帰る決心をします。しかし、ルツだけはナオミと離れることを拒み、ついてきて見知らぬ地でたくましく働き始めました。

折しも大麦の収穫期でした。掟によれば、未亡人や孤児など生活困窮者は畑で落ち穂を拾うことが許されていました。実際は迷惑がられたり意地悪をされて惨めな経験をすることが多かったのです。しかし、ここに神の計画がありました。落ち穂拾いをしていたのがボアズの畑だったからです。彼はナオミの近い親戚です。ボアズはモアブから姑ルツを慕ってついてきた女性の噂を耳にし、その孝行と働きぶりに感心していたところ、その女が自分の畑で働いていたのですから驚き、そして思案しました。

集められる落ち穂はたかが知れています。ところが、その日ルツが持ち帰った籾は1エファ(23㍑)もあり、ナオミは驚くと同時に親切にして貰ったんだと察しました。聞いてみると「畑の持ち主はボアズ」とのこと。ナオミは息が止まるほどでした。

世の中は甘くありません。ルツは畑で意地悪もされず運が良かったのでしょうか。むしろ運の悪い女性です。夫を亡くし、異国で生きることになったのですから。

しかし「あなたの民はわたしの民」「あなたの神はわたしの神」と信じて真心を込めナオミに尽くしていく中で、神の御手の働きが明らかになり始めたのです。

聖書が示す生き方は「安心を確保する生き方」とは正反対です。現実の厳しさや苦しみに弱音を吐いてもいいのです。その弱さが天を見上げる動機になります。実際は何も解決していないのに、不思議な安心を得、必要な物は必ず与えられるという確信を発見するのです。パウロが言う「いつも感謝していなさい」とはこのことです。

◆収穫感謝◆
日本キリスト教団の教会では11月第4日曜を「収穫感謝・謝恩日」としています。
アメリカから伝わった感謝祭の起源は、メイフラワー号で移住した人々が先住民に助けられて冬を越せたことに感謝する行事でした。200年後リンカーンは南北戦争で分裂した国民を感謝の心で団結させるために、11月第4木曜日をThanksgiving Dayとして連邦休日としました。これを宣教師が日本のプロテスタント教会に伝えました。
日本では秋の米の収穫を祝う「新嘗祭(にいなめさい)」の行事があり、戦後にアメリカの文化と働く人々への感謝とを重ね合わせて、1948年から、11月23日を「勤労感謝の日」としています。