12月8日 主日礼拝のご案内(待降節第2主日・アドベント2)

10:35~11:40

*子どもの礼拝 10:15~10:30

招詞 ヤコブへの手紙5章8節

あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。

列王記上22章13~17節

 ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。予言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」ミカヤは、「主は生きておられる。主が私に言われる事をわたしは告げる」と言って、王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアド行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。そこで王が彼に「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、 彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事帰らせよ』と言われました。」

ルカによる福音書1章57~66節

 さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。 近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は「あなたの親類にはそういう名のついた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々はみな恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々はみなこれを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。

讃美歌:こどもさんびか34-1番

    讃美歌第2編48番、第1編-94番、第2編ー194番

説教題:いったい、どんな人になるのか

説教:島津牧師

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